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第18話 戦乱の果て

 夕刻。

 正儀《まさのり》は正行《まさつら》と共に夕餉《ゆうげ》を食べてから、隠れ屋敷を立っていった。

 正儀が去った後、正行は廊下に敷いた円座《えんざ》の上で外を眺めていた。日は落ち、山々をうっすらと赤い光が縁《ふち》取っている。あれもしばらくすれば消え、静かな夜の闇が訪れる。

 四條畷《しじょうなわて》で討死《うちじに》したとして、ずっと隠されて生きてきて以来、正行は今更また歴史の表に出て行こうとは思ってはいない。だがこうして弟の元へ帰ってきたからには、持てるすべての力を弟のために使おうと考えている。

 絵図面の上で戦ったあの日。

 正儀が出した駒は、『負けない布陣《ふじん》』だった。あれを見た時、正行は正儀の才能と、何よりも覚悟と信念を感じた。

 どのような道になろうとも、この正儀、命を散らす事は致しませぬ。必ずや生き延び、楠木《くすのき》の家名を潰《つい》えるような事は致しませぬ──。

 ──正儀。兄は、共にお前と歩こう。この命尽きるまで。

「それまで、もう少し待っていて下さりませ、……父上」

 気付けば辺りはすっかり暗い。

 正行は、静かな光を放つ月を見上げた。

「──のう、待てるな? 正時《まさとき》」

 胸の傷を愛おしむように、正行は優しく胸に手を置き微笑んだ。

 夜風が、夏の気配を運んでいた。




        *  *  *




 春風に、桜吹雪が雪のように舞い、折烏帽子にはらはらと舞い落ちる。

 正行は数年前から吉野の小さな館に移り住み、今年も満開の桜の中にいた。

 何度季節が巡ったのかと、この景色を見る度に正行は思う。

 あれから正儀は、時には北朝に、時には南朝にと、見た目には実に節操のない動きをした。敵からも味方からも後ろ指を差される人生だった。

 時に吉野の帝《みかど》とも対立をした。

 それでも。正儀は己の信じる道を止まる事なく歩き続けた。

 隠れ屋敷を訪ねて来ても、正儀はそれを表に出す事はなく、変わらず穏やかだった。正儀の覚悟を知っている正行は、正儀の状況を尋ねる事はなかったが、正儀が帰る際にはそれとなく励ました。正行の意図を感じたのか、その度に正儀は微《かす》かに息を吐くように笑い、「いつまでも兄上に心配をかけられませぬな」と言った。

 今でも思う。訪ねてきた中には、心が折れそうだった日もあったに違いない。

 きっと。正儀にとっては、正行がそこにいる、それだけで良かったのだろう。

 そんな正儀も、もうこの世にはいない。

 永《なが》い時が流れた。

 あの、四條畷での戦は本当にあった事なのだろうかと思えるほどに。もうすっかり痛む事もなくなった胸の傷と、顔に残る矢傷だけが、あれは本当にあった事だと教えてくれる。

 遙か昔、あそこで死んだはずの長兄《ちょうけい》・正行が、結局一番長く生きてしまった。


 舞い落ちる花びらを、すっかり白髪ばかりになった正行は見上げた。

 青空が目に沁《し》みたが、美しかった。

 もう、己を『楠木正行』と知る者はいない。

 父・正成《まさしげ》も、この時代を動かした足利尊氏《あしかがたかうじ》も。そして、その弟の直義《ただよし》も。

 正行はふとこの青空の彼方に、尊氏を想った。直義を想った。どこかで何かが歪んでしまった、この国の上に立っていた兄弟。

 ──何も、兄の手で殺されずとも良かったであろうに。

 昨年の秋の終わり。

 二つに割れていた朝廷が──、国どころか兄弟や一族までも引き裂いて血で血を洗う争いをしていた南朝と北朝が、遂にひとつになった。

 後ろ指を指されながらも。泥水の中に倒れ、それを飲むような思いをしながらも。

 正儀が終わらせたかった、長い長いひどい夢。

 どれだけの血が流れたのだろう。

 どれだけの涙が流れたのだろう。

 あの兄弟ももしかしたら。こんな時代でなければ。穏やかに一生を終えたかも知れない。

 ──正儀。お前にも見せたかった。あと少しで見られた、この太平の世を。代わりにこの兄が、……四條畷で死んだはずの兄が見届けたぞ……。

「父上。見ておりましたか? 正儀の生き様を。正時。我らの弟は、お前と父上の死を何ひとつ無意味にはしなかったぞ」

 その時、一際強く風が吹き、桜吹雪を青空へ舞上げた。正行は思わず、直垂《ひたたれ》の袖で顔を覆う。

 風の中に、懐かしい声が聞こえたような気がした。顔を上げた正行は、わずかに微笑んで胸を触ると、──館に向かって歩き出した。

 正行の歩いた道には、青空からはらはらと落ちてきた花びらが、ただ静かに舞っていた。


                *了*

■歴史に「もし」はありませんが■

第18話<戦乱の果て>をご覧下さいましてありがとうございます。

「もし、楠木正行(くすのきまさつら)が生きていたら」という物語はこれにて終了となります。

高校時代、楠木正行という武将を初めて知った時、ただただ「死んでほしくなかった」と思ったのですが、以降事あるごとにやはり「なぜあそこで死なねばならなかったのか」と思い続け、頭の中で「もし」を描いていました。ただ、「もし」と思ってもここまで細かくは考えてはいませんでしたが……。

※なお、太平記が描くような、悲壮な思いで四條畷《しじょうなわて》に向かったのではないという説もあるようです。


南北朝合一(ごういつ)に向けて弟の正儀(まさのり)は後ろ指を指されながら頑張ったと思いますが、実際にそれを見る事ができなかったのも残念で。なので、この物語で正行に見届けて貰いました。

最後の場面は吉野の桜にしよう、と思っていたのでとにかくここまで辿り着けて良かったです。


でも、室町時代がこの桜が舞うような、安穏(あんのん)とした時代ではない事は、日本史を学ぶ人は知っています。この桜の場面は、そういうちょっと切ない意味も込めたつもりです。


歴史上の人物を扱うのはとても繊細で難しいと思いますが、「IF」とは言え、少しでも楠木正行という武将に興味を持っていただき、そこから実際の歴史を知っていただければとても嬉しく思います。

この物語に時間を割いていただきまして、本当にありがとうございました!


【最後に】

■楔(くさび) 物の継ぎ目や隙間に打ち込み、部品が落ちるのを防いだり、固定したりする道具。反対に、物の隙間に打ち込んで割る道具でもあります。

■四條畷神社 大阪府四條畷市にある、楠木正行を主祭神とした神社です。もし、この時代や正行に興味を持たれた方は、ぜひ足を運んでみて下さい!


【*おしらせ*】

明日もアップがあります!

物語の資料として、時系列が分かる年表のようなものを作成しました!

「IF」がどのように実際に紛れ込んでいるのか、見届けていただけましたら幸いです。

お話を作る時に自分でノートに書き込みながら「あーでもない、こーでもない」と組み立てていきましたが、こうして改めて作ってみるとちょっと「……あらー……」という所もあって、やっぱり難しいですね(笑)。

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