水路
水が、逆流していた。
池の底で裂けた“何か”の余波が、
水路全体を震わせている。
水面は泡立ち、
石壁に沿って走る水脈が、
まるで生き物のように脈打っていた。
アルダシールは、
アリヤの身体を抱えたまま水面へ浮上した。
アリヤの呼吸は浅い。
瞳は揺れ、
心の奥に“別の声”がまだ残っている。
「……大丈夫だ、アリヤ。
まだ間に合う」
アリヤはかすかに首を振った。
「……影が……
私の“形”を……
変えようとしてる……」
その声は、
彼女自身のものと、
影の主の“囁き”が混ざったように聞こえた。
アルダシールは彼女を抱え、
池の縁へと泳ぎ出した。
だが──
水路の奥から、
“何か”が追ってきていた。
水の流れとは逆方向に、
黒い影が滑るように迫ってくる。
影影だった。
だが、
これまでの影影とは違う。
輪郭が濃い。
形がある。
昼の光の下でも“存在”している。
アリヤが震えた。
「……昼なのに……
影影が……
形を持ってる……」
アルダシールは歯を食いしばった。
「宮殿が“器”になり始めている。
影の主が、
この場所を完全に掌握しようとしているんだ」
水路の出口へ向かう。
だが──
出口の鉄格子が、
ゆっくりと閉じ始めていた。
ギィ……
ギギ……
ギギギ……
水の中で、
鉄が軋む音が響く。
アリヤが息を呑んだ。
「……閉じられる……
外側から……
誰かが……」
アルダシールは叫んだ。
「間に合う!」
彼はアリヤを抱えたまま、
水を蹴って出口へ向かった。
影影が迫る。
水面を割り、
黒い腕のようなものが伸びてくる。
アリヤの足首に触れた瞬間、
彼女の身体が痙攣した。
「……やだ……
来ないで……
私の中に……
入らないで……!」
アルダシールは彼女を抱き寄せた。
「アリヤ!
お前はここにいる!
影の声じゃない、
お前の声を思い出せ!」
アリヤの瞳が揺れた。
その奥で──
別の光が瞬いた。
銀色の光。
アリヤの唇が震え、
彼女自身の声ではない“澄んだ声”が漏れた。
「走れ。
まだ間に合う。
影の主は“外側”を閉じた。
だが“内側”はまだ閉じきれていない」
アルダシールは息を呑んだ。
「……アリヤ……なのか?」
アリヤの瞳は揺れ、
その奥で銀華の声が重なった。
「私は……アリヤの奥に眠る“もう一つの形”。
影の主に奪われる前に……
目覚めなければならない」
アリヤの身体が震えた。
影影が迫る気配が濃くなる。
銀華の声が続けた。
「急げ。
“外側”が閉じる前に」
アルダシールはアリヤを抱え、
鉄格子の隙間へ身体をねじ込んだ。
鉄が肩に食い込み、
皮膚が裂ける。
影影の腕が、
アルダシールの背中を掴んだ。
冷たい。
骨の奥まで凍るような感触。
アリヤが叫んだ。
「やめて!!
彼は……
彼は関係ない!!」
影影の動きが一瞬止まった。
その隙に、
アルダシールは全身の力を使って
鉄格子の隙間を抜けた。
影影の腕が、
鉄格子に挟まれた。
ギギギギギ……
影影が、
鉄を押し広げようとしている。
アルダシールはアリヤを抱え、
水路の奥へ走った。
背後で、
鉄格子が悲鳴を上げる。
ギギギギギ……
ギギギギギギギギギギ……
アリヤが震える声で言った。
「……追ってくる……
影影が……
形を持ったまま……
昼の光の下でも……
動けるようになってる……」
アルダシールは言った。
「宮殿が“器”になったからだ。
影の主が、
この場所を完全に支配し始めた」
水路の奥へ進む。
だが──
水路の壁が、
ゆっくりと“形を変え始めていた”。
石が歪む。
水の流れが逆転する。
天井が低くなる。
アリヤが息を呑んだ。
「……宮殿が……
書き換えられてる……
私たちを……
閉じ込めるために……」
アルダシールは走り続けた。
だが、
水路の先が“二つに分かれていた”。
右は暗闇。
左は光。
アリヤの瞳が揺れた。
「……光のほうは……
罠……
影の主が……
“逃げ道に見せかけた道”を作ってる……」
アルダシールは迷わず暗闇へ進んだ。
その瞬間──
アリヤの胸の奥で、
銀華の声が再び響いた。
「まだ行ける。
“内側”は完全には閉じていない」
背後で、
影影が鉄格子を破壊する音が響いた。
ギャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!
水路全体が震えた。
アリヤが叫んだ。
「来る!!
影影が……
完全に形を持って……
追ってくる!!」
アルダシールは走り続けた。
暗闇の奥で、
銀華の声が静かに重なった。
「急げ。
“外側”が閉じる前に」




