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第44話 火を入れる前に

 黒い芯が、北門補助灯の火皿へ近づいていた。


 ニナの小さな手が震えている。


 その隣で、リオが必死にランプを抱えていた。


「その灯りに火を入れないでください!」


 俺の声が北門に響いた。


 ニナがはっと顔を上げる。


「ルカお兄ちゃん!」


 次の瞬間、黒い礼服の男が舌打ちした。


「遅かったな」


 男は黒燭商会の者だ。


 主任バルドの部下か、ヴァルハインが置いていった手駒か。


 その手には、黒い粉のついた補助芯が握られている。


 村人たちは北門の内側に集まっていた。


 ロッテさん。


 ガルム爺。


 ドルトンさん。


 あかり宿に避難していた子どもたち。


 月灯狐たち。


 皆、手に灯具を持っている。


 守るために。


 村を守るために、灯りをともそうとしていた。


 それを、黒燭は利用しようとしていた。


「火を入れないで!」


 セラが走りながら叫ぶ。


「全部の予備芯を置いて! 黒い粉が混ざっている!」


 村人たちがざわめく。


「黒い粉?」


「でも、これは北門を守るために……」


「黒燭商会の人間が、補強用だって」


 ロッテさんの顔が青ざめた。


「まさか、これ……」


 黒礼服の男は笑った。


「お前たちは自分で灯りを守ろうとした。結構なことだ。自分の手で火を入れれば、その灯りはより深く村に馴染む」


 男は黒い補助芯を掲げる。


「だからこそ、よく染まる」


 ニナが安眠灯を抱きしめた。


 リオは彼女の前に出ようとしたが、足が震えていた。


 俺はランタンを構え、北門補助灯へ光を伸ばす。


 まだ火は入っていない。


 間に合った。


 でも、黒い粉は火皿の周囲に散っている。


 無理に燃やせば、黒が北門守護灯へ混ざる。


 北門守護灯は村の灯火網の要だ。


 ここが黒くなれば、黒は村中へ走る。


「ミリア!」


「見えてる!」


 ミリアが工具袋を開いた。


 疲れているはずなのに、手の動きは速い。


「火皿に黒粉。芯受けの隙間にも入り込んでる。しかも、ただの粉じゃない。火を入れた瞬間に灯路へ溶けるやつ」


「除去できますか」


「できる。でも時間がいる!」


 黒礼服の男が指を鳴らした。


 門の外に黒い霧が膨らむ。


 その中から、影狼に似た黒い獣が現れた。


 以前の黒燭狼より小さい。


 だが、数が多い。


 北門を守る村人たちが息を呑む。


 セラが剣を抜いて前へ出た。


「時間は作る」


 ポルカも俺の肩から飛び降りた。


「ぽう!」


 白い月明かりが門前に広がる。


 黒い獣たちが一瞬ひるんだ。


 ノインは点検灯を掲げ、北門補助灯の周囲を照らす。


「黒粉は火皿だけではありません! 門灯の下部、左側の結線にも付着しています!」


「ありがとう!」


 ミリアが灯路針を差し込む。


 黒粉が赤黒く反応し、火を持とうとした。


 俺はすぐにランタンの光で囲む。


「【小さな灯】」


 燃やさない。


 押し潰さない。


 黒だけを浮かせる。


 ミリアが隔離布で粉をすくう。


 リオが震えながら言った。


「ぼく、その匂い知ってる……黒燭の小屋で、芯に混ぜさせられたやつだ」


「リオ」


「火をつける前は、ただの煤みたいに見える。でも火が入ると、中から黒い糸が出る」


 彼は自分のランプを握りしめた。


「だから、火をつける前に取らないと駄目」


「助かります」


 俺が言うと、リオは小さく頷いた。


 その横でニナが安眠灯を胸に抱いたまま、唇を噛んでいる。


「ごめんなさい。わたし、火をつけようとしちゃった」


「ニナのせいではありません」


「でも」


「村を守ろうとしたんですよね」


 ニナの目に涙が浮かぶ。


「うん……黒い霧が来て、北門の灯りが弱くなって、あの人が補助芯を使えば強くなるって」


 黒礼服の男が肩をすくめる。


「嘘ではない。強くなるさ。黒くな」


 セラが一気に踏み込んだ。


 黒礼服の男が黒燭を構える。


 だが、セラの狙いは男ではなく、手元の黒燭だった。


 剣の柄が黒燭を弾く。


 黒い火が床へ落ちる前に、ポルカが白い光で押さえた。


「ぽうっ!」


 男が後退する。


「村長代理風情が」


「その村を守ってるのよ」


 セラの声は冷たい。


 北門の外では、黒い獣が柵へ体当たりしている。


 村人たちが怯える。


 だが、誰も逃げない。


 ガルム爺が手灯を掲げた。


「火を入れていい灯りと、いけない灯りを見分ければいいんじゃな」


「はい!」


 俺は振り返った。


「皆さん、今から灯具を一つずつ確認します。黒い粉がある灯りには火を入れないでください。すでにともっている灯りは、俺かミリアかポルカが確認するまで動かさないで!」


 ロッテさんがすぐに動いた。


「聞いたね! あかり宿に集めた予備灯も全部確認するよ! 子どもたちは灯りから手を離して、でも近くにいて!」


 ドルトンさんも荷袋を開いた。


「隔離できる硝子瓶ならある。商人の荷運び用だが、黒粉を入れるには使えるはずだ」


「助かります!」


 ミリアが叫ぶ。


 村人たちが動き始めた。


 混乱はある。


 恐怖もある。


 でも、黒聖灯広場の人々と同じように、ノクスヴェイルの村人たちも自分の灯りを見ようとしていた。


 それが黒燭の思惑を少しずつ崩していく。


     ◇


 北門補助灯の黒粉除去は、息をするのも怖い作業だった。


 ミリアが火皿の粉をすくい、ノインが残留を照らし、リオが匂いで黒粉の混ざった芯を見分ける。


 ポルカは白い月明かりで黒粉が灯路へ潜ろうとするのを押さえる。


 俺は北門守護灯へ細い光を通し続けた。


 守護灯は震えている。


 怒っているようにも、怖がっているようにも感じた。


 自分を守るために差し込まれようとした芯が、自分を黒くするものだったのだ。


「大丈夫です」


 俺は守護灯へ語りかけた。


「まだ黒くなっていません」


 小さな金色の火が、門灯の奥で揺れた。


 セラたちと作った北門守護灯。


 黒燭狼を退けた夜。


 村の窓灯とつながった火。


 その記憶は、まだ生きている。


「あなたは、村を閉じ込めるための灯りじゃない。帰ってくる人を見分ける灯りです」


 その言葉に、門灯の火が少し強くなった。


 外から黒い獣が迫る。


 だが、北門の光が青白い膜を張り直した。


 完全ではない。


 けれど、黒い獣の爪が門に届く直前で止まる。


「ルカ! 火皿、黒粉は取れた!」


 ミリアが叫ぶ。


「でも芯受けの奥に一本、黒糸が残ってる!」


「場所は!」


「右奥、古い接続部!」


 ノインが点検灯で照らす。


「見えます! 守護灯本体にはまだ届いていません!」


「なら今切る!」


 ミリアが灯路針を差し込んだ。


 黒糸が暴れる。


 北門補助灯の中から、黒い声が漏れた。


 火を入れろ。


 守りたいなら、火を入れろ。


 強くなれ。


 黒くなれ。


 村を守るなら、村を閉じろ。


 その声に、村人たちの顔が強張る。


 守りたい心を、また利用している。


 俺はランタンを掲げた。


「強くなるために、黒くなる必要はありません」


 金色の光を黒糸へ通す。


「守る灯りは、外を全部拒む灯りではありません」


 北門守護灯が応える。


 外にいる黒い獣を拒みながら、帰ってきた俺たちを受け入れてくれた灯り。


 それが、この門の本当の役目だ。


「【小さな灯】」


 黒糸が浮いた。


 ミリアが灯路針で絡め取る。


 ポルカが白い光で焼き清める。


 黒糸が細く悲鳴を上げ、消えた。


 北門補助灯の火皿が、ようやく静かになる。


 ミリアが大きく息を吐いた。


「除去完了!」


「火を入れます」


 俺はニナを見た。


「ニナ」


「え?」


「怖くなければ、一緒に火を入れてくれますか」


 ニナは目を丸くした。


「わたしが?」


「はい。さっきのは罠でした。でも、あなたが村を守ろうとした気持ちは本物です」


 ニナの唇が震える。


 リオがそっと隣に立った。


「ぼくも、一緒にやる」


 ニナはリオを見て、それから俺を見た。


 小さく頷く。


「やる」


 俺はランタンの火を細く分けた。


 ニナの安眠灯。


 リオのランプ。


 二つの小さな灯りを経由して、北門補助灯へ火を入れる。


 金色と柔らかな白が混ざった火。


 黒は混ざらない。


 北門補助灯が、ぽっとともった。


 その光が北門守護灯へつながる。


 門全体に、温かい膜が広がった。


 外の黒い獣たちが後退する。


 黒礼服の男が顔を歪めた。


「子どもの灯りで門を戻すか」


「子どもの灯りだから、戻せたんです」


 俺は言った。


 ニナは安眠灯を抱え、まだ涙目のまま笑った。


 リオも小さく息を吐く。


 その光景を見て、村人たちの顔に少しだけ安心が戻った。


     ◇


 だが、安心するには早すぎた。


 黒礼服の男は、じりじりと後退しながら笑っていた。


「北門は間に合った。見事だ」


 セラが剣を向ける。


「何がおかしい」


「北門は分かりやすい。お前たちが真っ先に守る場所だからな」


 嫌な予感がした。


 男は黒い指先を広げる。


「では、村中の予備芯はどうだ?」


 その瞬間、村の奥で灯りが一斉に揺れた。


 あかり宿。


 月灯工房。


 井戸。


 墓地道。


 畑の見張り灯。


 家々の窓辺。


 すべてから、かすかな黒い気配が立ち上がる。


 村人たちが悲鳴を上げた。


「うちの灯りが!」


「あかり宿の客室灯が黒く!」


「井戸灯が揺れてる!」


 ミリアの顔が青ざめた。


「工房……!」


 ロッテさんが走り出しかける。


 セラが叫んだ。


「全員、勝手に火を足さないで! 予備芯を使わないで!」


 だが、村のあちこちで黒い囁きが始まっている。


 火を足せ。


 守るために。


 消えそうだ。


 早く。


 自分の灯りを守るために、自分で黒を入れろ。


 ヴァルハインの狙いは、北門だけではなかった。


 村人たち全員に、自分の手で黒い芯を入れさせること。


 小さな灯りそのものを、同時に汚すこと。


 俺は結灯環へ意識を伸ばした。


 ノクスヴェイル灯火網が、村中で震えている。


 まだ完全には黒くない。


 でも、時間はない。


「検灯します」


 俺は言った。


「村中の灯りを、一つずつ確認して、黒粉を取り除きます」


 ミリアが工具袋を握り直した。


「工房から検灯具を出す。父さんの手帳にも、たぶん小灯汚染の対処がある」


 ノインが点検板を開く。


「灯具ごとに記録します。黒粉のある灯り、ない灯り、火を足していい灯りを分けます」


 セラが村人たちへ振り返った。


「皆、聞いて!」


 北門に集まった村人たちの視線が、セラへ向かう。


「今から村の灯りを守る。でも、慌てて火を足したら黒燭の思うつぼ。灯りを消さないこと。勝手に強くしようとしないこと。自分の灯りを見捨てないこと」


 ガルム爺が手灯を掲げた。


「なら、わしらは何をすればいい?」


 セラは即答した。


「灯りのそばにいて。異変があったら叫んで。誰か一人で判断しないで」


 ロッテさんも頷く。


「宿の客室灯は私が見る。子どもたちはあかり宿へ。ニナ、リオ、案内できる?」


 ニナとリオが頷いた。


「できる!」


「やる」


 黒礼服の男が舌打ちした。


「面倒な村だ」


「そうよ」


 セラが剣を構え直す。


「この村は、もう夜に黙って飲まれない」


 黒礼服の男が黒霧へ溶けようとする。


 逃げる気だ。


 セラが追おうとしたが、その前に村の奥で黒い火柱が小さく上がった。


 月灯工房の方角。


 ミリアが息を呑む。


「工房!」


 黒礼服の男は笑った。


「守る灯りが多いほど、遅れる。ヴァルハイン様の言葉通りだ」


 その体が黒霧に消える。


 セラは悔しそうに歯を食いしばったが、すぐに判断を切り替えた。


「追わない。村が先」


「はい!」


 俺たちは北門から村の中心へ走り出した。


 背後では、ニナとリオがともした北門補助灯が、静かに村への入口を守っている。


 前方では、ノクスヴェイル中の小さな灯りが助けを求めるように揺れていた。


 今度の戦いは、ひとつの大灯を戻すことではない。


 村中の小さな灯りを、一本ずつ黒から守る戦いだった。

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