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形を越える泥

大礼殿の堅牢な門を出たその足で、ミトはためらいもなく、ぬかるみの広がる大河の堤防へと向かった。

「お嬢様、本気でございますか!? ここは間もなく氾濫するやもしれぬ、危険な泥場にございますぞ!」グレーバーに代わって旅の雑務を担うカクが、泥にまみれながら叫んだ。だが、ミトは公爵令嬢としての豪奢な上着をすでに脱ぎ捨て、機能的な旅衣の袖を、固く捲り上げている。

「何を言うのです、カク。流刑に処されたジン殿の『堤の図』を、わたくしたちの手で、物理的な現実にする。形ばかりを磨くあの老人に実質を叩きつけるには、これ以上の舞台はございませんわ」

ミトの目の奥には、かつてヴァルハイトの地下倉庫でカビ臭い書類の山と戦った時と同じ、おそろしく冷徹で、泥臭い「実務者の光」が灯っていた。

「ロウ! 呆然としている暇はなくてよ。ジン殿の図面から、必要な土砂の立米数と、決壊予測地点までの運搬効率を、お得意の数字で即座に算出しなさい!」「……っ、承知いたしました!」論理戦に敗れて打ちひしがれていたロウが、弾かれたように眼鏡を押し上げ、懐から帳簿を取り出した。その羽根ペンが、今度は法理の武器としてではなく、過酷な現実を書き換えるための道具として、猛烈な速度で走り始める。

「カク、スケ! あなた方の本当の『中身』を、今こそ見せて差し上げなさい!」「応っ、待ってましたァ!」

カクが元兵士としての野太い声を張り上げ、恐怖で右往左往していた下級官吏や地元の下層職人たちを怒鳴りつける。「おい! 命が惜しけりゃ、このヴァルハイトの現場監督の指示に従え! 形式なんぞで腹は膨れねえぞ、泥を運べ、杭を打て!」その隣ではスケが、元馬喰としての知識を総動員し、都じゅうの物流網から土木資材を強引に調達、滞っていた台車を、瞬く間に差配していく。

「あっちの朱い敷石を引っぺがせ! 古礼がどうした、あれを砕いて土嚢の重しにするんだよ!」

公爵家の名は出さない。だが、四人の圧倒的な実務の力が、混沌としていた現場を、みるみるうちに統制していった。ミト自身も泥に足を取られ、その白い頬を土で汚しながら、ひたすら指揮を執り続ける。

三日三晩。一睡もせず、ただ実質を積み上げ続けた。

そして四日目の朝、天を衝くような大洪水が都を襲った。濁流は轟音を立てて堤防へと押し寄せたが――ジンの図面通り、そしてミトたちの泥臭い実務によって補強された強固な土塁は、その一撃を完璧に受け止めた。水は行き場を失い、安全な遊水地へと、静かに流れていく。

都は、守られた。

白亜の大礼殿から、大礼官ゲンをはじめとする上級官たちが、呆然とした顔で、泥まみれの堤防を見下ろしていた。彼らの千年の「形」は、何万という民の命を前にして、一分も動かなかった。だが、他国の名も出さぬ令嬢が率いた剥き出しの実務が、現実に、天の災いをねじ伏せたのだ。

「……大礼官どの」泥にまみれたミトが、卓に置いていた扇を再び手に取り、遠くのゲンに向けて静かに、けれど鋭く突きつけた。

「ご覧なさい。形を越えて国を救ったのは、あなた方が流刑に処したあの男の、そしてわたくしたちの『泥の帳簿』ですわ。中身のない千年の形式など、ただの美しい亡骸。今日からこの国を動かすのは、その亡骸ではなく、この泥まみれの手足ですわよ」

下級官吏や職人たちが、ゲンではなく、ミトたちに向けて、地響きのような歓声を上げ始める。形式の檻が、内側の実質によって、完全に崩壊した瞬間だった。


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