星下の初戦
丘を離れて古道を歩き始めると、夜の気配が山の奥から静かに広がってきた。空気は冷え、風が細く吹き抜ける。アリアは胸の奥に残る銀華のざわめきを感じていた。落ち着いたようで、どこか落ち着かない。そんな気配が続いていた。
「少し休もう」
アルダシールが立ち止まり、古道脇の岩に腰を下ろした。アリアも隣に座る。木々の影が揺れ、夜の匂いが濃くなっていく。
「さっきの影。何だったんだろう」
「ただの影ではない。形を持たないのに、意思だけはある」
アルダシールの声は低かった。
そのとき、胸の奥で銀華が震えた。
「アリア。胸が熱くないか」
アリアは胸に手を当てた。確かに熱い。心臓の鼓動がいつもより速い。
「どうしてこんなに熱いの」
「あなたの中で記憶が動いている。私の欠片が揺れている」
銀華の声はかすかに震えていた。
空が暗くなり、星がひとつ、またひとつと灯り始めた。
「もう少し歩けば、開けた場所がある。星がよく見える」
アルダシールが立ち上がり、アリアに手を差し出した。アリアはその手を取った。温かい。しっかりとした力が伝わる。
銀華の気配が揺れた。
「アリア。その男に頼りすぎるな」
「頼ってないよ。ただ」
「ただ、ではない」
銀華の声はどこか寂しげだった。
二人は古道を抜け、小さな丘に出た。そこは木々が途切れ、空が大きく開けていた。星がこぼれ落ちそうなほど広がっていた。
「綺麗だね」
「ペルシアの砂漠も、こんな空だった」
「見てみたいな。砂漠の星空」
「いつか連れていく」
その言葉が夜気の中に溶けていく。
胸の奥で銀華が震えた。
「アリア。その言葉。千年前にも聞いた」
アリアは目を閉じた。知らないはずの景色が一瞬だけ浮かんだ。砂の匂い。熱い風。遠くに揺れる光。だが、すぐに消えた。
「銀華。今の何」
「思い出しかけている。あなたの中の私の記憶が」
銀華の声は震えていた。
そのときだった。丘の下で黒い影が揺れた。風ではない。獣でもない。地面を滑るように動く黒い塊だった。
「来たな」
アルダシールが短く言った。腰の短剣に手をかける。
影が丘を這い上がってくる。形は定まらず、黒い霧のように揺れている。だが、その中心に赤い点が二つ、灯った。目だった。
「返せ」
影が声を発した。低く濁った声だった。
アリアは息を呑んだ。影喰が言葉を発したのは初めてだった。
「返せ。お前の中の光を」
アリアの影が揺れ、地面に二重の影が浮かんだ。胸の奥で銀華が震える。
「アリア。聞くな。あれは私を狙っている」
影がさらに近づき、低く声を落とした。
「欠けたままでは、あの方が目覚めぬ」
アリアは息を呑んだ。
「あの方って誰」
「千年前の形を返せ。封じられた尾を返せ」
銀華が叫んだ。
「アリア。下がれ。あれは私の記憶を奪いに来ている」
影が跳ねた。アルダシールがアリアを庇い、短剣を構えた。黒い霧が刃に触れた瞬間、火花のような光が散った。
「アリアを渡す気はない」
アルダシールの声は低く、静かだった。
影は赤い目を細めた。
「光は近い。お前たちは逃げられぬ」
その言葉を残し、影は地面に溶けるように消えた。
アリアは震える息を吐いた。
「今の何だったの」
「影喰の本体ではない。だが、あれはお前を知っている」
アルダシールが短剣を収めた。
銀華が静かに言った。
「アリア。北へ行こう。封印が揺れている。あなたの記憶も揺れている。答えは北にある」
アリアは胸に手を当てた。熱はまだ残っていた。
「行こう。私も知りたい。私の中にあるものを」
星空の下で、三人の旅の目的がひとつに重なった。




