第五話 直しはいたしません
シャルロット様の手紙には、詫びが一行もなかった。
お会いしたく存じます。場所はどこでも構いません。人目のある場所のほうがよろしければ、そのように。
それだけだった。
わたくしは王都の花市の外れにある茶屋を指定した。
先に着いていたのはシャルロット様のほうだった。付き添いは連れていない。
「お呼び立てして」
「わたくしが場所を決めましたので」
向かいに座る。
「三年、一度もお話ししたことがございませんでしたね」
「ございません」
「話しかけようとしたことは、四度あります」
「四度」
シャルロット様は指を折らずにそう言う。
「一度目は、指輪の意匠を見せられた日です」
「二年目の春でございますね」
「はい。二度目は同じ年の秋、三度目は昨年の夏。四度目は、公卓の夜でございます」
「あの夜、わたくしの近くにおいででしたね」
「三歩のところにおりました。あなたが広間を出ていかれるまで、動けませんでした」
その方は器を持ち上げて、口をつけずに置いた。
「あの日、ユリアン様はわたくしに意匠をご覧に入れて、こうおっしゃいました。アニエスがどんな顔をするか見たい、と」
わたくしは黙っていた。
「わたくしは、それを断れませんでした。父がドレスデ侯爵家に借りております。金の話ではなく、領境の話です。断れば来年の測り直しでこちらが不利になります」
「存じております」
シャルロット様の目が動いた。
「ご存じでしたか」
「三年目の春に、ベルモン子爵家の領境の書類を拝見する機会がございました。侯爵家の書斎で」
「では、わたくしがなぜ毎回参りましたかも」
「はい」
その方は器のふちを見ている。
「それでも、わたくしは行きました。断る道がなかったわけではありません。父に事情を話して、代わりに何か差し出す手はあったはずです。わたくしはそれを考えませんでした。考えなくて済むほうが、楽でしたので」
「シャルロット様」
「詫びは申し上げません」
「はい」
「一度、申し上げようとしました。二年目の秋でございます。夜会の廊下でお見かけして、声をかけようとして、やめました」
「なぜでございますか」
「あなたが、お許しになると思ったからです」
そこで初めて、その方がわたくしの顔をまっすぐ見る。
「許していただいたら、わたくしはまた次も行きます。三度目も四度目も。そういう自分がもう見えていました。ですから申し上げませんでした。今日も申し上げません」
店の外で、花を積んだ荷車が通った。
「本日は、別のお願いに参りました」
「伺います」
「わたくしの縁談が、止まりました」
「相手方は、モンフォール伯爵家の三男です。話は去年の暮れから進んでおりました。先方から昨日、しばらく間を置きたいと」
「理由はお書きになっておりましたか」
「書いてございません。書いてある必要もございません」
「はい」
「アニエス様。あなたなら、これを収められます」
来た、と思った。
この方は今、わたくしを頼っているのではない。わたくしがそういう役目の人間だと、知っているだけだった。
三年、この言葉を何度も別の形で聞いてきた。あなたなら何とかなる。あなたに任せておけばいい。頼まれなくても、わたくしはもう順序を組み始めていた。モンフォール伯爵家の当主夫人は音楽をなさる。王宮の楽長に伺いを立てれば、次の季の演目に子爵家の名を出せる。三度伺えば、間を置きたいという話は自然に消える。
「シャルロット様」
「はい」
「収めません」
その方の手が止まった。
「わたくしは、そう申し上げてはいけなかったのでしょうか」
「いけなくはございません。誰でもそう申します」
「あなたは、いつもそうしていらしたので」
「はい。いつもそうしておりました」
「わたくしが伺えば、たしかにモンフォール伯爵家は間を置くのをおやめになるでしょう。半年ほどかかりますが、できます。ですが、それをいたしますと、先方はご縁組の相手をシャルロット様ではなく、わたくしとお話しになったことになります」
「それでも、縁談は残ります」
「残ります。そして、次に何かございましたとき、シャルロット様はまたわたくしにお便りをくださいます」
シャルロット様は返事をしなかった。
「わたくしは三年、それをしてまいりました。ドレスデ侯爵家では、誰も自分で詫びられなくなりました。家令のバルトも、品を出す前にわたくしに伺うようになりました。わたくしが去りましたあと、あの家では誰も、どこに何を言えばよいのか分からなくなっております」
「それは、あなたの落ち度ではございません」
「落ち度でございます」
「三年、わたくしはそれを償いだと思っておりました。母の葬儀で泣けなかったので、その分を別のもので埋めておりました。埋めているつもりで、あの家から、自分で詫びる力を取り上げておりました」
シャルロット様が器を置く。
「では、わたくしはどういたしましょう」
「ご自分でお書きくださいませ」
「わたくしが」
「モンフォール伯爵家の当主夫人へ。詫びではなく、事情のご説明を。公卓の件でご心配をおかけしたこと、ご自分がどういう立場でその場におられたか。書けるところまでで結構でございます」
「書けません。そういう文を書いたことがございません」
「はい。ですから」
持ってきた紙を机に置く。白紙である。
「お書きになったものを、わたくしが直します。書くのはシャルロット様です。直すだけでしたら、二度目からご自分でおできになります」
シャルロット様は白紙を見ている。それから、それをこちらへ押し返そうとして、途中で手を止めた。
「意地悪でいらっしゃいますね」
「そうかもしれません」
「三年、あなたに一度も謝れなかった者に、書け、とおっしゃる」
「謝罪ではございません。ご説明でございます」
その方は白紙を取った。
「一つ、お尋ねしてもよろしいですか」
「はい」
「あの夜、泣かなかったのはなぜです」
「泣けないのでございます。生まれつきそうなのだと思っておりました」
「そうではなかった、と」
「まだ分かりません。ただ、あの夜わたくしが泣きましたら、あれは冗談になっておりました。冗談になれば、シャルロット様は四年目の冬にもお呼ばれになっておりました」
シャルロット様の指が、膝の上の紙を一度押さえた。
「四年目」
「はい」
「そこまで考えて、泣かなかったのですか」
「考えたのは、あとでございます」
その方は笑わない。笑わずに、少しだけうなずいた。
「もう一つ、伺っても」
「はい」
「その白い紙は、いつからお持ちでしたか」
「家を出るときに、机から取ってまいりました」
「わたくしが何を頼みに来るか、ご存じだったのですね」
「見当はついておりました。ですが、白紙を差し上げるか、代わりに書くかは、ここに来るまで決めておりませんでした」
「どちらで決まったのですか」
「あなたが、詫びは申し上げませんとおっしゃったところで」
シャルロット様が膝の上の紙を見る。
別れ際、店の外でシャルロット様が言った。
「ユリアン様が、三日前にうちへいらっしゃいました」
「さようでございますか」
「父に会えず、わたくしのところへ来られました。君だけは分かってくれるだろう、と」
「なんとお答えになりました」
「何も。三年、わたくしはあの方に一度も何かを言ったことがございません。呼ばれて行っただけです。それに気づいたのが、三日前でした」
荷車がもう一台通った。シャルロット様は道を渡って、振り返らずに歩いていく。
家に帰ると、オルシー男爵家から手紙が届いていた。
用件が書いていない。湿地の水位が今年は低いこと、去年より二寸低いこと、その二寸で床下の匂いが変わることが、三行だけ書いてある。最後に、以上でございます、とあった。
以上、とは何が以上なのか、しばらく分からない。
その夜、机の上に置いたままの返書の隣に、調停局の書式を戻した。手紙は、たたんで返書の下に入れる。
翌朝、わたくしは書式に自分の名前を書いた。ヴァルニエ伯爵令嬢ではなく、アニエス・ヴァルニエと。爵位のない者も座る席だと、マノン殿は言っていた。
三日後、調停局に届け出た。
最初に机に置かれた案件の表書きに、ドレスデ侯爵家の名があった。




