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アルダシールと銀華~千年の時空を駆ける鬼と狐の恋物語  作者: 秋津ネオ


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影喰い

  影の狩人が沈んだ地面は、もう脈打っていなかった。

 ただ黒い染みだけが残り、風に触れるたびに砂のように崩れていく。


 アリヤはアルダシールの右腕を掴んだまま、しばらく動けなかった。


 黒く染まった腕。

 皮膚の下で蠢く影。

 その黒は、さっきよりも深く、濃くなっていた。


「あなたの腕

 影が、広がってる」


 アルダシールは短く息を吐いた。


「痛みはない。

 ただ“動いている”。

 俺の意志じゃない何かが。」


 アリヤは唇を噛んだ。


「影の主は

 あなたを“器”にしようとしてる…

 影に触れすぎた

 このままじゃ」


 言葉の続きを言えなかった。


 そのとき

 地面が揺れた。


 影の狩人が戻ってきたのではない。

 揺れはもっと広く、もっと重く、もっと“遠い場所”から響いていた。


 アルダシールは周囲を見渡した。


「何だ?」


 アリヤは震える声で言った。


「影の主が

 “自分の手”を伸ばしてきた

 狩人とは違う

 もっと、古い

 もっと、重い

 “影の本体の一部”」


 風が止まった。

 空気が沈んだ。


 街道の向こう、森の奥から──

 黒い霧がゆっくりと立ち上がった。


 狩人のように速くない。

 形を変える気配もない。


 ただ、

 “巨大な何か”が歩いてくる音だけがした。


 ズ……ン……

 ズ……ン……


 地面が震える。


 アリヤは青ざめた。


「だめ

 あれは

 倒せない

 “影の主そのもの”

 狩人とは違う

 あなたが

 飲まれる!」


 アルダシールは黒い右腕を握りしめた。


「来るなら来い。」


 黒い霧が森を抜けた。


 巨大な影の“手”が、街道を覆い尽くすように迫ってくる。


 アリヤは叫んだ。


「逃げて!!

 あれは

 戦う相手じゃない

 “触れたら終わり”!」


 アルダシールは首を振った。


「逃げれば追ってくる。

 お前が狙われる。

 ここで断つ。」


「無理!!

 あなたの腕はもう

 影に!」


「だからだ。」


 アルダシールは右腕を見た。


 黒い影が、皮膚の下で脈打っている。


「こいつは

 影を喰う。

 さっき分かった。」


 アリヤは息を呑んだ。


「影を

 喰う?」


「影の攻撃を受けたとき、刃が溶けた。

 あれは、影が影を喰ったんだ。」


 巨大な影の“手”が迫る。

 森が揺れ、木々が倒れ、大地が裂ける。


 アリヤは震える声で言った。


「でも

 影を喰えば喰うほど

 あなたの腕は

 影に近づく

 あなた自身が

 影になる!」


 アルダシールは短く言った。


「構わん。」


 影の“手”が振り下ろされた。


 大地が砕け、土が舞い、街道が抉れた。


 アルダシールはアリヤを抱き寄せ、

 影の手の下へ飛び込んだ。


 アリヤが叫んだ。


「アルダシール!!

 死ぬ!!」


「死なん。」


 アルダシールは右腕を突き出した。


 影の“手”が、右腕に触れた瞬間、


 影が“逆流”した。


 影の主の手が、

 アルダシールの腕に吸い込まれるように揺れた。


 アリヤが息を呑んだ。


「影が

 影に

 喰われてる?」


 アルダシールは叫んだ。


「今だッ!!」


 右腕を振り抜いた。


 影の主の“手”が裂けた。


 黒い霧が散り、森が揺れ、空気が震えた。


 影の主の手は、大地に叩きつけられ、

 ゆっくりと崩れていった。


 アリヤは震える声で言った。


「勝った

 本当に

 影の主の“手”を

 退けた」


 アルダシールは息を吐いた。


「ここにはもういられん。

 影の主はまた来る。

 もっと強いものを。」


 アリヤは頷いた。


「行こう

 山の向こう

 霧の谷

 雲南の高地

 “影の主の手が届かない場所”へ」


 アルダシールはアリヤの手を握った。


「行く。

 必ず辿り着く。」



 山道に入った瞬間、空気が変わった。


 街道の熱と埃は消え、

 冷たい風が頬を撫でた。

 木々のざわめきが、影の主の気配を薄めていく。


 だが

 アルダシールの右腕だけは、静かに脈打ち続けていた。


 アリヤは歩きながら、何度もアルダシールの腕を見た。


「黒い

 さっきより

 広がってる」


 アルダシールは答えなかった。


 右腕の黒は、肘から肩へ、

 じわりと滲むように広がっていた。


 痛みはない。

 だが、“自分ではない何か”が皮膚の下で呼吸している。


 アリヤは震える声で言った。


「影の主の“手”を喰ったから

 影が

 あなたの中で

 強くなってる」


「分かってる。」


 アルダシールは短く言った。


「だが、あれを喰わなければ

 お前は死んでいた。」


 アリヤは唇を噛んだ。


「分かってる

 でも

 あなたが

 あなたじゃなくなるのは

 もっと、嫌」


 アルダシールは答えなかった。



 日が沈み、山の影が谷を覆ったころ、

 二人は小さな岩陰に身を寄せた。


 アリヤが火打ち石を鳴らし、

 小さな焚き火を作った。


 火の光が、アルダシールの右腕を照らした。


 黒い。

 深い。

 まるで夜そのものが腕に宿っているようだった。


 アリヤは震える声で言った。


「その腕

 影の主の“力”が

 あなたの中に

 入り込んでる

 このままじゃ

 あなたが

 影になる」


 アルダシールは火を見つめた。


「影になったらどうなる?」


 アリヤは首を振った。


「あなたじゃなくなる

 名前も

 記憶も

 心も

 全部

 影の主に飲まれる

 “器”になる

 あなたの身体だけが残って

 あなたは

 消える」


 焚き火が弾けた。


 アルダシールは静かに言った。


「なら、どうすればいい?」


 アリヤは震える手でアルダシールの腕に触れた。


「雲南!

 高地

 霧の谷

 “影の主の手が届かない場所”

 そこに

 影を祓う泉がある

 千年前

 あなたが

 そこで

 影を祓った」


 アルダシールは目を細めた。


「千年前

 俺が?」


 アリヤは頷いた。


「あなたは

 千年前も

 影に触れた

 でも

 雲南の泉で

 影を祓った

 だから

 今も

 そこへ行けば

 あなたは

 “戻れる”」


 アルダシールは焚き火を見つめた。


 火の揺らぎが、右腕の黒を照らす。


 黒は、まるで火を嫌うように

 皮膚の下で蠢いた。


「影が

 火を嫌がってる」


 アリヤが呟いた。


「 影は

 “光”を嫌う

 でも

 あなたの中の影は

 影の主の“手”を喰った影

 普通の影じゃない

 だから

 火だけじゃ

 止められない」


 アルダシールは静かに言った。


「なら

 雲南へ行くしかない。」


 アリヤは強く頷いた。


「行こう

 あなたを

 影にしないために

 あなたを

 守るために

 千年前と同じように

 今度も

 私が

 あなたを連れていく」


 アルダシールはアリヤの手を握った。


「行く。

 必ず辿り着く。」


 夜風が吹いた。

 焚き火が揺れた。


 影の主の気配は、山の向こうへ遠ざかっていた。


 だが──

 アルダシールの右腕の黒は、

 静かに、確実に広がっていた。




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