第三話 返された品
四日後の使いは、箱を抱えていた。
ドレスデ侯爵家の従僕だった。玄関で膝をついて、その箱を差し出す。
「ロベール男爵家より、お返しがございました」
蓋を開けた。銀の燭台が二本。台座に彫られた紋に見覚えがある。今年の四月、ロベール男爵家の婚礼へ、ユリアン様が二度目の祝いとして贈らせたものだった。
二度目は、当主の弟のほうの婚礼と取り違えて出された品である。わたくしは半年かけて、この品をお納めいただく話に持っていった。
「お手紙も預かっております」
従僕は二通を出した。一通は侯爵の封。もう一通は、封蝋が押しきれていない。
侯爵の手紙から開けた。
ロベール男爵家より返礼の辞退があった。理由の記載はない。先方への使者を三度出したが、いずれも当主が不在であるとのことである。心当たりがあれば教えてほしい。
心当たりならある。
半年のあいだ、わたくしは月に一度ロベール男爵夫人の茶会へ伺っていた。品を納めていただく話ではなく、庭の話をしに。夫人が話を切り上げなくなったのは四度目からで、品の話を切り出せたのは五度目だった。あの品は、侯爵家がお納めくださったのではない。夫人がわたくしのために納めてくださったのである。
その月に一度が、今月は止まっている。
もう一通を開けた。
短い手紙だった。文字が急いでいる。
君のせいで父上が困っている。二十七件というのは君が勝手に作った借りだろう。三年、私は君に何も頼んでいない。君が好きでやったことを、いま私の落ち度のように父上へ示すのは卑怯ではないか。戻ってこい。戻れば全部元に戻る。
三年、私は君に何も頼んでいない。
そのとおりだった。頼まれたことは一度もない。頼まれないから、わたくしが先に行った。
わたくしは手紙を置いて、従僕に返事を伝えた。
「侯爵様には、ロベール男爵夫人へは品ではなくお手紙を差し上げるようお伝えください。品を重ねますと、先方は三度目とお受け取りになります」
「ユリアン様へは」
「ございません」
従僕は少し待って、それから礼をして帰った。
夕方まで、わたくしは自分の部屋にいる。
書くものがないというのは、思っていたよりも手の置き場に困る。三年、この時刻には必ず机に向かっていた。誰へ、何を、どの順で。
戻れば全部元に戻る、と手紙にはあった。
元に戻るというのは、四年目の冬にまた同じことが起きるという意味である。あの方は次に何を燃やすだろうか。母の手紙はもうない。
その日の午後、二通目が来た。
オルシー男爵家の封だった。宛名がヴァルニエ伯爵令嬢アニエス様となっている。侯爵家を通していない。
このところ、貴家からのお便りが途絶えております。当家は詫びを求めておりません。ただ、途絶えた理由が貴女様のご都合によるものであれば、当家からご挨拶を差し上げるのが筋と存じます。
差出人は、レナート・オルシー。
わたくしはその手紙を、二度たたみ直した。
父に行き先を告げると、供をつけると言われる。断った。三年、詫びに行くときはいつも供をつけなかった。人が多いと、先方が受け取りを断りにくくなるので。
三日後、オルシー男爵家の応接に通された。
去年の秋に来たときと同じ部屋である。壁の低いところに水の跡があった。
レナート様が立って待っている。
「お呼び立てして申し訳ない」
「こちらこそ、お便りを差し上げず」
「その話をしに来ていただいたのではありません」
椅子を勧められた。お茶は出なかった。代わりに、机の上に紙が一枚置いてある。
「昨秋、貴女は四通目の詫び状を持ってこられた。あれから当家は、一度も返事を出していない」
「お返事をいただく筋のものではございませんので」
「筋の話をします」
レナート様は紙をこちらへ向けた。当家からの返書、と表題がある。日付は去年の十一月。
「書いてありました。ずっと。出せなかったのは、宛先を侯爵家にすべきか貴女個人にすべきか、当家で決められなかったからです。侯爵家に出せば、貴女が持ち帰って処理する。貴女に出せば、貴女が一人で背負う」
「どちらでも、わたくしが読みます」
「それが問題だと当家は考えました」
わたくしは返す言葉を探した。
「四日前、侯爵家の使者が来ました。三度目です。父は会いませんでした」
「なぜでございますか」
「使者が持ってきた口上に、湿地の話が一言も入っていなかったからです。侯爵家は、当家が何を言われて怒ったのかを、いまだにご存じない」
「口上を組まれたのは、どなたでございましょう」
「若様のご署名がありました」
去年、ユリアン様が笑ったのは、まさにその湿地だった。詫び状の四通目に、わたくしはその一語を必ず入れた。
「昨秋、貴女はなぜ詫びるのかと私が伺ったとき、当然のことだとお答えになった」
「覚えておいででしたか」
「当家の帳の隅に書いてあります。当然のことです、と。私はあの一行を、一年近く読み返していました」
レナート様が椅子に座り直す。
「あれは当然ではありません。侯爵子息の言葉を、婚約者が詫びて回る決まりはこの国のどこにもない。当家はそれを、去年のうちに申し上げるべきでした」
「申し上げていただいても、わたくしは同じようにしたと思います」
「でしょうね。だから返書を出さなかった」
そう言って、その方は少し笑った。責める笑い方ではなかった。
「今日お呼びしたのは、別の用件です」
「はい」
「王都の調停局に、貴族間の詫びと和解を扱う席があります。当家はそこと取引がある。先任の調停役がマノンという方で、いま人を探している」
「調停局は、たしか王宮の管轄でございましたね」
「儀典とは別の系統です。爵位のない者も座ります。当家の父も若いころに二年おりました」
「わたくしは、資格を持っておりません」
「二十七件」
わたくしは顔を上げた。
「侯爵家の家令が、当家の使いにそう漏らしたそうです。三年で二十七件、公になったものは一件もない。マノン殿にその数を伝えたところ、それは資格ではなく職歴だと言われました」
職歴。
三年、書き挟みが厚くなっていくのを、わたくしは償いの記録だと思っていた。母の葬儀で泣けなかった娘が、泣けない代わりに埋めていたものの分量だと。
誰かがそれを、別の名前で呼んだのは初めてだった。
「お返事は急ぎません」
レナート様は立ち上がって、返書の紙をこちらへ寄せた。
「これはお持ちください。宛先を決めるのは、当家ではなく貴女です」
帰りの馬車で、わたくしはその紙を膝の上に置いていた。開かない。
伯爵邸に戻ると、門のところに侯爵家の馬車が停まっていた。誰も降りていない。御者だけが手綱を持って待っている。
わたくしは横を通って中へ入った。声はかからなかった。
父が玄関に立っていた。手に封を持っている。
「王宮のフォルジュ卿から来た」
「なんと」
「婚約の記載を名簿から外す手続きが済んでいないそうだ。侯爵家が書類を出しておらん。卿は、どちらの家の落ち度かを問い合わせてきておる」
父の手から、その封を受け取らない。
三年前なら、その場で受け取って、その晩のうちに書いていた。
「お返事は、侯爵家へ回してくださいませ。うちの落ち度ではございません」
父はわたくしの顔をしばらく見ていた。
「お前、そういう言い方をするようになったな」
「はい」
その夜、机の引き出しを開けて、オルシー男爵家の返書を入れた。書き挟みのあった場所に、紙が一枚だけ入っている。
閉めるとき、少しだけ手が止まった。
フォルジュ卿の問い合わせに侯爵家が答えたのは、それから十日後のことだった。答えた者の名は、ユリアン・ドレスデとなっていた。




