花の値
翌日の大宴は、前夜の比ではなかった。黄金の大広間に、地下水脈から引いた水が幾筋もの細い滝となって壁を伝い、灼けた空気を冷やしている。砂漠のただ中で、水を捨てるように使う――それ自体が、この国の富の誇示だった。
玉座には、痩せて酷薄な目をした国主、サディラ王が座していた。「ようこそ、ヴァルハイトのご令嬢。今宵はもてなしの真髄をお目にかけよう。花の見事さこそ、我らの誠意の証。さあ、お納めいただこう」
楽の音が高まり、広間の中央へ、ナーラを含む七人の娘たちが進み出てきた。前夜よりさらに豪奢な装飾に身を包まされて。断れば「他国の最上の敬意を踏みにじった傲慢な賓客」となり、受ければ人身御供の悪習を認めたことになる。完璧な口上、隙のない礼節。
カクとスケが後ろでそっと身じろぎした。「カクよ、ここはやっぱり『アレ』を……」「無駄だ、スケよ」カクが苦渋に満ちた声で首を振る。「相手は最初から頭を下げ、笑顔で、花を差し出してくる。名乗りを上げたところで、この国は『ははーっ、ではお納めを』と言うだけだ。印籠の効かぬ相手が、ここにいる」
二人の手が懐の紋章器の手前で所在なく宙に浮き、しゅんと背筋を伸ばした。ミトの扇が、すい、と横に振られる。
(ええ。今宵は、名乗りなど要りませんわ)
名で平伏する者なら、とっくに平伏している。今宵の相手は、名を知ったうえで、なお人を物として差し出してくる男なのだ。だから、別の刃が要る。
「結構なお心づくしですこと」ミトはゆるりと立ち上がった。「最上の花、というからには、よほど見事な花なのでしょうね。わたくし、これでも目利きには、いささか覚えがございますの。あなた方の“誠意の証”を、いい加減な目で受け取っては、かえって失礼。――その花、わたくしが正しく値踏みして差し上げますわ」
王が満足げに頷いた。「ほう。望むところよ」
ミトはゆっくりとナーラの前へ歩み寄った。そして、すべての装飾の奥にある「本物」を見つめる眼光を放った。
「絹は上等。装飾は過剰。……けれど、そんなものはどうでもよろしいの」ミトの声は、広間の隅々まで、よく通った。「ご覧なさい。この方の、背筋。これだけ辱められて、なお折れていない。この方の、指先。震えていても、品を失っていない。この方の、目。――この目はまだ、何かを諦めておりませんわ」
ナーラの肩が震えた。
「王よ。あなたはこれを“花”だとおっしゃった。けれど、わたくしの目には、こう映ります。北の小領、フェナリエ家の生まれ。家の借りのために差し出された、誇り高き令嬢。――物にしようとして、しきれなかった、ひとりの人間」
広間がざわめいた。王の顔から笑みが消える。
「あなた方は、自分たちの誠意を、人を物に変えることで示してきた。けれど、物にしきれなかったものを“最上の花”と呼んで飾り立てたとき――あなた方は知らずに白状していたのですわ。本当はこれが人だと。物ではないと。だから、これほど見事なのだと」
ミトは再びナーラを見た。「ナーラ。あなたは、何者?」
長い、長い沈黙。ナーラは怯えの鎖を振り払うように、顔を上げた。「……わたくしは。わたくしはナーラ。フェナリエの娘。――花では、ございません」
それを合図に、隣の娘が、その隣の娘が、震えながらも確かに顔を上げていく。物が、人に、戻っていく。
王が苛立ちもあらわに立ち上がった。「戯言を……! 慣習だ。我が国の、誇り高き――」
「ええ。慣習ですわね。気品で踏み潰したところで、明日にはまた繰り返される」ミトは静かに頷いた。「ですから、踏み潰すだけでは足りませんの。――ロウ」
それまで広間の隅で黙々と書きものをしていたロウが、すい、と前へ出た。手にあるのは、ひと晩かけて法理を練り上げた羊皮紙の束。
「サディラ王、ならびに宰相殿。あなたがたは、水を握ることで人を支配し、そのもてなしの伝統を不可侵の特権として振りかざしてきた。……だが、あなたがたは、法律上の致命的な前提条件を見落としている」
ロウの平坦な声が、凍りついた広間に響く。
「昨夜、我々が接収した財務条約の控えを精査いたしました。サディラの泉と地下水脈を汲み上げる魔導ポンプ――その維持資材の供給、および技術者の派遣契約は、ことごとくが我がヴァルハイトの『出資条約』に基づいている。そして、本大改正法第十四条に基づき、今回の一件を『賓客の安全、および精神的自由を脅かす不法行為』と法的に定義いたします」
ロウは羊皮紙を、そっと玉座の前に置いた。
「本日付で、条約に一条、追加いたしました。――『人を贈与の品目に含む不法慣習は、本条約の保障する水利協力契約と法的に両立しない。すなわち、この慣習が一日でも継続する場合、ヴァルハイトは水利維持資材の供給を、合法的に停止する権利を持つ』」
「な……ッ!?」宰相の顔から、血の気が引いた。
「伝統を取るか、水を取るか。お選びください」ロウは淡々と告げた。「水も資材も、よそから金で買えばよい、と言い張るおつもりですか? では伺いますが、その金で雇う傭兵は、どの道を通って参りますか。この大陸の交易路の大半は、ヴァルハイトのもの。我が家があなたへの『信』を一度でも引けば、その金貨は、ただの重たい金属屑に変わる。あなたがたが誇る完璧なもてなしという『制度』は、今この瞬間、法的に干上がったのですよ」
王の喉が、ひくりと鳴った。痩せた指が、羊皮紙の上で、ガタガタと震えていた。印籠をいくら掲げても居直っていた男たちが、自分たちの足元を支える「法理の網」を締め上げられ、完全に窒息した瞬間だった。
後ろでカクが小さく呟いた。「スケよ……ロウ様の楔は、剣より深く刺さるな」「お元気ですな、カクよ……あの方の論理からは、誰も逃げられねえ」
処分は、淡々と進んだ。慣習の廃止、娘たちの解放。砂上船が黄金の都を離れていく甲板で、ナーラはミトに深く頭を垂れた。「残ります。まだ顔を上げられずにいる娘が、この国には大勢おります。わたくしは、自分が立てたことを、あの子たちに見せてやりとうございます」
ミトはふっと微笑んだ。「もし、いつかこの国があなたをもう一度“物”に戻そうとしたなら。そのときは、ヴァルハイトの名をお呼びなさい。どこにいても、必ず聞こえますわ。わたくしたちが握ったその『水利の契約書』が、あなたの盾になりますもの」
砂の地平の彼方で、黄金の都が陽炎に溶けていく。




