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第47話 黒森へ走る灯火

 ノクスヴェイルの灯りを背に、俺たちは黒森へ向かった。


 広場灯。


 井戸灯。


 あかり宿。


 月灯工房。


 北門守護灯。


 村中の小さな灯りは、黒粉から守られ、もう一度つながっている。


 けれど、その光はまだ安定していなかった。


 灯火網の奥で、何かが引っ張っている。


 村ではない。


 王都でもない。


 海でもない。


 黒森の奥。


 月守狐の眠り場。


 そこから、白銀の光が苦しそうに揺れていた。


「ポルカ、大丈夫ですか」


 俺の肩の上で、ポルカは毛を逆立てたまま森を睨んでいる。


「ぽう……!」


 小さな声だった。


 けれど、怒っている。


 怖がっている。


 そして、急げと言っている。


 ミリアは父の灯路針を握りしめ、月灯工房の方を一度だけ振り返った。


 工房の灯りは戻っている。


 父親の工房灯も、地下保管庫の灯路図も守った。


 でも、安心する暇はなかった。


「月守狐を黒くされたら、工房も村も終わり」


 ミリアの声は硬い。


「村の灯火網は月守狐とつながってる。森の方から黒が流れ込んだら、さっき取り除いた黒粉とは比べものにならない」


「だから、先に森で止める」


 セラが言った。


 剣を抜いたまま、前を進んでいる。


 村人たちは北門の内側で、灯りのそばに立っていた。


 ロッテさんがあかり宿の灯りを守り、ガルム爺が広場灯の見張りにつき、ニナとリオは子どもたちと一緒に安眠灯とランプを抱えている。


 誰も、ただ待っている顔ではなかった。


 怖い。


 それでも、自分たちの灯りを見ている。


 俺はその光を結灯環に受けた。


 重い。


 でも、温かい。


 守るべきものが多いほど遅れる。


 ヴァルハインはそう言った。


 違う。


 守る灯りが多いから、進める。


 俺はランタンを掲げた。


「行きます」


 北門守護灯が、俺たちの背中を押すように揺れた。


     ◇


 黒森の入口は、以前より静かだった。


 初めて来た時は、夜霧が這い、影狼が潜み、木々がこちらを見ているようだった。


 月守狐を救ってからは、森の空気は少し柔らかくなっていた。


 だが今は違う。


 森全体が、息を止めている。


 黒い霧は濃くない。


 けれど、木の根元に赤黒い筋が走っている。


 まるで、森の血管へ黒が入り込もうとしているようだった。


「これは黒粉じゃない」


 ミリアが膝をついて地面を見る。


「粉じゃなくて、根みたいに伸びてる。小灯汚染を村から流し込む予定だったんだと思う」


「村の灯火網を黒くして、それを月守狐へ?」


 ノインが点検灯を向ける。


 青白い光に、黒い根が浮かび上がる。


「そうです。村側の黒粉が発火していれば、灯火網を通じてこの黒根に流れ、月守狐の守りへ接続していたはずです」


「でも、村の黒粉は止めた」


「はい。だから黒根は完全には育っていません」


 ノインは少しだけ息を吐いた。


「まだ間に合います」


 その言葉に、ポルカが力強く鳴いた。


「ぽう!」


 森の奥から、かすかに白銀の光が返る。


 月守狐だ。


 弱っているが、生きている。


 俺はランタンを低く掲げた。


 黒森の古い灯路は、まだ残っている。


 リオを救いに行った時。


 月守狐の眠り場へ向かった時。


 何度も辿った道だ。


 だが、今はところどころ黒い根に塞がれている。


「一つずつほどきます」


 焦って奥へ走れば、黒根を踏み抜く。


 踏み抜けば、村の灯火網へ逆流するかもしれない。


 ここでも同じだ。


 足元から。


 一つずつ。


「【小さな灯】」


 俺は最初の古い森灯へ火を入れた。


 小さな金色がともる。


 ミリアが黒根を灯路針で浮かせ、ポルカが白銀の光で押さえ、ノインが黒の流れを読む。


 セラは周囲の影を警戒する。


 黒根は燃やさない。


 燃やせば森へ散る。


 浮かせて、隔離して、灯路から外す。


 月灯工房で使った隔離灯が、ここでも役に立った。


 黒根の欠片を隔離灯へ流すたび、中の黒い粒がじわりと増える。


 ミリアは顔をしかめた。


「これ、森全部に入ってたら無理だった」


「村で止められてよかったですね」


「ほんとに。ニナたちが火を入れる前でよかった」


 ポルカが小さく鳴いた。


「ぽう」


 俺も頷いた。


 北門で間に合った。


 あの一瞬が、森全体を救う分かれ道だったのだ。


     ◇


 森を進むほど、月灯狐たちの姿が増えていった。


 木の根元。


 岩の陰。


 古い灯路のそば。


 白い小さな光が、こちらを見ている。


 以前救い出した月灯狐たちだ。


 皆、怯えていた。


 だが、ポルカを見ると少しずつ近づいてくる。


「ぽう!」


 ポルカが何かを伝えるように鳴いた。


 月灯狐たちが、一斉に白銀の光を灯す。


 小さな月の欠片が、森のあちこちにともる。


 その光が黒根を押し返した。


「すごい」


 ノインが呟く。


「月灯狐の光が、森灯路の補助になっています」


「元々、この森はそういう仕組みだったんだと思います」


 俺は周囲の白い光を見た。


「月守狐だけが森を守っていたわけじゃない。小さな月灯狐たちも、森の小さな灯りだった」


 ポルカが誇らしげに胸を張る。


「ぽう」


 ミリアが笑った。


「隊長、部下いっぱいだね」


「ぽう!」


 元気よく返事をしたが、すぐにふらついた。


 疲れているのに頑張りすぎている。


 俺はポルカの背中に少しだけ光を送った。


「無理しないでください」


「ぽう……」


 返事だけは立派だった。


 森の奥で、また低い音がした。


 今度は近い。


 月守狐の眠り場が近づいている。


 その音に混じって、ヴァルハインの声が響いた。


『よく間に合うものだ』


 森の木々の間に、黒い火が浮かぶ。


 火の中に、ヴァルハインの影が映った。


 本体ではない。


 黒蝋で作った投影だろう。


『王都から海へ、海から村へ。帰る場所が多い者は大変だな』


「あなたが狙うからでしょう」


 俺はランタンを構えた。


『違う。お前が結ぶからだ』


 ヴァルハインの声は、静かだった。


『灯りを結べば、守る場所が増える。守る場所が増えれば、傷つく場所も増える。いずれお前は、どの灯りを選ぶか迫られる』


「選びません」


『選ばずに全て守れると思うのか』


「一人では無理です」


 俺は答えた。


「だから、灯火網があります」


 ミリアが灯路針を構える。


 セラが剣を構える。


 ノインが点検灯を掲げる。


 ポルカと月灯狐たちが白銀の光を灯す。


「全部を一人で守るんじゃない。灯りを持つ人たちが、それぞれ守るんです」


 黒い火の中のヴァルハインが、少しだけ黙った。


 そして笑った。


『なら、その網そのものを試す』


 黒い火が弾ける。


 森のあちこちで、黒根が一斉に脈打った。


 月灯狐たちが怯えて鳴く。


 黒根は俺たちを直接襲うのではなく、古い森灯路を通じて村の方へ逆流しようとしていた。


 村の灯りへ。


 さっき戻したばかりの小さな灯りへ。


 ノインが叫ぶ。


「逆流します! 広場灯と工房灯へ向かっています!」


「止めます!」


 俺は結灯環を握った。


 村の灯火網が揺れる。


 広場灯。


 工房灯。


 あかり宿。


 北門。


 すべてが黒い根に触れられそうになっている。


 だが、今の村は無防備ではない。


 ロッテさんの宿灯が応えた。


 ガルム爺の手灯が応えた。


 ニナの安眠灯が応えた。


 リオのランプが応えた。


 ミリアの父の工房灯が応えた。


 それぞれが、自分の場所で黒根を押し返している。


「村の灯りが、自分で耐えています」


 俺が言うと、セラが短く笑った。


「当然よ。あの村だもの」


 ミリアの目にも光が戻る。


「工房、負けてない」


 ポルカが強く鳴いた。


「ぽううっ!」


 月灯狐たちが一斉に白銀の光を重ねる。


 俺はその光を結び、黒根の逆流へぶつけた。


「【小さな灯】」


 金色と白銀の網が、森灯路を走る。


 黒根がひび割れた。


 ヴァルハインの投影が揺らぐ。


『……やはり厄介だな、小さな灯火網』


「あなたが一番よく知っているはずです」


『ああ。だからこそ、欲しい』


 その言葉を最後に、投影は消えた。


 黒根の脈動も弱まる。


 だが、完全には消えていない。


 根はさらに奥へ続いている。


 月守狐の眠り場へ。


     ◇


 眠り場に近づくと、空が見えた。


 黒森の奥に開けた、白い石の広場。


 かつて月守狐が黒い鎖で縛られていた場所。


 今は本来なら、白銀の光に満ちているはずだった。


 だが、広場の中央には黒い輪ができていた。


 その中に、月守狐が立っている。


 巨大な白銀の狐。


 三本の尾。


 以前よりは力を取り戻している。


 けれど、足元には黒い根が絡んでいた。


 根は月守狐を完全に縛ってはいない。


 しかし、尾の光を吸おうとしている。


 月守狐は俺たちを見ると、静かに目を開いた。


『小さき灯火師』


「月守狐!」


『村の灯りは、守られたか』


「はい。まだ完全ではありませんが、黒粉は取り除きました」


『よい』


 月守狐の声は穏やかだった。


 だが、苦しそうでもあった。


『黒き者は、村の灯を通じて我へ毒を流そうとした。村の灯が耐えたゆえ、毒は浅い』


「今、外します」


 ミリアが前へ出る。


 だが、月守狐は静かに首を振った。


『これは根ではない。種だ』


「種?」


 ノインが点検灯を向ける。


 黒い根の中心に、小さな黒い種火があった。


 土の中。


 白い石の隙間。


 月守狐の足元。


 そこに埋め込まれている。


 まるで、これから森に芽吹こうとしている黒い灯り。


 月守狐が言う。


『黒燭は、大きな灯を奪うだけでは飽き足らぬ。小さき灯の生まれる場所に、黒き種を植えた』


 黒い種火が、どくん、と脈打った。


 森の月灯狐たちが怯えて鳴く。


 ポルカが低く唸る。


「ぽう……!」


 ミリアが歯を食いしばる。


「月灯狐の光が生まれる場所を、黒くする気……」


「小さな灯りそのものを狙う」


 俺は呟いた。


 ヴァルハインの言葉が、ようやく本当の意味で見えてきた。


 灯具を汚すだけではない。


 灯りを持つ心を汚すだけでもない。


 灯りが生まれる源。


 月守狐。


 月灯狐。


 村の灯火網。


 そこへ黒い種を植える。


 芽吹けば、これから生まれる小さな灯りが、最初から黒を含むことになる。


 セラが剣を握った。


「抜ける?」


 ミリアが黒い種火を見る。


「ただ抜いたら爆ぜる。たぶん森灯路へ散る」


 ノインも頷く。


「黒い種火は、月守狐の白銀灯路を食いながら根を張っています。外すには、白銀灯路を傷つけずに黒だけを隔離する必要があります」


「つまり、今までで一番面倒なやつ」


 ミリアが息を吐いた。


 それでも、目は逸らさない。


「やるけど」


 月守狐が俺を見た。


『小さき灯火師。これは我だけでは外せぬ。村の灯り、森の灯り、海の灯り、王都の灯り。お前が結んできた灯りを、ここへ集めよ』


「全部を?」


『黒き種は、小さき灯りの網を狙う。ならば、網そのもので包むしかない』


 俺はランタンを握った。


 王都。


 北方灯台。


 白帆宿。


 ノクスヴェイル。


 月灯工房。


 黒森。


 これまで守ってきた灯りが、結灯環の中で静かに揺れている。


 遠く離れた灯りたちを、ここへ集める。


 黒い種を焼くためではない。


 包んで、芽吹かせず、隔離するために。


 危険だ。


 失敗すれば、網全体へ黒が走る。


 でも、ここで止めなければ、これから生まれる灯りが黒くなる。


 俺は深く息を吸った。


「やります」


 セラが隣に立つ。


 ミリアが灯路針を構える。


 ノインが点検灯を掲げる。


 ポルカと月灯狐たちが、白銀の光をともす。


 月守狐の三本の尾が、静かに広がった。


 黒い種火が、どくん、と大きく脈打つ。


 まるで、夜そのものが芽吹こうとしているようだった。


 俺はランタンを掲げた。


 すべての小さな灯りを、ここへ結ぶために。

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