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鏡は、嘘をつかない

その夜、ロサリス王宮の大広間で催された夜会は、まさに「鏡の国」の名にふさわしい眩さだった。天井には神話を描いたフレスコ画。壁という壁には背丈の倍もある魔法鏡が並び、無数のシャンデリアの光を反射して、広間全体を昼のように照らし出している。床は磨き抜かれ、招待客の足元にも、もう一つの夜会が逆さまに広がっていた。

集まった客たちはめいめいに財を競っていた。東方から取り寄せたという最高級のシルク、国宝級の宝飾、指が埋もれるほどの宝石。その眩い光の中にあって、飾り気を極限まで抑えた旅装のままのミトは、明らかに異質だった。

「……あら、どちらの令嬢かしら」「旅の装いのまま夜会に? 礼を欠いているのではなくて」「ふふ、田舎から出ていらしたのね」

扇の陰で、容赦のない囁きが交わされる。だが奇妙なことに、囁けば囁くほど、彼らはミトから目を離せなくなっていった。飾り立てていないはずの令嬢が、この広間の誰よりも静かに、揺るがず、美しかったからだ。

(……ここでは、わたくしの名は、誰も知らない。ヴァルハイトも、紋章も、いまは旅装の下。なのに、あの人たちは目を離せずにいる。――では、いま彼らが見ているのは、いったい、何かしら)

ふと胸をかすめたその問いを、ミトはすぐに扇の陰へ畳んだ。いまはまだ、開くときではない。

(……それに、本音を申せば、こんな光るものより、温かいお湯に一刻も早く浸かりたいところですけれど。まあ、この国の人間に、わたくしの旅装の一針の価値が見えるかどうか、試して差し上げましょうわ)

やがて人垣が割れた。この国の第一王子が、勝気な目をした男爵令嬢を伴って広間の中央へと進み出る。王子の視線が旅装のミトを捉えた。

「ほう」と彼は嘲るように口の端を上げた。「これはまた、ずいぶんと地味な客人がいたものだ。どこの田舎貴族か知らんが――我が国の夜会を旅の埃で汚しに来たのか?」

広間がくすくすと悪意の笑いに包まれる。ミトは答えなかった。ただ、扇の奥でわずかに目を細め、王子という生き物を「値踏み」するように見つめている。その静寂がかえって不気味に、場の温度を下げていく。

ロウが静かに一歩、前へ出た。その声は穏やかで、それゆえに広間の喧騒をすっと断ち切った。

「――少し、待っていただけますか」

王子が眉をひそめる。「なんだ、貴様は。我が国の夜会で、この私に口を挟む資格があるとでも?」

「いいえ。口を開く資格の話はしておりません」ロウの口調はあくまで淡々としている。「私が伺っているのは、いまの発言が“誰に向けられたものか”を、殿下ご自身が法的に把握しておられるか、という点です」

王子の頬がわずかに引きつった。

「お答えがないようですので、こちらで整理いたしましょう」ロウは続けた。「殿下はいま、他国から正式な外交手続きを経て訪れた賓客に対し、その出自を“田舎貴族”と断じ、夜会を“汚しに来た”と公言なさいました。満場の貴族の前で。記録に残る形で、です」

「だから、それが何だというのだ――」

「他国の貴族に対する公然たる侮辱は、大陸外交儀礼法第三条『賓客不敬の罪』にあたります。そして、賓客の格を見誤ったという事実は――この国の王家が客人の見分けすらつかぬ、という国際的な見識の瑕疵を証明することになる。殿下はいまの一言で、ご自分の家の国家信用をどれほど安く売られたか、おわかりですか」

しん、と広間が静まった。それまで王子に追従して笑っていた貴族たちの顔から、すうっと血の気が引いていく。礼法を司る老臣が青ざめた顔で、何事かを耳打ちし合っている。

そのとき。それまで一言も発さず、ただ静かに事の次第を見守っていたミトが――ゆっくりと手にしていた扇を閉じた。ぱちん、と。ただ、それだけの音が、眩い鏡の広間に、奇妙なほどはっきりと響き渡る。

「美しい広間ですこと」とミトは口を開いた。「鏡も、薔薇も、ずいぶんとよく磨かれていますわ。……だからこそ、ひとつ伺いたいのですけれど。これだけの輝きを、いったい誰が磨いているのでしょうね」

王子が勝ち誇ったように顎を上げる。「ほう、田舎者にも、多少は目があるらしいな。我が国の誇る硝子細工のまばゆさよ」

「ええ。ですが、曇りひとつない壁の鏡を、この数を毎日維持するために、いまどこかで誰かの手が休みなく動いておりますわ。殿下はその手の数を、ひとつでも数えてみたことがおありかしら」

ミトの声は責めるでもなく、事実を淡々と置いていく。

(……もっとも、ロウが馬車で言っていたことの受け売りなのですけれど。まあ、よい台詞は、使い回してこそですわね)

王子は自分が押され始めていることに、薄ら寒いものを感じ始めていた。それを認めまいとするように、声を荒げる。

「国の調度の話などどうでもよい! 私が言っているのはお前の身なりのことだ! その薄汚れた旅装で、よくもこの夜会に――」

「身なり」ミトはその言葉をつまみ上げるように繰り返した。「ええ、では、身なりの話をいたしましょうか。そちらのご令嬢のドレス――」

ミトの冷徹な視線が、王子の腕に寄り添う男爵令嬢へと、すっと移る。

「絹はたいそう上等――去年の、東方からの便のものですわね。襟元に縫いつけられた青玉も、本物。よいお品ですわ。ただ――その青玉を留めている台座が紛い物ですわね。鍍金の下はただの真鍮。本物の宝石を、偽物の台座に載せていらっしゃる。きっと仕立て屋に値を誤魔化されたのね。お気の毒に」

「なっ……!?」

男爵令嬢の頬がかっと朱に染まった。とっさに自分の襟元を手で覆い隠す。その過剰な防衛仕草こそが、何よりの肯定だった。

「あなた方の身なりは、たしかに高価ですわ」ミトは静かに言い切った。その眼光は、かつてヴァルハイトの地下倉庫で「価値のない一万金」を撥ね退けてきた、あの冷徹さそのものだ。

「けれど――“高価なもの”と、“価値のあるもの”は違います。本当に価値あるものを見分ける目を、あなた方はお持ちでない。だから、値札の見えないものを前にすると、こうして“田舎者”と呼ぶしかなくなる。……ちなみに、その台座が真鍮であることくらい、わたくしの家の者なら、見習いの子どもでも、ひと目で見分けますわ」

王子はもはや言い返す言葉を失っていた。広間の空気は、完全に潮目が変わっている。礼法を司る老臣が震える足で、王子のそばへと進み出た。声を抑えて、しかし切迫した調子で囁く。

「で、殿下……いけません。あのお召し物の、左の袖裏を……金糸の刺繍をご覧ください……!」

王子の目が初めて、ミトの旅装の袖へと向けられた。飾り気のない、しかし完璧に仕立てられた上着。その袖の裏地に、ごく控えめに――薔薇と、それを束ねる一本の鍵の紋章が織り込まれている。

それを認めた瞬間、老臣の膝ががくりと折れた。

「……ヴァ、ヴァルハイト……世界最大級の財閥を束ねる名家、ヴァルハイト公爵家の、紋章……!」

その名がぱっと、火の粉のように広間へ散った。この国の自慢の硝子細工――その技術も、流通の航路も、ことごとくがヴァルハイトの出資なくしては成り立たぬという、あの。さらに言えば、この王宮を建てた折に王家が組んだ巨額の借財の証文を、いまも金庫に収めているのが、ほかならぬその家である。

「旅をしておりますもの。旅装は当然でしょう?」ミトは小首を傾げた。「それとも殿下は、賓客が宝石を身につけていなければ、その格を見分けられない――そう、満場の前で、もう一度おっしゃいますか?」

王子は答えられなかった。

ミトはそのさまを扇の奥から静かに眺め、ようやく後ろの二人を振り返った。「カク。スケ。もう、よろしくてよ」

「「はっ!」」

待ってましたとばかりに二人が晴れやかに進み出ると、懐から漆の箱を取り出し、これみよがしに高々と掲げた。広間じゅうに響き渡るように言い放つ。

「ええい、頭が高い! こちらにおわすお方をどなたと心得る! ヴァルハイト公爵家がご令嬢、ミトお嬢様にあらせられるぞ――!」

ぱっと、広間じゅうの頭がいっせいに下がった。さきほどまでの嘲笑は嘘のように、過剰なまでの平伏へと裏返っている。

だが、その完璧な平伏の光景を前にして、ミトの隣に立つロウの目は、一ミリも笑っていなかった。彼はすでに懐から、この国を法的に縛り上げるための一束の書類を抜き出していた。

「――では、国王陛下、ならびに王子殿下」ロウの平坦な声が、平伏する王家一同の頭上に降る。

「我がヴァルハイト家に対する公然たる侮辱、ならびに国際外交儀礼法違反の事実に基づき、損害賠償、および国家信用失墜に伴う『事後是正措置』を法的に要求いたします」

国王が床に額を擦り付けたまま、震える声で応じる。「な、何なりと……ヴァルハイトの利を害さぬよう、全力を尽くしますゆえ……!」

「第一条。本日より三日以内に、この宮殿の鏡および硝子細工を維持している、すべての職人、労働者の実数、ならびに賃金台帳を網羅した『労働者名簿』を、我が方に提出すること。……嘘や記載漏れが一箇所でもあれば、その瞬間に、王室借財の全額一括返済を求めます」

「ろ、労働者名簿……? そのような内政の書類を、なぜ……」

「貴国の硝子細工の製造の工程と、それを支える労働力の実数を『数字』として正確に把握するためです。口約束は、朝になれば薔薇の香りとともに消えますので、すべて文書化していただきます」

ロウは心の中でそう独りごち、羽根ペンを滑らせた。

(……そして、この労働力の実数こそが、我がヴァルハイトの『無形根幹資産』の定義を裏づけ、本国で完璧な網を構築するための、最初のピースとなるのですよ)

痛快なる平伏劇の裏で、本国を揺るがす「論理の罠」の最初の基礎工事が、いま静かに完了した。


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