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第46話 職人の灯りは黒くならない

 黒い工房灯が、作業台の上で笑うように揺れていた。


 月灯工房の形を真似た、小さな灯り。


 けれど、その火は冷たい。


 灯具の形は似ていても、そこにあるのは職人の光ではなかった。


 父親の古い工房灯から、細い黒糸が伸びている。


 地下保管庫へ。


 月灯狐たちの休む灯りへ。


 村中の灯具を作ってきたこの場所へ。


 ミリアの手が、灯路針を握りしめていた。


「あたりまえでしょ」


 彼女は一歩前へ出る。


「ここは、あたしの工房だ」


 黒い工房灯の中から、ヴァルハインの声が響く。


『職人とは便利なものだ。灯りを作り、直し、配る。なら、その職人の灯りを黒くすれば、黒は自然に広がる』


「黙れ」


『お前は村のために灯具を作る。安眠灯を作る。井戸灯を作る。宿灯を直す。実にいい経路だ』


 黒い火が、作業台の上で細く伸びた。


『職人の手を通れば、黒も信頼される』


 ミリアの耳がぴんと立った。


 怒りで震えている。


 でも、彼女は飛びかからなかった。


 作業台を見ている。


 父親の工房灯を見ている。


 黒糸の角度を見ている。


 灯具の構造を、冷静に読んでいる。


「ルカ」


「はい」


「あの黒い工房灯、壊したら駄目」


「分かります」


 黒い工房灯は、父親の古い工房灯へつながっている。


 乱暴に壊せば、黒が父の灯りへ流れ込む。


 さらに地下保管庫へ落ちる。


 月灯狐たちの灯りまで巻き込まれる。


「じゃあ、どうしますか」


「直す」


 ミリアは即答した。


「偽物を直すんじゃない。つながり方を直す。黒い糸を、工房灯から引き剥がして、隔離灯に流す」


「隔離灯?」


「あたしが作る」


 彼女は工具袋を開いた。


 手早く部品を取り出す。


 小さな真鍮の受け皿。


 余った潮硝子の欠片。


 月灯狐の抜け毛を混ぜた細い芯。


 王都でもらった微細反射板。


 北方灯台で使った防湿金具。


 全部、旅の途中で集めたものだ。


 ミリアはそれらを作業台の端に並べ、迷いなく組み始めた。


「ミリアさん、それは」


 ノインが息を呑む。


「黒粉を受けるための灯具?」


「そう。黒を燃やすんじゃなくて、閉じ込めて反応を弱める。灯具としては最悪に地味」


「でも必要です」


「そういうやつ、あたし嫌いじゃない」


 ミリアの手が動く。


 速い。


 けれど雑ではない。


 細かい部品を合わせ、芯受けを調整し、潮硝子で外側を覆う。


 ポルカが作業台へ飛び乗り、白い毛を一本差し出した。


「ぽう」


「ありがと、隊長」


 ミリアはそれを芯に巻き込む。


 小さな隔離灯が、あっという間に形になっていく。


 黒い工房灯が揺れた。


『職人娘。父親の灯りが黒くなるぞ』


 父の工房灯から、黒糸が少し深く食い込む。


 ミリアの顔が歪む。


 それでも、手は止まらなかった。


「焦らせたいんでしょ」


『事実を言っている』


「職人を急かす客は嫌われるよ」


 ミリアは最後の金具を締めた。


「完成」


 小さな隔離灯。


 見た目は地味だ。


 派手な光は出ない。


 でも、黒を受け止めるための灯具として、しっかり作られているのが分かった。


 俺はランタンを構えた。


「どう動けばいいですか」


「ルカは父さんの工房灯を支えて。ポルカは地下への黒糸を押さえて。ノインは黒の流れを見て。セラは……」


「外と入口を見る」


 セラがすでに扉の前に立っていた。


「黒礼服の残党が来るかもしれない」


「お願い」


 ミリアは隔離灯を黒い工房灯と父の工房灯の間へ置いた。


「始める」


     ◇


 父親の工房灯に触れた瞬間、温かい記憶が流れ込んできた。


 木の作業台。


 古い工具。


 幼いミリアが背伸びして灯具を覗き込んでいる。


 大きな手が、彼女の手を支えている。


『芯は強く押し込むな。灯りにも息がある』


 低く優しい声。


 ミリアの父親の声だろう。


『壊れた灯りを見たら、まず怒るな。どう壊れたかを見るんだ』


 その言葉に、今のミリアが少し似ていると思った。


 いや、かなり似ている。


 彼女はいつも怒る。


 でも、怒りながら灯具を見る。


 壊し方ではなく、直し方を探す。


 父親の工房灯は、それを覚えていた。


 黒糸がその記憶へ絡みつこうとしている。


 俺は金色の光を細く通した。


「【小さな灯】」


 工房灯の本来の火が、ふわりと応える。


 まだ黒くない。


 けれど、黒糸は深い。


 ミリアは灯路針を黒糸の根元へ当てた。


「ノイン、流れ」


「黒糸は三方向です。父親の工房灯、地下保管庫、作業台の予備芯箱へ」


「予備芯箱もか」


 ミリアが舌打ちする。


「村に配る芯に混ぜる気だったんだ」


「先に予備芯箱を隔離します」


 俺が言うと、セラが即座に動いた。


 入口を見ながら、片手で予備芯箱へ布を被せる。


「触って平気?」


「外側なら!」


 ミリアが答える。


 ノインが点検灯を向けた。


「箱の中、黒粉反応あり。かなり多いです」


「あとで全部見る。今は工房灯!」


 黒い工房灯が笑うように火を揺らした。


『村人が待っているぞ。安眠灯も、宿灯も、井戸灯も。職人娘、お前の芯を欲しがっている』


「だから渡さない」


 ミリアは灯路針を押し込む。


「黒を混ぜた芯なんて、一本も渡さない」


 黒糸が暴れる。


 父の工房灯が大きく揺れた。


 俺は光を支える。


 ポルカが地下へ伸びる黒糸を白い尻尾で押さえる。


「ぽううっ!」


 月灯狐たちも窓の外から光を重ねる。


 工房全体に、白銀の小さな点が増えていく。


 ミリアは隔離灯の芯へ火を入れた。


 火は黒かった。


 だが、広がらない。


 潮硝子と月灯狐の毛に囲まれ、黒い火は小さな瓶の中で震えるように閉じ込められた。


「よし、受けた」


 ミリアが黒糸の一部を隔離灯へ流す。


 父の工房灯から黒が少し抜ける。


 しかし、黒い工房灯が強く燃え上がった。


『足りぬ。職人の不安は深い。父の工房を失う恐れ。自分の腕を疑う心。守れなかったらどうするという焦り』


 ミリアの肩がわずかに震えた。


『そこへ黒はよく馴染む』


「……うるさい」


『お前は本当に父の後を継げているのか?』


 工房の空気が凍った。


 ミリアの手が止まる。


 黒糸が、その一瞬を狙って父の工房灯へ深く伸びた。


「ミリア!」


 俺が叫ぶ。


 だが、ミリアは俯いたまま、小さく笑った。


「継げてるかなんて、知らない」


 彼女は顔を上げた。


 目には涙が浮かんでいた。


 でも、逃げていない。


「父さんと同じ灯具は作れない。父さんみたいに全部分かるわけじゃない。今だって怖いよ。工房を黒くされたらどうしようって、ずっと思ってる」


 黒い工房灯が揺れる。


『ならば』


「でも」


 ミリアは灯路針を握り直した。


「あたしは、あたしの手で直す」


 作業台の上にある工具が、淡く光った。


 父親が使っていた工具。


 ミリアが使い続けてきた工具。


 その全部が、工房灯の光を受けて小さく応える。


「父さんの後をただ真似るんじゃない。父さんが残した灯りを、今の村に合わせて直す。王都の部品も、海の潮硝子も、月灯狐の光も、全部使う」


 彼女は隔離灯へ手を伸ばした。


「それが、今の月灯工房」


 その瞬間、父の工房灯が強くともった。


 温かい金色。


 少し白銀を帯びた、月灯工房の光。


 黒糸が浮き上がる。


 ミリアが叫んだ。


「ルカ、今!」


「はい!」


 俺は金色の光を黒糸へ通す。


 ポルカが白銀を重ねる。


 ノインが流れを読む。


「地下への黒糸、緩みました!」


「切らない! 隔離灯へ流す!」


 ミリアが灯路針を回す。


 黒糸が父の工房灯から外れ、隔離灯へ吸い込まれていく。


 隔離灯の中で、黒い火が暴れる。


 潮硝子がきしむ。


 割れそうになる。


「もって……!」


 ミリアが両手で灯具を押さえる。


 俺も光で外側を支える。


 ポルカが月明かりをかぶせる。


 黒い火は、やがて小さく縮んだ。


 隔離灯の中で、黒い粒になって沈黙する。


 父の工房灯は、静かにともっていた。


 黒は消えている。


 ミリアはその場にへたり込みそうになった。


「……取れた」


「はい」


「父さんの灯り、戻った?」


「戻っています」


 俺が答えると、ミリアは両手で顔を覆った。


 一瞬だけ。


 本当に一瞬だけ、肩が震えた。


 誰も何も言わなかった。


 ポルカだけが彼女の膝へ乗り、ぽう、と小さく鳴いた。


     ◇


 しかし、地下保管庫はまだだった。


 父の工房灯を戻したことで、地下へ続く黒糸は弱まった。


 だが完全には消えていない。


 階段の下から、冷たい月灯の気配が上がってくる。


 月灯狐たちが不安そうに鳴いた。


「地下に何かある」


 ミリアは立ち上がった。


 涙はもう拭っている。


 顔つきは職人に戻っていた。


「行く」


 地下保管庫へ降りると、そこには父親の手帳と古い灯具が並んでいた。


 かつて月送りの灯の設計図を見つけた場所。


 村の古い灯路図が眠っていた場所。


 その中央に、黒い小さな瓶が置かれていた。


 瓶の中には、白銀と黒が混ざった毛が入っている。


 月灯狐の毛だ。


 ポルカが激しく鳴いた。


「ぽうっ!」


 ミリアの顔が険しくなる。


「黒燭の小屋で使ってたやつ……」


「ここに仕込まれていたんですね」


 ノインが点検灯を向ける。


「瓶から黒い糸が、保管庫の古い灯路図へ伸びています。村全体の灯路情報を読み取ろうとしている」


 俺は息を呑んだ。


 だから村の灯りの形をあれほど正確に真似られたのか。


 黒燭は、月灯工房の地下にある古い灯路図を狙っていた。


 村の小さな灯りの配置。


 つながり。


 役目。


 全部を読み取り、偽物の村灯りを作った。


 ミリアは瓶を睨んだ。


「ここまで入られてたなんて」


「でも、まだ完全には読まれていません」


 俺は手帳の灯りを感じた。


 父親の手帳。


 そこには黒糸が触れているが、ページの奥までは染みていない。


 工房灯が守っていたのだ。


「あなたの父親の灯りが、止めていました」


 ミリアは目を見開いた。


 手帳のそばに、小さな金色の火が残っている。


 古く、弱い。


 けれど、黒糸を押し返している。


「父さん……」


 ミリアはそっと手帳へ触れた。


 その瞬間、手帳の端に文字が浮かんだ。


『職人は、灯りの形だけを見るな。

 誰のためにともるかを見ろ。』


 ミリアは少しだけ笑った。


「ほんと、説教好き」


 俺も笑ってしまった。


「いい言葉です」


「うん」


 ミリアは隔離灯を構える。


「黒い瓶を外す。ルカ、手帳と灯路図を支えて。ポルカ、月灯狐の毛を戻せる?」


「ぽう!」


 ポルカは強く鳴いた。


 俺は父の手帳と古い灯路図へ光を通した。


「【小さな灯】」


 ミリアが瓶の黒い封を外す。


 黒い月灯が噴き出そうとする。


 ポルカと月灯狐たちが一斉に白銀の光を重ねた。


 黒に染まっていた毛が、少しずつ白へ戻る。


 瓶の中の黒い火が、隔離灯へ流れ込む。


 黒い工房灯の時より強い。


 だが、父の工房灯と手帳の光が支えてくれる。


 ミリアの手は止まらない。


「ここは、村の灯りを作る場所」


 彼女は言った。


「黒燭の設計図置き場じゃない」


 最後の黒糸が抜けた。


 瓶の中の月灯狐の毛が、白銀へ戻る。


 ポルカが嬉しそうに鳴いた。


「ぽう!」


 地下保管庫の灯りが、ふわりと明るくなった。


 古い灯路図から黒い影が消える。


 月灯工房が、戻った。


     ◇


 工房の外へ出ると、村の灯火網が大きく揺れた。


 今度は不安ではない。


 戻った灯りたちが、互いに確認し合うような揺れだった。


 広場灯。


 井戸灯。


 あかり宿。


 墓地道。


 北門。


 月灯工房。


 一つずつ検灯し、黒粉を取り除いた灯りがつながっていく。


 村人たちの顔にも、少しずつ安堵が戻っていた。


 けれど、その時。


 黒森の奥から、低い音が響いた。


 王都の黒聖灯でもない。


 北方灯台でもない。


 もっと古く、湿った夜の音。


 月守狐の眠り場の方角だ。


 ポルカがびくりと体を震わせた。


「ぽう……!」


 俺の結灯環が強く揺れる。


 月守狐の白銀の光が、遠くで黒い何かに押されている。


 セラが黒森を見た。


「本命は、村じゃない?」


「村の灯りを汚して、月守狐へつなぐつもりだったのかもしれません」


 ノインが青ざめる。


「もし村の灯火網が黒くなっていたら、そのまま月守狐の守りへ流れ込んでいた……」


 ミリアが拳を握る。


「工房と村は止めた。でも、黒森側にまだ仕掛けがある」


 黒森の上に、赤黒い月が浮かんだように見えた。


 ヴァルハインの声が、遠くから響く。


『小さな灯りは守ったか。では次は、その小さな灯りを生む森をいただく』


 月守狐の白銀が、黒森の奥で揺れた。


 ポルカが叫ぶように鳴く。


「ぽううっ!」


 俺はランタンを握った。


 村の灯りは守った。


 だが、黒燭の狙いはさらに奥。


 月守狐。


 ノクスヴェイルの灯火網と黒森をつなぐ、古い守り手。


 そこを黒くされれば、村も森も、今度こそ夜に沈む。


 セラが剣を抜いた。


「行くわよ」


 ミリアが父の灯路針を握り直す。


「工房は戻した。次は森」


 ノインが点検灯を掲げる。


 ポルカが俺の肩へ飛び乗る。


 白銀の小さな光が、震えながらも前を向いていた。


 俺たちは、黒森へ向かった。


 村の灯りを背にして。


 月守狐の光を、もう一度守るために。

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