砂漠を越える誓い
西へ向かう道は、砂と岩と風しかなかった。
ペルシャの都が燃えたあの日から、アルダシールはひたすら歩き続けていた。
故郷を失い、家族を失い、戦士としての誇りすら失った彼に残されたものは、生き延びるという本能だけだった。
西へ進むほど、景色は荒れ果てていった。
乾いた大地、崩れた遺跡、風に削られた岩山。
しかしその荒野の向こうには、オアシス都市が点々と存在していた。
クチャ、ホータン、カシュガル。
古くから東西の商人が行き交う場所であり、同時に戦いの絶えない土地でもあった。
アルダシールが最初に辿り着いたのは、クチャの外れにある小さな集落だった。
そこには、ペルシャから逃れてきた者たちがいた。
商人、職人、兵士、そして同じように家族を失った者たち。
彼らはアルダシールを見ると、驚いたように目を見開いた。
「……お前、本当に人間か?」
その問いに、アルダシールは答えなかった。
彼の体格は異様だった。
背は高く、肩幅は広く、腕は太い。
黒海の北に住んだと伝わる巨人の民、オーガの血を引くと言われても、誰も疑わないだろう。
しかし、彼自身はその血を誇りに思ったことはなかった。
ただ、戦場で生き延びるための力にすぎなかった。
クチャの集落では、戦いが日常だった。
盗賊が襲い、遊牧民が略奪し、都市国家同士が争った。
その混乱の中で、傭兵という生き方が生まれた。
金をもらい、戦い、また次の戦場へ向かう。
故郷を失った者たちが選ぶ、唯一の道だった。
アルダシールもその道を選んだ。
最初の戦いは、盗賊団との小競り合いだった。
彼は重い剣を片手で振り、馬上の敵を叩き落とした。
その一撃は、まるで岩が砕けるような音を立てた。
仲間の傭兵たちは息を呑んだ。
「なんだあの力は……」
アルダシールは答えなかった。
戦いの最中、彼の心は静かだった。
怒りも、憎しみも、悲しみもなかった。
ただ、剣を振るうという行為だけが、彼を生かしていた。
戦いが終わると、仲間のひとりが言った。
「お前、名前は?」
「アルダシールだ」
「……覚えにくいな。巨人でいいか?」
アルダシールは少しだけ笑った。
それは、故郷を失ってから初めての笑みだった。
西域の戦場は、彼をさらに強くした。
盗賊、遊牧民、都市国家の兵士、そして異民族の戦士たち。
彼は数え切れないほどの戦いを経験し、そのたびに生き延びた。
彼の名は、クチャからホータンへ、ホータンからカシュガルへと広まっていった。
「巨人の傭兵」
「山を歩く男」
「一撃で馬を倒す怪物」
噂は誇張され、恐れられ、そして尊敬された。
しかし、アルダシールの心は満たされなかった。
戦いに勝っても、金を得ても、彼の胸には空洞が残ったままだった。
故郷の炎が、今も目の奥に焼き付いていた。
ある夜、ホータンの酒場で、ひとりの老人が彼に話しかけた。
「お前のような男を、唐の将軍が探しているらしいぞ」
アルダシールは眉をひそめた。
「唐……?」
「東の大国だ。お前も聞いたことがあるだろう。
あそこは異民族の武人を重用する。
お前のような怪物じみた戦士なら、すぐにでも客将として迎えられるだろう」
アルダシールは答えなかった。
唐の名は知っていた。
東の果てにある巨大な帝国。
文化も軍事も豊かで、世界の中心のひとつと呼ばれる国。
しかし、彼には関係のない話だと思っていた。
老人は続けた。
「唐へ行け。
お前の力は、ここで盗賊を斬るためのものじゃない。
もっと大きな場所で使われるべきだ」
アルダシールは酒を飲み干し、静かに立ち上がった。
老人の言葉が、胸の奥に残った。
もっと大きな場所。
もっと大きな運命。
彼は知らなかった。
その運命の先に、ひとりの女が待っていることを。
その女が、彼の人生を変えることを。
そして二人の恋が、千三百年後の日本にまで続く物語になることを。
だが今はまだ、誰も知らない。
西域の荒野を歩く男も、
長安の宮廷で震える少女も。
物語は、静かに進んでいく。




