第11話 山科の戦い
山科の寺に置かれた陣に、正行はいた。
身体への負担が大きいため、鎧などは纏わずに直垂姿に綾巻で、床机に座り絵図面を見ていた。
この辺りの地形は狭い。進軍経路は限られる。退路を断てばまさに袋の鼠にもなり得る場所である。
正行は幾重にも兵を伏せ、直義の本隊に追われた尊氏軍を、この地形を利用して叩くつもりだった。
伝令がひっきりなしに戦況を伝えてくる。聞いては絵図面の駒を動かし、伝令にまた新たに指示を出す。
──悪くはない。
じわりじわりと尊氏軍を押しているようだ。そこへ鎧の音も激しく直義がやってきて、正行に言った。
「わずかずつではあるが、我が軍が兄上を押しておるぞ……!」
「伝令に、右翼の守りを薄くするよう伝えました。将軍様の本隊はそこを突破しようとするはず。その先に兵を伏せておりますゆえ……」
「申し上げます!!」
慌てふためいた様子で伝令が入ってきて跪く。
「敵方、手薄の右翼ではなく、守りの堅い中央に突撃しております!」
絵図面を見ていた正行は耳を疑った。
──なにゆえ?
「何……?」
直義が驚きの声を発した。
──いや、そんな事もあるだろう。己が押されているのに敵が手薄になったら、罠と疑う事もある。
ならば。
正行は絵図面の駒を動かす。
「では、この隊を一度退かせよ。そして背後に回り後ろから叩け。中央の隊は押されているように見せかけ、敵方を中へ引き込め」
伝令はすぐに走り去って行った。
「楠木。そなたの力、頼りにしているぞ」
「まずはこの正面にぶつかっている隊の力を削がねばなりませぬ。押されているように見せかけ中央へ引き込み、次にこちら側を手薄にします」
絵図面の上を正行の扇が行き来する。
「さすれば、敵兵は囲まれた恐怖から混乱し、手薄な場所を抜けようと致しましょう」
そこへ。
「申し上げます!て、敵方、囲めば囲むほど士気が上がっているようにございます! 敵方本隊の足利尊氏様、鬼神に取り憑かれたかのような戦いぶり……っ、手薄な場所ではなく守りの堅い方へ自ら突き進んでおります!」
正行の扇が止まる。
「……何だと!? どういう事だ!」
直義が声を上げた。
──なにゆえ?
先ほども手薄な右翼ではなく、中央への突撃だった。だから正行は戦術を変え、敢えて囲い、一箇所逃げ道を作る策にしたのだ。完全に包囲してしまってはそこは『死地』となり、死に物狂いになった敵は、味方にとって致命的な痛手を負わせる事がある。それを防ぐため、逃げ道を作っておく。
そして正行は、その先に兵を伏せていた。
なのに。
──なにゆえ抜けられぬ方へ……?
では。
正行は絵図面を見た。
「攻められている所を押し返してはならぬ。そのまま少しずつ退くのだ。その先にも伏兵がある。そこまで誘い込め」
伝令は「はっ!」と戻っていったが、入れ替わり立ち替わり次々と伝令が入って来る。戦況は目まぐるしく動く。何一つ気を抜く事はできない。
焦りを隠そうともせず、直義は隣で落ち着きなく座っている。
「申し上げます! 敵方本隊、あとわずかで兵を伏せている所まで誘い込めます!」
伝令の声に、直義が立ち上がった。
パチンと正行の扇が鳴る。
「奥まで進ませたら、一斉に上から攻めたてよ」
伝令にそう伝えると、絵図面から視線を上げる事なく、横に立っている直義に
「勝ちましたな」
と言った。
「この先の細い地形に兵を伏せております。これより、上から火矢と落石にて一網打尽に致します」
──直義が先かと思うていたが……、尊氏が先だったか。
絵図面の駒を動かしながら、正行は唇の端を歪める。ズキリと刺さるような痛みが、胸を突き抜けていった。
「も、申し上げます!」
今までとは様子の違う伝令が、転がるように入ってきた。
「敵方を兵を伏せた場所へ誘い出し、我が方、見事上より火矢と落石を浴びせました……!」
伝令は呼吸を乱しながら報告した。
「おお! それでは敵は……! 兄上の隊は壊滅か!?」
直義は嬉々として伝令に尋ねる。
──なんだ? この怯えようは……。
正行の中に、何か得体の知れない不安が湧き起こる。
絵図面を見ていた正行は、呼吸が乱れ、息の吸い方を忘れてしまったようなただならぬ様子の伝令に視線を移した。直義は伝令の報告を待っている。
「さ、されど!」
伝令の目は恐怖の色に満ちていた。
「あれは、あれは人ではありませぬ……!」
半ば悲鳴のような声で伝令は叫んだ。
──何と言った……? 人では……、ない……?
「何だ!? 人ではないとは何だ!? 報告をしろ……ッ!」
苛立ちを隠す事なく、直義は伝令を怒鳴りつけた。
第11話<山科の戦い>をご覧いただき、ありがとうございます。
今回の「山科の戦い」は、完全なる架空の戦です。というか、戦の表現うまく描ける自信なんて何もないのに、なぜ架空の戦まで入れたんだ、と思いながらどうしても必要だったので苦手ながらも頑張った回になります(汗)。少しでもそれが伝わると良いのですが……。
尊氏の不気味さ?不思議さ?も表現出来ているでしょうか??
「首実検(第4話)」の回でも出てますけども、この時代って、「伝令」としての伝令って多分いないのですが、分かりやすさになるべく重きを置くために使用してみました。
個人的には、普通であればどんどん状況の変わる報告が入ってきても、多分正行は把握できるだろうな、と思っていますが、有り得ない事が起きて混乱しているさま、少しでも伝えられると良いのですが……。
次回は<通じぬ策>
ご覧いただけましたら幸いです。
【用語】
■綾巻 この時代辺りの映画やドラマをご覧になった事がある方は、目にされた事があるかも知れません。烏帽子と鉢巻の組み合わせですが、鉢巻の額の部分がクロスになった状態の巻き方です(うーん、うまく伝えられないなぁ……)。
■床机 折り畳み出来る、座る部分に布を張った椅子とでも言いましょうか。
■伏兵/兵を伏せる ざっくり言うと「待ち伏せ」ですかね。待ち伏せしている所に敵を誘導して、打撃を与えます。




