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アルダシールと銀華~千年の時空を駆ける鬼と狐の恋物語  作者: 秋津ネオ


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静寂の地底湖を割る激流と、忘れられた巨人たちの石門

 白く滑らかな石材で造られた小舟は、波一つない鏡のような地底湖を音もなく滑るように進んでいた。


 アルダシールは、舟の縁に備え付けられた冷たい石の櫂を両手で固く握りしめ、一定のリズムで澄み切った水を掻き分けている。櫂が水を捉えるたびに生まれる小さな波紋だけが、この巨大な地下空間において時間が正常に流れていることを示す唯一の証だった。頭上のドーム状の岩肌には、青白く発光する奇妙な苔が星空のように群生しており、その淡い光が湖面全体を幻想的な色合いで染め上げている。


 先ほど巨獣の肉を食らい、極限まで消耗していた体力は確実に回復の兆しを見せていた。だが、強靭な肉体の奥底には、未だに鉛のような重い疲労がこびりついている。櫂を引くたびに、背中の筋肉が微かに悲鳴を上げ、欠けた直刀を握り続けていた手のひらの傷が熱を持ったように疼いた。それでも彼は、決して櫂を動かす手を止めようとはしなかった。


 舟の後方では、すっかり安堵したアルスがメイファの膝に頭を預け、穏やかな寝息を立てている。メイファもまた、壁のようにつきまとっていた死の恐怖から一時的に解放され、透き通った水晶のような植物が群生する湖畔の景色を、ただ静かに見つめていた。彼女の琥珀色の瞳には、水面を反射する青白い光が揺らめいている。


 どれほどの時間が経過したのか、地上の太陽の光が届かないこの場所では知る由もなかった。


 ただひたすらに静寂の中を進むうち、アルダシールは自らの肌に触れる空気の質が、ほんの少しだけ変化したことに気がついた。先ほどまで感じていた微かな甘さを帯びた清涼な風の中に、埃っぽい古い石の匂いと、どこからか吹き上げてくる湿った冷気が混ざり始めている。


 同時に、彼の研ぎ澄まされた聴覚が、遥か前方の暗闇の奥から響く低い地鳴りのような音を捉えた。


 それは風の音ではない。膨大な質量の水が、狭い空間を無理やり通り抜け、さらに低い場所へと落下していく暴力的な音だ。アルダシールは無意識のうちに櫂を握る手に力を込め、舟の進行方向へと鋭い視線を向けた。


「メイファ、アルスを起こせ。何かが近づいている」


 彼の低く緊迫した声に、メイファは弾かれたように顔を上げ、すぐにアルスの肩を揺さぶった。目をこすりながら起き上がったアルスの耳にも、その低い轟音ははっきりと届いたはずだ。


 地底湖の穏やかな水面が、目に見えて波立ち始めていた。


 発光する苔の群生地帯が途切れ、前方の空間が再び深い闇に包まれていく。だが、その闇の奥底に、周囲の岩肌とは明らかに異なる巨大な人工物のシルエットが浮かび上がった。


 それは、両岸の絶壁からせり出すようにして造られた、途方もなく巨大な二体の石像だった。


 人間の姿を模してはいるが、その骨格はアルダシールの義父であった男よりもさらに太く、荒々しい。遥か古代、この地に君臨していた大柄な種族の姿をそのまま岩盤から削り出したかのような、圧倒的な威圧感を放つ彫像だ。二体の巨人は水面に向かって巨大な腕を突き出しており、その腕と腕が交差する場所が、地底湖の水を一手に引き受ける巨大な水門となっていた。


 穏やかだった湖の水流が、その巨大な石門に向かって急激に速度を上げ、すり鉢の底へ向かうような激しい渦を巻き始めているのだ。


「舟の縁にしっかり掴まっていろ。ここから先は、ただの静かな水遊びではないぞ」


 アルダシールは石の櫂を大きく動かし、舟の舳先を激流のど真ん中へと向けた。逃げ道はない。この石門をくぐり抜け、轟音の先にある未知の領域へと飛び込む以外に、彼らが地上へ帰る道はないのだ。


 小舟は吸い込まれるように石門の間を抜け、急斜面となった激しい急流へと突入した。


 白い水しぶきが容赦なく舟の中に降り注ぎ、三人の身体を氷のように冷たい水で打ち据える。アルダシールは義父から受け継いだ強靭な膂力のすべてを両腕に注ぎ込み、岩礁に激突しようとする舟を櫂一本で強引にねじ伏せ、進路を修正し続けた。


 右に岩の刃が迫れば左の水を叩き切り、舟が宙に浮くほどの段差を越えれば、体重をかけて舟底を抑え込む。彼の瞳には再び野獣のような鋭い光が宿り、血の滲む手で古代の石舟を操りながら、狂気じみた地下川の激流を下っていく。


 轟音が周囲の岩壁に反響し、もはやお互いの声すら届かない。ただ水塊がぶつかり合う暴力的な音だけが支配する闇の中を、アルダシール一家を乗せた白い舟は、地の底のさらに深い場所へと真っ逆さまに落ちていった。


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