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第43話 偽物の村灯り

 ノクスヴェイルの灯りが、森の中に浮かんでいた。


 窓灯。


 宿灯。


 工房灯。


 安眠灯。


 どれも見覚えがある。


 けれど、どれも黒い縁を帯びている。


 黒い小さな灯りたちは、草の上に並び、俺たちを村へ招くように揺れていた。


 帰ってきて。


 もう守らなくていい。


 夜に任せれば、楽になれる。


 灯りなんて、ともすから苦しいんだよ。


 その声は、ノクスヴェイルの人々の声によく似ていた。


 ロッテさんの落ち着いた声。


 ニナの小さな声。


 ガルム爺の低い声。


 リオの遠慮がちな声。


 でも、違う。


 言葉の奥に、冷たい蝋の匂いがある。


「偽物です」


 俺はランタンを握った。


「形だけ、村の灯りを真似ています」


 セラは剣を抜いたまま、周囲を見渡す。


「でも、元になる灯りを知っている。村の灯火網に触れているわね」


「はい」


 胸の奥がざらついた。


 黒燭はもう、大きな灯りを狙っていない。


 小さな灯りの形を覚え、声を真似て、帰る場所そのものに化けている。


 ミリアが黒い工房灯の幻を睨んだ。


「あたしの工房の灯り、そんな気持ち悪い光じゃない」


 ポルカが肩の上で毛を逆立てる。


「ぽう……!」


 ノインは点検灯を低く構えた。


「黒い灯りの発生源、巡灯路沿いです。村から直接来ているわけではなく、この辺りに撒かれた小灯汚染粉が、ノクスヴェイル灯火網の形を読み取って投影しているようです」


「つまり、ここを越えないと村へ近づくほど罠が増える」


 セラが言う。


「はい」


 俺は頷いた。


 焦りが足を急がせようとする。


 すぐに村へ行きたい。


 北門へ。


 あかり宿へ。


 月灯工房へ。


 けれど、ここを放置すれば、帰り道が黒くなる。


 村へ着いても、後続の灯りがつながらない。


 ヴァルハインはそれを狙っているのだろう。


 帰る場所を守りたい気持ちほど、足元を見失わせる。


「まず、この偽物の灯りをほどきます」


 俺が言うと、セラは短く頷いた。


「分かってるならいい」


「刺さりますね」


「刺してるから」


 ミリアが少しだけ笑った。


「説教灯り、セラ版」


「必要なら何度でも言うわ」


 ポルカが同意するように鳴いた。


「ぽう」


 味方がやはり少ない。


     ◇


 黒い窓灯が、ふわりと前へ出た。


 それはロッテさんのあかり宿の食堂灯に似ていた。


 温かい食事。


 木のテーブル。


 笑い声。


 リオたちが眠った部屋。


 そういう記憶をまとっている。


 なのに、灯りの芯は黒かった。


『ルカさん』


 ロッテさんの声に似たものが言う。


『お疲れでしょう。もう戻って休んでください。外の灯りは、消してもいいんです』


 胸が少し痛む。


 本物のロッテさんなら、きっと休めと言う。


 温かいスープを出してくれる。


 でも、灯りを消していいとは言わない。


 あかり宿の灯りは、戻る人を迎えるためにある。


 外にいる人を諦める灯りではない。


「違います」


 俺は静かに言った。


「ロッテさんの灯りは、外にいる人のためにもともります」


 ランタンから細い光を伸ばす。


 黒い宿灯の幻に触れると、表面が揺れた。


 その奥に、本物のあかり宿の光が一瞬だけ見えた。


 遠く、村の中。


 食堂灯はまだともっている。


 弱いが、消えていない。


「本物は、生きています」


 俺が言うと、黒い宿灯が歪んだ。


 ミリアがすかさず黒い粉の流れを見つける。


「足元! 草の根元に粉!」


 ノインが点検灯を向ける。


「黒粉、宿灯の幻と連動しています!」


「ポルカ」


「ぽう!」


 ポルカの白い月明かりが草むらを照らす。


 黒い粉が浮かび上がった。


 俺は光で囲み、ミリアが隔離布へ集める。


 黒い宿灯の幻が、煙のようにほどけた。


 残ったのは、古い巡灯石に刻まれた小さな灯路紋だった。


 俺はそこへ火を入れる。


「【小さな灯】」


 ぽっ。


 金色の小さな火。


 偽物の宿灯ではなく、帰り道を支える本物の巡灯火が戻る。


 結灯環の中で、白帆宿の帰り灯がふわりと揺れた。


 宿の灯り同士が、遠くで挨拶したようだった。


「次」


 セラが短く言う。


 偽物の灯りは、まだいくつも浮かんでいる。


     ◇


 次に近づいてきたのは、ニナの安眠灯だった。


 小さな、枕元に置く灯り。


 初めてノクスヴェイルでニナを助けた時のことが、胸に蘇る。


 悪夢に沈み、夜を怖がっていた少女。


 今は、安眠灯の光で眠れるようになった。


 その灯りが、黒い縁をまとってこちらを見上げてくる。


『ルカお兄ちゃん』


 声まで似ている。


『夜は怖いから、ずっとそばにいて。どこにも行かないで。村の外の灯りなんて、もう守らなくていいよ』


 喉が詰まりかけた。


 王都へ行った。


 灯台へ行った。


 その間、村の灯りは村の人たちが守ってくれていた。


 でも、黒燭はそこにつけ込む。


 お前が離れたから狙われた。


 戻って、もう二度と離れるな。


 そう責めるように。


 セラが横から低く言った。


「ニナはそんなこと言わない」


「はい」


「怖がっても、自分の安眠灯をリオに貸せる子よ」


「はい」


 そうだった。


 ニナは、自分が怖くても灯りを分けた。


 リオを助けるために。


 本物のニナの灯りは、誰かを縛るものではない。


 安心して眠るための灯りだ。


 俺は膝をつき、黒い安眠灯の幻へ手を伸ばした。


「ニナの灯りは、怖い夜を消すものではありません」


 ランタンの光を細くする。


「怖くても眠れるようにする灯りです」


 金色の火が幻に触れる。


 黒い縁が震える。


 その奥から、小さな本物の光が返ってきた。


 ニナの安眠灯。


 弱い。


 でも、確かに生きている。


 そこに、別の光が寄り添っていた。


 リオのランプだ。


 二つの小さな灯りが、村の中で支え合っている。


「ニナとリオが、灯りを守っています」


 俺が言うと、ミリアの目が少し潤んだ。


「やるじゃん、子どもたち」


 ポルカが誇らしげに鳴く。


「ぽう」


 黒い安眠灯の幻が消えかける。


 しかし、そこへ別の黒い灯りが絡みついた。


 工房灯の幻だ。


 ミリアの月灯工房の芯灯。


 黒い火が、安眠灯の幻を食い直そうと伸びる。


 ミリアの顔つきが変わった。


「触るな」


 声が低い。


 彼女は工具袋から灯路針を抜き、一気に踏み込んだ。


 黒い工房灯の幻が、彼女の父親の声で囁く。


『ミリア、工房を守れなかったな』


 ミリアの耳がぴくりと動く。


『外へ出たからだ。王都だ、灯台だと余計なことをしている間に、工房は黒くなる』


「黙れ」


『お前は職人なのに、自分の灯りも守れない』


 黒い工房灯が揺れる。


 その幻は、ミリアの一番痛いところを突いていた。


 父の工房。


 受け継いだ灯具。


 自分が離れている間に壊される恐怖。


 ミリアの手が一瞬だけ止まる。


 俺が声をかけようとした、その前に。


 ミリアは自分で深く息を吸った。


「父さんは」


 彼女は灯路針を握り直す。


「守るために、外へ行くことを怒る人じゃない」


 黒い工房灯が歪む。


「それに、工房はあたし一人のものじゃない。村の灯りを直す場所。月灯狐たちが休む場所。みんなが灯りを持ち寄る場所」


 ミリアは黒い幻の根元を見抜いた。


「だから、偽物は工房を語るな!」


 灯路針が草むらの黒粉へ突き刺さる。


 ポルカが白い光を重ねる。


 俺が金色の火を送る。


 黒い工房灯の幻が砕けた。


 その奥から、月灯工房の芯灯がはっきりと返ってきた。


 遠い。


 でも強い。


 ミリアの父親の手帳が置かれた地下保管庫。


 月灯狐たちが寄り添う灯り。


 そこに、村の誰かが火を足している。


「工房、生きてる」


 ミリアが小さく呟いた。


「生きてるよ、父さん」


 ポルカが彼女の足元へすり寄った。


「ぽう」


 ミリアは目元を乱暴に拭き、すぐに顔を上げた。


「次。全部片づける」


     ◇


 偽物の村灯りは、一つずつほどけていった。


 ガルム爺の手灯の幻。


 北門守護灯の幻。


 井戸灯の幻。


 月送りの灯の幻。


 どれも、黒燭は言葉巧みに変えていた。


 もう頑張るな。


 夜に戻れ。


 灯りをともすから失う。


 小さな灯りを守るほど、傷つく。


 けれど、本物の灯りは違った。


 ガルム爺の手灯は、亡きエマさんの墓へ続く道を覚えていた。


 井戸灯は、水を守る役目を忘れていなかった。


 北門守護灯は、村の外を拒むためではなく、帰ってくる人を見分けるためにともっていた。


 月送りの灯は、失った人を夜に沈めないための灯りだった。


 俺たちはそれを一つずつ確かめ、黒い粉を隔離し、巡灯路の本物の火を戻した。


 焦りは消えない。


 村は今も狙われている。


 でも、一つずつ灯りを戻すたびに、ノクスヴェイルへの道は確かになっていく。


 最後に残ったのは、広場灯の幻だった。


 ノクスヴェイルの中心。


 村の灯火網の要。


 それが黒い大きな火になって、道の中央に立っていた。


『帰ってきたか、追放灯火師』


 声はヴァルハインに似ていた。


 だが、火の形は村の広場灯そのものだ。


『お前が灯りを増やした。だから守るものが増えた。だから狙われる』


 黒い広場灯がゆらりと揺れる。


『小さな灯火網は強い。だが、一本ずつ黒くすれば、網は毒になる』


 その言葉は、ただの幻とは思えなかった。


 ヴァルハインがこの黒粉に残した意思だ。


『ノクスヴェイルの人々は、いま自分たちで灯りをともしている。よいことだ。実によい。黒を混ぜるには、本人の手でともさせるのが一番だからな』


 胸が冷えた。


 本人の手でともさせる。


 黒粉を仕込まれた灯具に、村人が自分で火を入れる。


 守ろうとして。


 信じて。


 その結果、灯火網が黒くなる。


 最悪のやり方だった。


 セラの顔が怒りで冷たくなる。


「村の人たちは、絶対に渡さない」


『間に合うかな』


 黒い広場灯が笑うように揺れた。


『北門では、すでに最初の火が入る』


 俺は息を呑んだ。


 北門。


 村の守りの入口。


 そこが黒粉で汚染された灯具に火を入れようとしている?


 誰が。


 村人が。


 守るために。


「急ぎます!」


 俺は広場灯の幻へ光を放った。


 黒い火が抵抗する。


 強い。


 村の中心灯の形を使っている分、これまでの幻よりずっと強い。


 だが、俺たちの足元には、戻してきた巡灯路の火がある。


 宿灯。


 安眠灯。


 工房灯。


 手灯。


 井戸灯。


 月送りの灯。


 それぞれの本物の記憶が、偽物の広場灯を囲む。


「ノクスヴェイルの広場灯は、命令する灯りじゃない」


 俺は言った。


「皆が持ち寄る灯りです」


 ランタンを掲げる。


 ミリアが黒粉の根元を見つける。


 セラが黒い火の前へ立つ。


 ポルカが白銀の光を広げる。


 ノインが点検灯で黒い流れを読む。


「中心、足元の石灯です!」


「ミリア!」


「見えた!」


 灯路針が突き刺さる。


 黒い広場灯の幻が、ひび割れた。


『急げ、追放灯火師』


 ヴァルハインの声が最後に囁く。


『守る灯りが多いほど、お前は遅れる』


 幻が砕けた。


 巡灯路に本物の火が戻る。


 その瞬間、遠くノクスヴェイルの方角から、鐘が鳴った。


 北門の警鐘。


 短く、切迫した音。


 セラが走り出す。


「村だ!」


 俺たちも続いた。


 森を抜ける。


 巡灯路の火が背後で一斉にともる。


 前方に、ノクスヴェイルの北門が見えた。


 だが、その上には黒い霧が巻いていた。


 門の内側で、誰かが灯具を掲げている。


 小さな影。


 ニナだった。


 彼女は安眠灯を胸に抱え、その隣でリオがランプを持っている。


 二人の前には、黒粉を撒かれた北門補助灯。


 その火皿に、今まさに黒い芯が差し込まれようとしていた。


 黒い礼服の男たちが門の外にいる。


 そして、村人たちが灯りを守ろうと集まっている。


 ニナがこちらに気づき、目を見開いた。


「ルカお兄ちゃん!」


 間に合った。


 いや、まだ間に合わせなければならない。


 俺はランタンを握り、北門へ向かって叫んだ。


「その灯りに火を入れないでください!」


 黒い霧が、北門を覆うように膨れ上がった。

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