第12話 通じぬ策
「申し上げます!」
新たな伝令が入って来て状況を伝える。
「火矢と落石の策は間違いなく実行されましたが、敵方の将達は固まる事なく隊を左右に展開、被害を最小に抑えております!」
報告にはっとした正行は、奥歯を噛みしめる。
──尊氏……! さすがに将兵の練度は高いか……。即座に回避させるとは、やはり聞きしに勝る統率力……。しかし、
──さきほどの伝令は何に怯えていた?
「被害最小だと……」
報告を受けた直義は、怯んだ顔で正行を見て、喚いた。
「何をしておる! 早く次の策を立てよ!」
「あの場所は退くのが難しい。退路を断ち……」
「申し上げますっ!!」
血塗れの伝令が入ってきて跪く。
「足利尊氏様がっ……! 火矢も落石も意に介さず、まっただ中を突き進んでおります!」
ドクン。
──馬鹿な。
「難を逃れた者達が、尊氏様の盾になり次々と倒れております!」
「尊氏様が! 倒れていく者達の中を笑みを浮かべて猛進しております!」
「申し上げます! 尊氏様のあまりの異様なさまに、味方の兵達が攻撃するのを恐れております!」
ドクン。
──馬鹿な、馬鹿な。
「上から矢を射かけろ!兄上を! 足利尊氏を仕留めよ!」
直義が叫んでいる。
その間にも、次々と伝令がやってきて告げていく。
「尊氏様のためならばと、皆喜んで盾になっております!」
「尊氏様、薄ら笑いを浮かべながら、直義はどこぞ、学僧はどこぞと叫んでおります!」
「倒れた者達を乗り越え、迫ってきております!」
「申し上げます! 伏兵をしかけた味方の兵達が、尊氏様に畏れをなし武器を捨てて逃走しだしております!」
ドクン。
──馬鹿な馬鹿な馬鹿な。
「尊氏様が真ん中を突破しようとするため、周りの者が続々と壁となっております!」
入れ替わり立ち替わり、伝令はやってくる。
「止められませぬ! どれだけ矢を射かけても……! あれは、あれは!」
正行には状況が全く分からなかった。伝令が何を言っているのか。
言葉は耳に届いているのに、頭が理解しようとしなかった。
「申し上げます!我が方の伏兵の背後より敵方の別働隊が現れました!」
「なぜ別働隊に気付かなかったのだ!」
報告した伝令に直義は怒鳴った。
「あ、あまりの尊氏様の恐ろしさに、め、目が離せず……!」
「楠木! なぜ立て直さぬ!」
正行に直義の声は届かない。目の前が真っ暗で、何も聞こえなかった。
──なにゆえ、策が通じなかった?
「申し上げます! 尊氏様の隊、すぐそこまで迫っております!」
伝令のその報告に、正行は我に返った。直義が馬の鞭を取る。
「もはやこれまで……!」
「直義殿っ!」
正行は直義を止めようと叫んだが、直義は床机に座る正行にぶつかりながら陣の外に出ようとした。
「あっ……!」
正行は床机から飛ばされるように地面に倒れた。絵図面の上の駒が散らばる。
正行は胸を強く打ち、一瞬息が出来なかった。塞がっているはずの四條畷の古傷が、開いたのではないかと思うほど痛む。胸に手を当て、直垂の襟元を握り締めた。
直義とすれ違いざまに、また伝令が入ってきて跪き、倒れている正行に何かを差し出した。
「申し上げます! 足利尊氏様より、……これが……!」
直義が立ち止まって振り返る。胸を押さえて正行は身体を起こした。
伝令の手には書状。
正行は震える手でそれを取ろうとしたが、ずかずかと戻ってきた直義が伝令の手から奪い、書状を開いた。
『楠木正成殿のご子息と相まみえる事ができようとは夢にも思わなかった。せっかく出された策、はまらなければ正成殿に申し訳が立たぬ。次の策はおありか』
書状を持つ直義の手が、滑稽なほど震え、その顔は恐怖で引き攣っていた。
「や、やはり兄上には勝てぬ! 私は退くぞ!」
書状を投げ捨てて、再び直義は陣の外へ出ると、わずかな供を連れて落ちて行った。
そして。
直義の軍は潰走した。
──私はまた、負けたのか。足利の軍勢に。あそこで尊氏を討てたはずなのに。どうして……。
胸の痛みで立ち上がる事もできない正行が退却などできようはずもなく、二つ引両の陣幕の中に一人、取り残されていた。
常識。定石。兵法。
そんなものは、何も通じなかった。
その昔、九州へ追われながらも、そこから怒濤の勢いで、絶望的な状況を巻き返してきた尊氏。正行はその力の片鱗を見たような気がした。
「父上……。『あれ』は何でございましょうや。私の策など何も通用しませんでした……。『あれ』は何でございましょうや……。……父上は、あんなものと正面から戦っていたのですね……」
──これで楠木家の嫡男とは笑わせる。
共に戦うはずだった、利用するはずだった直義にも見捨てられ。
地面に倒れたまま、正行は己を嘲笑った。
第12話<通じぬ策>をご覧下さいましてありがとうございます。
直義が兄に怯えて逃げて行ってしまいました。というか、尊氏はどこでこの手紙を書いたのだろう、とちょっとセルフツッコミも入れつつ、わけの分からないキャラクターだからこそこんな時に手紙を書いた、とも言えるな……、と思ってみたりしています(笑)。
次回は<三条の若>
ご覧いただけましたら幸いです。
【用語】
■別働隊 本隊とは別に個別に行動する部隊の事です。この場面では、伏兵にはまりながらもしっかり別の部隊を裏から回している尊氏の抜け目なさ的な意味合いで使ってみました。
■嫡男 簡単に言うと「跡取り息子」ですね。




