第7話 朝敵討伐の綸旨
年が明け、季節は巡り、秋の気配が近付いていた。
直義の周辺は特に動きもなく、ひとまずの平穏な日々が続いた。世の人々は、上杉・畠山という両腕を失い、謹慎を命じられ出家もしている直義はもはや、政治に関わらず静かに過ごしていくものと思っていた。
ところが──。
絵図面の上を、置かれた駒が動く。
「直義殿。時が来ました」
正行の身体は、この一年ほどで少し自由が利くまで回復していた。胸の皮膚の引き攣りなどはあるものの、痛みは随分と薄らいでいる。左目尻の矢傷も残ってはいるが痛みもなく、それを隠すために白布を頭に巻いて過ごしていた。
「師直の首、取れるやも知れませぬぞ」
直義の目を見て、正行は低い声で言った。直義は何も発せず、ただ口を真一文字に結び、大きく頷いた。
「──ですが」
正行の言葉に、直義は「何事だ?」という表情をした。
「その前に、都を出て吉野(南朝)の帝へ帰順なされませ」
直義は耳を疑い、改めて聞いた。
「楠木、今何と申した? ……吉野の帝に帰順、……と聞こえたが」
「はい。そのように申し上げました」
「何をっ……! 足利が吉野の帝に頭を下げよだと!? これまで戦で死んでいった者達に何と顔向けするのだ! 断じてならぬ!」
叫んだ直義は、横に置く太刀に手をかけた。
「いや待て……。そなたは楠木だったな……。吉野の帝に足利を渡す為に、長い間私をたばかっていたな!?」
吉野の帝は、楠木正行という男を心から信頼していたという。
四條畷へ向かう前、吉野の帝が正行に「生きて戻れ」と直々に言葉をかけて惜しんだという話は、涙を誘う物語として巷間にのぼり、直義の耳にも届いていた。
「たばかるなどございませぬゆえ、まずは話をお聞き下さりませ」
正行は動じる事なく言った。
「頭を下げるのではございませぬ。『名義』です。南朝という『名義』を借りるものとお考えを」
正行は最近ようやく着られるようになった直垂の胸元から、扇を取り出した。
「『名義』だと?」
「はい。さすれば、吉野の帝より綸旨を賜る事ができまする。……『師直を討て』……、という綸旨が」
扇を少しだけ開き、それを口元を隠すように当てて、正行は蠱惑的に言った。
「綸旨が手に入れば、直義殿の戦はただの身内同士の揉め事ではなく……、『朝敵討伐』となりますぞ」
「朝敵……」
直義が呟く。
「師直が、朝敵……」
朝敵を討て。これ以上の大義名分があろうか。
直義は話を聞く気になったのか、太刀から手を放し、居住まいを整えた。
「どれだけ師直に不満を持っていようと、世の武士達は大義名分がなければ動けませぬ。いや──、動きませぬ。されど綸旨さえあれば……、直義殿、あなた様は錦の御旗を手に入れられるのです。御旗の下に、師直や将軍様に不満を持つ者達が集まって参りますぞ」
直義はここでやっと気付いた。
昨年よりずっと、各地に密書を送っていた意味に。これは何の意味があるのだと、時には正行をなじった事もあった。
しかし何度激しく責めたてようとも、正行は表情を変える事なく、
──時が来たらお分かりになりましょう。
としか言わなかった。
それが。
「……今か……」
呻くように直義は言い、正行を見た。
正行が頷く。
「……そして。師直を抑えられぬあなた様の兄君……将軍様は、もはや師直の傀儡。吉野の威光を背負って師直を討ち取れば、武家を束ねる真の棟梁は直義殿、……あなた様ですぞ……」
直義は頭を巡らせる。
現実味のある話に思える。が、
「し、しかし、吉野の帝がお迎え下さるのか……!?」
扇の陰に隠れた正行の口の端が、にやりと上がった。
「ご安心下され。直義殿の書状であっても、必ずや吉野の帝がこの『花押』にお気付き下さります」
正行は文机に置かれた筆を静かに執ると、絵図面にさらさらと書き始めた。
「これは、楠木の者しか知らぬ花押。……あとは吉野の帝にのみ、お知りおきいただいております。直義殿の書状にこの花押があれば、この帰順には楠木の者が絡んでいると気付き、吉野は迎え入れるはず」
「しかし……、もし、帝がお気付きにならなければ」
「帝はお気付き下さる。帝がこの書状をお手にされる事がなくとも……、必ず気付く者が、もう一人おりまする」
そう言うと正行はゆっくりと平伏した。
「もし疑われるのであれば、……この場で私をお斬り下さりますよう」
直義は逡巡する。
気持ちは正行の言う事に傾いていた。だが、思考があちこちと錯綜し、決断ができなかった。
「重能殿、直宗殿のご無念をお忘れか。お二方を失い、お怒りになられるあなた様をお止めしたのは、密書という種を蒔き、時機が来るのを待つため」
──その『時機』が、来たのですぞ……。
正行は平伏したまま低く言った。
「師直を討つのは今です。今のままでは、将軍様は師直を庇うやも……。されど吉野の帝より綸旨を賜れば、将軍様ももはや……」
正行が身を起こす。
「──師直を庇う事はできませぬ」
直義は正行を見た。
「……ほんとうに、……できるのか」
直義の声はかすかに震えていた。
「お任せを。どうか今こそお立ちになり、重能殿、直宗殿のご無念を晴らすためにも、師直をお討ち下さりませ……!
そしてあなた様が、足利の、源氏の棟梁として世を導いていくのです──」
直義は、意を決して大きく頷いた。
──父上。
この正行、足利の者達を決して父上のいらっしゃる極楽などには行かせませぬ。
正時。父上のお傍におるか?
兄は、憎き師直をお前と同じ場所になど行かせはせぬ。
たとえ……、父上とお前に二度と会えなくても。永遠に業火に焼かれようとも。
必ずや地獄に引きずり込んでくれよう──。
もう、どうでもよくなってしまった胸の傷の痛み。それがなぜか、激しく疼いた。
第7話<朝敵討伐の綸旨>をご覧いただきましてありがとうございます!
いよいよ直義が南朝へ向かうようです。
この場面、かなりギリギリまで「花押」ではなく、「印」でした。でも、四條畷で意識不明みたいな状態だった正行が、その後1年以上寝たきりで……、など冷静に考えると「どこに隠し持っていたのだ」とセルフツッコミをするに至り、直前に花押に変更となった次第です。
次回は<吉野からの使者>
ご覧いただけましたら幸いです。
【用語】
■帰順 敵対相手に抵抗するのを止めて、従う事です。
■吉野の帝 後村上天皇の事です。なお、実際にはこの頃は吉野ではなく、賀名生(現在の奈良県五條市)が本拠地だったはずです。
■綸旨 ざっくり言うと天皇の命令書です。
■朝敵 天皇や朝廷の敵の事です。朝敵認定されると討伐対象になり、「逆賊」や「国賊」などと呼ばれます。なお、どちらかというと討伐より「追討」の方がより正確かも知れません。師直追討の綸旨、など。討伐の方がまあ、分かりやすいですかね。
■花押 今でいうサインです。
■錦の御旗 朝敵を討伐する際に官軍(天皇や朝廷の軍)の大将に与えられる旗の事です。




