削られぬもの
「披露の宴」の当日、リリウム女学院の大広間は、大陸じゅうから招かれた名家の当主や夫人たちで、まばゆく満たされていた。卒業を控えた令嬢たちが、最も高く売れる「商品」として磨き上げた所作を並べて見せる品評会。その舞踏序列の頂点には、当然のように、女王ヴィオレッタが立っていた。
披露が佳境に至り、序列の最後の一曲が奏でられた、その時――。本来なら踊る資格などないはずの、地味な編入生ミトが、ふらりと広間の中央へ進み出た。
ざわ、と場が揺れる。ヴィオレッタが扇の陰で目を見張った。地味な衣服を纏っているはずの娘のステップが、すべての装飾を脱ぎ捨てた「剥き出しの格」を現していたからだ。ヴァルハイトの地下倉庫で目利きを仕込まれた彼女自身の本質が、数歩のステップだけで、学園の作った虚飾の序列を、音を立てて崩していく。誰も、目を離せない。実力だけで、彼女は頂点を割ったのだ。
けれど、ミトはその頂点に立ち止まらなかった。ふと踊りを止めると、列席した名家の当主たちのほうへ、静かに向き直った。
「皆さま。この学び舎は本日、見事な“商品”を並べてみせました。けれど――その商品が買われたあと、どうなるか。その本当の『その後』を、ご覧に入れたことは、一度もございませんわね」
セヴリーヌ理事長がすっと前へ出ようとするが、その前に、臨時教師のロウが、一冊の古びた台帳を掲げて立ちはだかった。
「これは、この学院の裏の『操業台帳』です。卒業生が嫁いだ名家への挨拶状を管理する、実務の過程で、私が精査いたしました」ロウの平坦な声が、凍りついた広間に響き渡る。
「セヴリーヌ理事長。あなたが娘たちに施している教育は、過酷な世界から守るための保険などではない。単なる『急速な市場価値の吊り上げと、計画的陳腐化』を前提とした、グロテスクな、人形の使い回しだ。あなたは、その時代の上位名家が好む従順さの流行を統計的に分析し、娘たちをその型に完璧にはめて出荷している。だが、流行は数年で変わる。意思を持たぬよう脳の角を削られた娘たちは、嫁ぎ先に危機が訪れた際、自力でそれを切り抜け、婚家を支える力――すなわち『実務』が皆無だ。結果として、彼女たちは最初の嵐で真っ先に、名家の『不良債権』として切り捨てられ、ここへ戻される。そしてあなたは、戻ってきた彼女たちを『再教育』の名で、流行遅れの返品物として磨き直し、二線級の別の家へ、安値で売り直している。恥の記録は、商売の都合上、成功の記録と同じ台帳に、融けて綴じられているのです」
ロウがめくったページには、赤字で、冷酷な処理区分が刻まれていた。『再縁組、不能。抹消』。列席者のあいだに、ざわめきが波紋のように広がった。当主や夫人たちが、自分たちの知る「出戻り」の不自然な多さに、一拍遅れて気づき始めたからだ。
それでも、セヴリーヌ理事長は折れなかった。「……ええ、お認めしますわ。ですが、世界は女に過酷です。わたくしがあの子たちの角を削らねば、あの子たちは世間の荒波で、もっと惨めだったのですわ。わたくしは、あの子たちを思えばこそ、最善を尽くしてきたのです」
「世間が悪い」と罪をすり替える、善意の確信犯の、強い退却。その一言を塞ぐため、ミトが一歩、前へ進み出た。その声に、初めて冷たい刃を乗せて。
「ええ、世界は過酷ですわ、理事長。だからこそですわよ。その過酷な嵐の中で、あなたは――娘たちから、自分を守るための唯一の屋根を、剥ぎ取っていたのですわ」
セヴリーヌの目が、揺れた。
「考える頭。問う力。自分の値を自分で決める意思。――それは、過酷な世界で一人になったとき、その娘をただ一つ守るための、唯一の『保険』ですわ。あなたはその保険を、嫁ぐ前に剥ぎ取った。嵐が来て放り出されたとき、あなたが磨いた人形には、自分を立て直す“自分”が、何も残っていない。あなたは娘を守ったのではございません。……丸腰にして、嵐の中へ突き出したのですわ」
セヴリーヌの、慈愛という最後の添え木が、音もなく折れた。
広間の扉が開き、リネットが、姉のコレットの手を引いて入ってくる。再教育の奥で声をなくしていたはずの、卒業生。リネットは姉の前に膝をつき、震える手で、ミトがいつか値踏みもなく押しつけた、あの一粒の飴を差し出した。「思い出して、姉さま。誰にも『抹消』させない、姉さま自身の、本当の値を」
長い沈黙のあと、削り取られたはずの姉の唇が、かすかに動いた。「……リ、ネット」声が、戻った。
ミトはゆっくりと、列席者のほうへ向き直った。「角を削れば上等な家具になる、とあなた方は仰った。いいえ。削って、削って、最後に残るもの――その娘“自身”こそが、唯一削られぬもの、唯一溶けぬものですわ。それをあなた方は、いちばん高く売れる飾りと引き換えに、捨てておられたのですわ」
ロウの授業で「考えること」を教わった令嬢たちが、ひとり、またひとりと席を立ち、ミトたちの周りに集まっていく。承認は、完全に剥がれていた。
* * *
裁きは淡々と進み、女学院は、その操業を改めることになった。しかし、すべての娘が救われたわけではなかった。
宴のあと、ミトは目立たぬ令嬢・アデルに声をかけたが、アデルは首を横に振った。「自由は、こわいんです。自分で値を決めるより、誰かにいちばん高く値をつけてもらえるほうが、わたしは安心ですから……」アデルは、自らの意思で、檻に残ることを選んだのだ。
馬車が白い丘を下っていく車内、ミトは窓の外を見つめたまま、ぽつりと呟いた。
「わたくしは、家を取り戻すように、この学園を正しましたわ。けれど、アデルの心を救うことはできませんでした。名の力でも、わたくしの目でも、届かない暗がりが、まだ世界にはある……」
雪の離宮の老人が放った「お前の裁きは、ひと夏で溶ける氷よ」という呪いが、重く胸に蘇る。
「だからこそ、確かめねばなりませんわね、ロウ。わたくしたちが置いてきた是正が、本当に根づくのかを」ミトの目の奥に、甘さのない、より深い戦いへの動機が灯った。
その隣で、ロウが女学院の後援者名簿を再び開き、あの「分家」の名を見つめていた。「ええ。本国へ戻りましょう、ミト。……嵐が、すぐそこで渦を巻いています」
名を完全に伏せ通したまま、ミトは自らの「目」だけで、この仕組みに打ち勝った。だが、来たるべき本国での戦いは、その名すら根こそぎ奪われる、過酷な「紙の罠」であることを、彼女はまだ知らなかった。




