第14話 狂った邸
身体が裂けるかと思うほどの激痛に、もはや声も出ない。視界が回り、様々な色で明滅する。
喉の奥から息を絞り出すような音が出て、肺の中の空気をすべて吐き出した気がした。呼吸とはどうするものだったか。
痛いとか、辛いとか、苦しいとか、哀しいとか。そんな感情とは全く無関係にただ涙がこぼれた。
「痛かったか、正行、すまぬな」
謝りながら、尊氏は正行の肩に直垂を羽織らせた。
「おお、あの時の学僧だ……! あの時もな、御簾が邪魔で邪魔で。本当は正行の顔を見とうて仕方がなくてのう」
気が遠退くほどの痛みに、正行は自力で身体を起こしている事が出来ず、頭を尊氏の肩にもたれかけた。
「おお、三条の若が殿の御慈悲にすがっておる」
──父上の仇に。憎い足利に。
「殿、すっかり懐かれたご様子ですなぁ」
家臣達がざわめく。
ああ、違う──。
あの夜、蓋をしたのだ……。己の心に。我ら兄弟を駒にした足利に復讐するために。
あの夜から、痛みなどどうでもよくなっていたはずなのに。
痛みを感じぬ『鬼』になったつもりでいただけで、本当は、痛くて痛くて仕方がなかったのだ。
気付かないふりをしていたのに。治ったつもりでいたのに。
どうして今、これほどまでに激しく痛む?
その時、彼方から記憶が甦り、痛みに顔を歪めていた正行は、尊氏の肩で目を開けた。
あの四條畷で。眉間と喉笛を射られ、死にゆく正時と差し違えた瞬間の記憶。
この痛みは、正時と同じ痛み。
この傷は、正時が己につけた傷。今はもう、どこにもいなくなってしまった弟が、確かに生きていた証。
──正時。お前はこの痛みで、この兄が『人』だと教えてくれていたのか。この兄が、感情に蓋をした後も、ずっと。
「そうなのか、正行?」
と子どもをあやすように、尊氏が正行の頭に手を置いた。
その瞬間──、
正行は尊氏のその手首を、強く摑んだ。
「──どうしたのだ、正行?」
手首を摑まれた尊氏は怪訝な声を発する。尊氏の手を、己の頭からぎりぎりと引き離しながら正行は顔を上げ、鋭い目で尊氏を見た。
「たか、氏殿……。この血塗られた手は……、っ、何でしょうや……」
「殿っ!?」
背後の家臣達が腰を浮かせたが、尊氏は正行に摑まれている手でそれを制した。
「こ、この度の戦で、……あなたが……。多くの兵を犠牲に……っ、していると、知りました、ぞ……」
「──それがどうしたのだ、正行」
突然尊氏の声色が変わった。
「わしは何一つとして命じてはいない。わしのために、将や兵達は喜んで盾になっているのだ……」
「喜んで……?」
確かにそれはあるのかも知れない、と正行は思う。喜ぶ事はなくても、自らの命を捨てて何かのために、誰かのためにというのは、確かにある。
父・正成や、己がそうであったように──。
だが、そのような者が一人や二人ではない人数がいたとしても。ただただそれを消耗するかのように死なせていくなど、正行には理解しがたい事だった。
「わしがそなたの守りの薄い場所を攻めなかった理由か?」
見透かしたように尊氏は言った。
「なに、手薄な所を攻めたとて、そなたの罠にはまれば、結局兵が死ぬであろう? ならば守りの堅い所を攻めても同じではないか」
尊氏は、手首を握られたまま、目を見開いて正行の両目を食い入るように見た。
「そなたとて、兵の犠牲は仕方がないと思うであろう?」
「わ、たしは……っ! しか、たがないなど、思わぬ……! 誰も死なぬように、死なせぬようにっ、策を……」
「正行」
ぞっとするような低い声。尊氏は手首を摑む正行の手を外すと、今度は自分が正行の両手首を摑み、正行の顔を覗き込んだ。
羽織っている直垂が肩から滑り落ちる。
「若いのう、正行。生に執着するゆえに苦しむのだぞ? わしのために死んだ者? 違うな、そなたの言いようでは、『わしのせいで死んだ者』か」
尊氏は摑んでいた正行の手首を離すと、今度は穏やかに言う。
「優しき男よ、正行。そなたが心配せずとも、あの者達は弔っておる。わしが心を尽くしておるのだ、皆極楽往生しておるぞ」
──な、
「何を……、何を言うて……」
あの時のように。
伝令の報告を受けた時のように。
頭が言葉を理解しようとしない。
「何を言うておられるのでしょうや……」
声が震えた。
目の前で己を覗き込んでいる、『これ』は何だ。
胸の傷が脈打つように痛む。
「殿、三条の若が震えておられますぞ」
「直垂が落ちておりますぞ」
尊氏の背後の家臣達が、滑り落ちた直垂をまた正行に羽織らせるよう促す。
「おお、そうか眠いのか正行? それともここが痛むのか?」
気付かなくて申し訳ない、とでもいうような顔をして、尊氏は正行の胸を小袖の上からさすると、そのまま肩を摑み正行を褥に横たえた。
身体がきしむ。声が漏れる。
尊氏はそんな正行を気にする素振りもなく、落ちていた直垂をそっと上から優しく掛けた。
「そなたは、正成殿から預かった、大切な子だ。痛んだり苦しい時には遠慮なく言うのだぞ?」
と言って、まるで仏のように微笑んだ。
「おや、……雨じゃ」
家臣の一人が背後の庭を顧みる。
降り注ぐ光の中を、静かに雨が降っていた。
「殿、正成殿も殿の御慈悲に喜んで涙を流しておられるようですな」
尊氏も背後を振り返り、雨の降る庭を見た。
「おお、正行、見よ見よ」
「若、お父上のお涙ですぞ!」
正行は痛みと恐怖に、目を閉じた──。
* * *
四月の長旅で、鎌倉に到着した日の夜──。
山科で敗走し東へ落ちた直義は、昨年暮れに駿河で再び尊氏と戦い、そこでもまた、あえなく敗れた。
その後、尊氏と一応の和睦をしたものの、直義は鎌倉でほぼ軟禁のような生活をしていた。
正行はというと、昨年十一月になろうという頃、尊氏の案により鎌倉へ送られる事になった。
「正行は武士であるゆえ、一日中邸の中では気も塞ごう。外に出て、見た事もない景色でも眺めれば痛みも忘れ、気も晴れるであろう。正成殿もそれを願うておる」
こうして正行は、身体への負担も考慮された結果、通常よりも非常にゆっくりと、鎌倉に到着したのだった──。
第14話<狂った邸>をご覧下さりありがとうございます。
京都から鎌倉まで、何か矢鱈時間かけて移動しているなぁ……、とここもセルフツッコミをしていますが、身体へのダメージ考慮やら、ほんとにのんびり富士山やら大きな川やら眺めながら進んで行ったという事にしましょう(笑)。
個人的に足利尊氏という人物は、どうも掴みにくいキャラクターをしていて、非常に描きにくいなと感じました……。ただ、「自分が弔ってやればみんな極楽に行けるからオールオッケーと思っている事にしよう」と決めてからは、だいぶ動かしやすくはなりましたが。
それでも、なぜか人が集まるカリスマ性の高さ、急に引きこもる、戦などでは命の危機になっても恐怖したりせず笑顔さえ浮かべていた、という話もあるので、本当に動かすのが難しいと思いました(汗)。
次回は<直義の最期>
ご覧いただけましたら幸いです。
【用語】
■駿河 駿河湾などの地名もあるので割とメジャーな旧国名かなと思いますが、静岡県(伊豆半島は入ってません)の辺りです。直義は1351年12月に薩埵峠で尊氏に敗れました。




