第13話 三条の若
「なぜ倒れておる! よもや死んでいるのではあるまいな!?」
鎧を鳴らしながら、供を引き連れて尊氏が陣内に入ってきた。
扇が落ちている。
倒れた床机。
散らばった絵図面の駒。
地面に直垂の大きな袖を広げて、正行が倒れ伏していた。
「正行! 生きておるか! 直義はどうした!? なぜあやつがいながらそなたがこんな所に倒れているのだ。手荒なまねをされたのか?」
尊氏は自ら正行を抱き起こす。
「ぅあぁっ」
あまりの激痛に、正行は声を発した。
「痛むのか? 直義に刺されてはおるまいな? 正成殿の子を死なせる訳にはいかぬぞ」
顔の矢傷を隠している白布を尊氏が優しくなでると、その手から血がべっとりと付いた。荒い息をしながら苦痛に顔を歪めている正行の顔を、尊氏が心配そうに覗き込む。
尊氏の身体からは、濃い血のにおいがした。伝令の報告からいけばこれは、ほとんどが味方の血なのだろう。
抱き支えられる正行の直垂にも、その血がじわじわとにじんでいた。
つい先ほどまで、味方がどれだけ倒れようと気にもせずにいた男が。これだけの味方の血を浴びている男が。
楠木正成の子ひとりを、心の底から心配している。
「あ……ぁ」
痛い。苦しい。
小さくうめき、正行は眉をひそめて目を閉じた。
尊氏の声が遠退き──、そのまま、意識は深淵へと落ちていった──。
聞いたか、先頃の住吉の戦──。
河内守様は仏のようじゃ──。
冬の寒い中、川に落ちた細川様やら山名様やらの兵を救ったそうな──。
川に落ちた敵兵は弓矢の的になりそうなものじゃがのう──。
河内守様は戦えぬ者を攻撃してはならぬとお命じになられたそうな──。
なんという大将であろうか──。
わしは凍える敵兵に、着る物や食べ物を与えたと聞いたぞ──。
聞けば、馬に乗るような者には馬を与えて都に帰したというぞ──。
世にも稀な、慈悲深き話じゃ──。
ほんに、仏のようなお方じゃのう──。
大鎧を纏い、三ツ鍬形の兜を被った正行は、上も下も右も左も分からぬ暗闇に立っていた。
京の町の者達の声。
……言うな。
言うな!
正行は声のする方向へ叫んだ。左から声がすれば左へ、背後で声がすれば後ろを振り向く。その度に小札が激しく音を立てる。
言うな! 黙れ!
そんな心は……、とうに捨てたと言うのに──。
──ッ!
目を大きく開いた。
明るい。鳥の鳴き声がする。
地の底から勢いよく引っ張り上げられたかのように、正行は突然目が覚めた。
髻はほどかれ、髪は綺麗に梳かれ後ろにまとめれている。顔の矢傷を覆っていた白布もなくなっていた。
胸の傷の痛みは消えてはいない。傷が塞がる前でさえ、こんなに痛んでいただろうか。
正行は痛みを堪え、辺りを見回した。
蔀が全て上げられ、広い庭が見える。明るい光が部屋の中に降り注いでいた。
白くて、眩しいと思った。
光はずっとあったはずなのに。直義に長い間閉じ込められていた生活の中にも、あったはずなのに。それがあった事を思い出せないほど、久し振りに光を見たような気がした。
鳥がさえずっている。
身体を起こしたかったが、激しい痛みにとても起こせるものではなかった。ただ、ひどく喉が渇いた。
気付けば大量の汗をかいていたようで、着替えさせられたのであろう小袖が、ぐっしょりと濡れている。それが、背中や腰に張り付いて不快だった。首筋も汗が流れている。
力の入らぬ手で痛む胸を触ると、いつも巻いていた麻のさらしもなく、大きな傷痕の柔らかな肉感があった。
──また、動けぬ身か……。
目を閉じると、瞼の裏に血塗れの尊氏が浮かび、正行は思わず再び目を開けた。
何もかも通じなかった──。
明らかに味方に甚大な被害が出るであろう守りの堅い場所に突撃し、降り注ぐ火矢と落石を防ぐべく味方が盾になり壁になり、次々と倒れていこうとも。
あの男には何の躊躇もなかった。
たじろぐ事も悲壮感もなく、その身に浴びた味方の血のにおいを振りまいていた。
正行が考えていると、そこに。
庭の反対側の廊下を人が歩いてくる気配。
正行は咄嗟に顔を背けた。
「おや……、起きておるではないか」
正行が横たわる褥を影が覗き込み、嬉しそうな声を上げた。
「おお、お目覚めでございますか」
影の背後で幾人かの声もする。
「ささ、ささ、早う顔を見せよ」
無邪気な声の主は、戦場で血塗れになっていた男──、足利尊氏だった。
尊氏は褥の横に座ると、背いている正行の顔に両手を伸ばし、自らの方へぐいぃっと力任せに向けた。
「──っっ!」
触れられた瞬間正行は息を呑む。無理矢理顔を動かされ、痛みと恐怖が全身を走った。
「殿、楠木殿はお身体が悪いのですぞ。乱暴に扱っては……」
廊下に控えている者が困ったように言った。
「おお、そうであったそうであった」
尊氏は慌てて正行から手を離すと、
「何と呼べば良いのか聞こうと思うていたのだったわ!」
と、手を叩いて笑った。
「久方振りであるな学僧殿。これからは何と呼べば良いかのう?」
──な、何を言うておるのだ?
正行の身体を走る、言いしれぬ不安。
いや……、恐怖。
「殿。この邸の奥にひっそりといらっしゃる楠木の若君ですから……『奥の若』はいかがでしょう」
「うーむ。『若』という呼び方は良いと思うが……、ここは三条の邸ゆえ、『三条の若』はいかがか」
尊氏の背後で、家臣達が正行の呼び名で盛り上がっている。
「楠木殿が生きている事を、うっかり外で話してしもうても勘付かれぬ呼び名にしませぬとなぁ」
──勝手な事を。
なぜされているのか分からぬ無為な話を、正行は天井を見つめて聞いていた。
「他ならぬ正成殿の大切な子ぞ。わしは名で呼ぼう。そなたらは『奥の若』でも『三条の若』でも好きな呼び名を使うが良い」
背後を顧みて尊氏はそう言うと、再び正行を向き
「のう、正行?」
と手を握った。
ぬるりとしたような気がした。
生暖かい、尊氏の手。悪寒が走る。
この男の手は。味方の血に塗れ──!
「た、たか、うじ、殿……」
「おお、どうした正行? 何か食べたいのか? それとも何かほしいのか? 何でも言うてみよ。ん? ん?」
尊氏のそのさまは、まるで幼い子どもに話すようであった。
「殿、そのように苦しそうな楠木殿、いや『三条の若』が、何か召し上がりたいと思われてるようにはとてもとても……、そうでありましょう、三条の若?」
家臣達は苦笑いをしている。
──この者達は何を言うておる……?
先ほどから尊氏も、家臣達も──。
「おお、そうか。起こして欲しかったか!」
言うと尊氏は周りの静止も聞かずに、正行をいきなり抱き起こした。
第13話<三条の若>をお読み下さりありがとうございます!
途中に出て来る「住吉の戦」、これは正行が敵を助けたというエピソードがあり、その話になります。何だかみんなバーサーカーみたいな時代にこんな事したら、優しすぎて生き残れないのでは……、という心配をしてしまう自分がいます。
個人的には「三条の若」という呼び名、ちょっと気に入ってますが、こんな時にそんな話で盛り上がられても、正行としてはただただ困惑というか、薄気味悪く感じるかも知れませんね。
次回は<狂った邸>
ご覧いただけましたら幸いです。
【用語】
■住吉の戦い 1347年11月26日の戦です。旧暦ですが、何にしても冬、寒かったはず。川になんて落ちたら凍えちゃいますね。川に落ちた話は、淀川にかかる渡辺橋の辺りでの話です。
■三ツ鍬形の兜 皇居にある、楠木正成像をご存知でしょうか? あの像の兜がこれです。普通の鍬形に真ん中一本加わってるものになります。正行の兜が実際どうだったのかは分かりませんが、同じ形の兜にしてみました。
■髻 元服した成人男性が髪を頭の上でまとめてる、アレです。より厳密には結った根本の事をいうみたいですね。なお、この時代(より前からですが)、烏帽子や冠を被らず髻を晒す事は、裸を見られるのと同義くらい恥ずかしい事だったようです(徒然草でも見たような)。
■蔀 ざっくり言うと、壁のようなものです。昼間などは引き上げて釣り具に引っかけて開放的にします。神社などで格子状のものが頭上に引っかけられてるのをご覧になった事があるかも知れませんが、あれのイメージと同じですね。




