第4話 首実検
その少し後。
少し離れた師直の本陣。
二つの首級を見下ろした師直は、
「……なぜ正行の首はこれほど潰れているのだ。これでは誰の首か判別がつかぬではないか」
と吐き捨てるように言った。
「本物か? 偽物ではないのか?」
首を持ってきた兵が、跪いて答える。
「このようになっていては、疑われるのは当然の事。されどこの楠木正行殿、己の首が辱めを受けぬよう、また我らに手柄を立てさせまいと、自らの顔を岩に何度も打ち付け、相果てた模様にございます! まっこと、楠木の血を引く者の、凄まじき最期かと……!」
「……うーむ……」
師直は腕を組んだ。
顔が潰れて判別出来ぬ首級と、眉間に矢が刺さった正時の首級。
そして、兵の報告ではこの二人と思われる胴体も見つかっている。
見つかっているのだが。
百戦錬磨の師直の直感が、素直に信じる事を拒んでいた。
「お前がその目で見たわけではあるまいに。正行が岩に顔を打ち付けている所を」
「はっ、我らが駆けつけた時には、既に……」
突如、師直のいる本陣に、わんわんと泣きわめく声が響いた。
何事かと陣内の者達が驚いていると、大声で周りを激しくののしりつつも泣く、ボロボロの鎧を着た男が、師直の前に引き摺り出された。兵たちが地面に抑えつける。
「河内(正行)様の御首級をお返し下され……! どうか我が主君の御首級を……!」
そこに並ぶ二つの首を見、声を枯らしながら男は叫んだ。
「辱めを受けまいとは言え、河内様の御最期は…! あまりにもっ、あまりにも壮絶……! 某は、某はっ」
お供もできず申し訳ございませぬぅぅっっ!
抑えつけられながらも、男は人目もはばからず嗚咽を漏らし、狂ったように叫び続けた。
師直は横目で冷ややかにそれを見下ろす。
「……やかましい……」
いらついた、低い声。
「は……?」
「やかましい。……分かった分かった、うるさくてかなわぬわ! そやつはもう連れて行け、首級も下げよ下げよ!」
なおも泣きわめく男が、再び引き摺られて行くのを見送った師直は、組んでいた腕を解いた。
「伝令!」
「は、ここに!」
師直の前に素早くやってきた伝令が跪く。
「都の御所(尊氏)様に伝えよ。正行、正時の楠木の若造は討ち取ったと。これで南朝も終わりであろう」
師直はにやりと笑った。
* * *
カァ。
カァ、カァ。
真っ赤な空に、烏の鳴き声が聞こえた気がして──、
正行は覚醒した。
見えたのは、数え切れないほど眺めてきた、暗い天井。御簾の外の燭台に、明かりがゆらめいている。
何の音もしない。
夏の夜の暑さにひどい喉の渇きを覚え、正行は傍に置かれた水の入った水注にゆっくりと頭を向けた。自分の力で身体を起こす事ができない正行に、それを取る事は難しい。
だが、正行は身体を走る激痛に耐え、水注に手を伸ばした。
喉が、ちぎれそうなほど渇いていた。
「っ! ……くっ……」
塞がっているはずの胸の傷が、開くのではないかと思う痛み。顔の矢傷も疼いた。
やっと、指先が水注の載った台に触れた。が、力の加減がうまくできない正行は台を倒してしまい、転がる水注から水がこぼれた。
「…………」
褥から仰向けのままゆっくり這い出し、何とか手を伸ばしたというのに。流れる水を、正行は悲しく見つめるしかなかった。
「河内殿、いかがされた」
台が倒れる音で、介添えの男が部屋に入り、褥から正行が出ようとしていた事に気付いた。
「河内殿……!」
慌てて御簾の中に入った介添えの男は、正行が伸ばしている手の先で、転がって中身がこぼれた水注を見つけた。
「……水が飲みたかったか、河内殿」
男は倒れた台と水注を戻すと、正行の傍に寄り、その身体に乱暴に腕を回した。
「まずは、褥に戻られよ」
男のその力に、正行の身体が強張る。介添えの男は、正行を半ば強引に褥に戻した。
──この男は、誰だ?
介添えなど、恐らくした事はないだろう。力の加減はまったくなかった。
激痛とともに、正行の身体に戦慄が走る。
──何者だ?
男は一度部屋を出て行くと、しばらくして水を持って戻って来た。
「一人では水も飲めますまい」
男は微かに嗤うと、水を椀に注ぎ、再び正行の背中に腕を回して力任せにその身体を起こした。
「っっ!」
正行は痛みに顔を歪めた。
先ほど這いずったためか、顔や頭に残る矢傷のために巻かれていた白布が、はらりと落ち、押さえられていた黒髪がさらりと肩にこぼれた。醜い矢傷が露わになる。
痛がる正行を気にする事なく、男はがしりと正行の背中を支えると、水の入った椀をその唇に当てた。
「河内殿。さあ」
正行の渇いた口に水が注ぎ込まれ、喉を鳴らして正行は水を飲んだ。飲み込み切れずに口からこぼれた水が冷たく首筋を伝い、白い小袖の襟元を濡らした。
椀を持つ男の手。正行を支える、男の腕。
これまで正行を介添えしていた者たちの、柔らかく、優しさを感じるものとは明らかに違った。
正行は本能的に鋭く男を見上げた。
「恐い顔をしてどうされた、河内殿。水が飲みたいのではないのか?」
男はそう言うと、不敵に嗤った。
「……お前は。お前は誰だ……? ……どこの者だ……?」
掠れた声で正行は聞いた。
男は口の端を片方だけ上げると、正行の顔にかかる黒髪を払いのけ、左目尻の生々しい矢傷に骨張った指を這わせた。
「かすり傷ですぞ」
「……なん……だと?」
男の指を不快に思いつつも、身動きの取れない正行はその指を払いのける事もできず、ただ睨みつけるしかなかった。
第4話<首実検>をご覧いただきましてありがとうございます!
昔は今のようにTVや写真、ネットがあるわけではないので、顔を知らない人は山ほどいただろうなぁ、と戦の事を考えるとよく思うのですが、首実検などもそのひとつです。師直、実際はこんなに簡単に終わらせてくれるかなぁ、などとも思ったりしてます(笑)。
第1話でまだ正体の知れない正行が、尊氏の前に「学僧」として出ていたので僧の姿をしていると思われた方もいらっしゃるかも知れません……。あの時は一応、御簾が顔を隠していたので、実際には僧だったかどうかは分からないんですよね。何というか、直義なのか正行なのか、とにかく尊氏が来る事になったから怪我をした学僧という事にしよう、という事にしたのではないでしょうか(笑)。
なのでこの場面で髪が出て来て驚いた方がいらっしゃいましたら、ごめんなさい。
次回は<男の正体>
ご覧いただけましたら幸いです。
【用語】
■首実検 戦場で討ち取った首が申告通り、敵将のものか確かめる事です。論功行賞の判定にもなります。
■河内様/河内殿 正行が河内守だったので、こう呼ぶ人は呼びます(多分)。河内国(現在の大阪府東部あたり)のトップ的なイメージですかね。




