第25話 戻ってしまう道 ―― 中編「直したはずの道」
◆◆◆
朝、窓が開く音で目が覚めた。
冷たい風が頬を撫で、毛布の中へ入ってくる。肩まで引き上げようとすると、窓際から声がした。
ゼピュロス「マスター、起きて」
直也「……荷車、もう出る?」
ゼピュロス「まだ。朝ご飯がなくなるわよ」
体を起こした。
卓には切ったパンが並び、ノトスがすでに食べている。ポン太は俺の分を指で示してから、布を畳んだ。
ポン太「残してあるぜ」
直也「なら、もう少し穏やかに起こしてくれ」
ゼピュロス「起きたじゃない」
直也「そういう問題じゃないんだよ」
直也「ALMAは起こしてくれないのな」
ALMA『ゼピュロスが対応済みです』
リィナが水筒を渡してくれた。顔を洗って戻る頃には、ボレアスも毛布を畳み終えている。
小屋を片づけ、借りた鍵を返すと、御者が荷台のそばで手を上げた。
昨日回収した木材は別の場所へ下ろされ、荷車には工房へ届ける分が積まれていた。割れた端を落とした板も、縄でまとめられている。
御者「忘れ物はないか?」
直也「大丈夫です」
ポン太「手伝いが要る時は、先に声を掛けてくれよ」
御者「ああ。まずは昨日の道を確かめよう」
車輪が回り始めた。
集積所を離れると、ゼピュロスが道の先へ向き直る。
ゼピュロス「じゃあ、見てくるわ」
直也「溝の手前で教えてくれ」
ゼピュロス「分かってる。先に通さないでよ?」
軽く手を振り、朝の道を駆けていく。
ノトスは荷車の横へ並んだ。御者が荷台へ気を配るのを見て、少し外側へ寄る。ボレアスは反対側から車輪を眺めていた。
ボレアス「思うたより遅いのじゃな」
御者「荷があるからね」
ボレアス「妾の方が速いぞ」
直也「競争するものじゃないから」
ボレアスは先へ歩いたが、道が曲がったところで立ち止まった。荷車が追いつくのを待って、御者へ顎を向ける。
ボレアス「どちらじゃ?」
御者「右だよ」
ノトス「速くても道知らねえんだな」
ボレアス「知れば済むことじゃ」
右へ曲がる前に、こちらを睨む余裕はあった。
轍に沿って歩くうちに、木々の間から日が差し始めた。道は乾いているが、日陰には湿った土が残っている。リィナが御者へ休憩場所を尋ね、ポン太は工房へ着くまでの時間を確かめていた。
しばらくして、ゼピュロスが戻ってくる。
今度は、手を振っていなかった。
ゼピュロス「止めた方がいいわ」
御者「溝か?」
ゼピュロス「開いてる。昨日通れたって場所で合ってるならね」
御者が手綱を引いた。道幅に余裕のあるところで荷車を止め、車輪の後ろへ木片を噛ませる。
その先の緩い曲がり角を越えると、道を横切る溝が見えた。
幅は大きくない。歩くならまたげそうだが、荷車の車輪を落としたくはない深さだった。縁には崩れた土が残り、その脇に平たい石が並んでいる。
御者は溝の手前へしゃがみ込んだ。
御者「昨日は、ここに石が入ってたんだ」
直也「この石ですか?」
御者「全部同じかは分からん。ただ、車輪が乗るところには、平たいのがあった」
石の横には、土を掻いたような筋が残っている。溝の両端も、一部だけ均されていた。
ボレアス「誰かが手を入れておるな」
御者「ああ。直した跡はあるんだよ」
昨日通った位置を尋ねると、御者は溝の中央より少し右を指した。反対側には、車輪が通ったらしい跡が続いている。
なのに、その間が開いていた。
ノトス「雨は?」
御者「夜は降ってない」
ゼピュロス「水が流れてる感じもないわね」
覗き込んでも、底に水は見えない。脇の石には湿った土がついているが、流されて転がったというほど周囲は荒れていなかった。
直也「ALMA、深さと幅を見てくれ」
ALMA『測定します』
金白の光が、俺の肩から溝の上へ移った。
御者も荷車から細い棒を持ってきて、昨日車輪を通した場所へ差し込む。道の高さに親指を当て、引き抜いた棒を見た。
御者「これなら、板を渡せば……」
言いかけて、もう一度棒を差し込んだ。
親指の位置が、少し下がった。
御者「ん?」
直也「場所が違いました?」
御者「いや、ここだ。同じところに入れた」
ボレアスが縁へ顔を近づける。
ボレアス「土を押し込んだのではないか?」
御者「強くは突いてないんだが」
今度は棒をゆっくり下ろした。御者の親指は、最初の位置と次の位置の間で止まった。
溝の底を見つめたまま、誰も声を出さなかった。
目の前で沈んだようには見えない。
直也「ALMAは?」
ALMA『同一箇所の測定結果が一致しません』
直也「測る場所を変えてないんだな?」
ALMA『はい』
御者が棒を持ったまま、顔を上げた。
御者「見間違いじゃないのか」
直也「まだ、何が違ってるのかは分かりません」
深さの数字を聞くのはやめた。どれかを選んで、通れることにするわけにはいかない。
直也「荷車は、まだ動かさないでください」
御者「ああ。俺も、ここへ乗せる気にはならん」
棒が溝から抜かれた。
ノトスは縁の土を靴先で確かめ、足を置き直した。それから脇へしゃがみ、平たい石へ両手を掛ける。
ボレアス「何をする気じゃ?」
ノトス「戻す」
ボレアス「なぜ、それが脇にある?」
ノトス「知らねえよ。だから入れてみるんだろ」
石が地面から離れた。
ボレアス「昨日も入っておった。それで今は、そこにあるのじゃぞ」
ノトス「見てるだけじゃ、荷車が動かねえ」
ボレアス「入れた後、車輪が乗った時にも残っておると言えるか?」
ノトスが御者を見た。
御者は答えず、荷台へ目を向ける。
ノトス「……じゃあ、どうすんだよ」
ボレアス「そこを考えておる」
ノトス「待ってる奴がいるんだぞ」
持ち上げた石は、まだ手の中にあった。
直也「試すなら、先に通す場所を決めよう」
ノトス「ここだろ」
直也「それを確かめたい。埋まったように見えても、下がどうなってるか分からない」
ノトスの眉が寄る。
直也「全部触ると、どこが変わったのかも分からなくなる」
ノトス「1個だけならいいのか?」
直也「入れたから通れる、とはしない。それでもよければ」
ノトスは石を見下ろしたあと、溝の手前へ置いた。
元の並びから、少し離れた場所だった。
ノトス「先に決めろよ」
直也「うん」
御者と一緒に、車輪が通る幅を確かめる。昨日の轍をたどり、溝の縁に足を置いてみたが、踏み込む前に御者から肩を押さえられた。
御者「そこは欠けてる」
直也「……ほんとだ」
草の下に、土のない部分があった。
足を戻し、しゃがんで覗き直す。
書類の上なら一直線で済む道も、現場へ来ると足の置き場から相談になる。会社を辞めても、現物確認は追いかけてくるらしい。
ポン太「旦那、迂回の方も聞いていいか?」
直也「頼む」
御者「戻って街道へ回る道はあるよ。ただ、坂がきつい」
ポン太は荷台を見てから、曲がり角の向こうを振り返った。
ポン太「この荷で上れるかい?」
御者「一度、半分下ろせばな」
ポン太「往復が増えるんだな」
御者「工房に着くのも遅くなる」
ポン太「なら、向こうへ知らせる手も考えねぇと」
通れなければ遠回り、だけでは済まないらしい。下ろした木材を置く場所も、人が残る必要も出てくる。
リィナが水筒を持ってきた。
リィナ「御者さん、少し飲んでください」
御者「ありがとう」
リィナ「待つなら、荷車のそばの方が日陰です」
溝の縁へ集まりかけていた俺たちは、いったん道の広い側へ戻った。ノトスだけは石の近くに残り、腕を組んでいる。
ボレアス「まだ入れる気か?」
ノトス「場所が決まったらな」
ボレアス「せっかちじゃのう」
ノトス「お前は考えすぎだ」
その間をゼピュロスが抜け、道の先へ目を向けた。
ゼピュロス「ここだけなのか、見てくるわ」
直也「ほかにもあったら教えてくれ」
ゼピュロス「人が通れそうなところもね」
今度は曲がり角を越える前に、足元を確かめていた。溝の端を避け、道脇の高くなった場所から向こう側へ渡る。
俺たちは荷車へ戻り、御者と待てる時間を相談した。
工房へ知らせるなら、歩く者が先に行く方法もある。ただし、この先にも通れない場所があるなら、それも簡単ではない。
ノトスが戻ってきたのは、その話をしている途中だった。
荷車の車輪へ背を預けかけ、ポン太に止められる。
ポン太「そっちは駄目だぜ。止めてる木が外れる」
ノトス「……こっちは?」
ポン太「その切り株ならいい」
ノトスは切り株へ腰を下ろした。
ボレアスも隣へ行きかけたが、座る場所がないと分かると、そのまま立って道を見ていた。
やがて、ゼピュロスが戻ってくる。
ゼピュロス「先に人がいるわ」
直也「通れた?」
ゼピュロス「歩く分にはね。少し先で、道を直してるみたい」
御者が腰を上げた。
直也「話はできそう?」
ゼピュロス「声を掛ければ。まだ、こっちには気づいてないと思う」
ゼピュロスが示したのは、木々の間から見える道の先だった。
荷車の脇から少し位置を変えると、遠くにしゃがんだ人影が見えた。
少女だった。
立ち上がって数歩移動し、また地面へ膝をつく。脇にある石を選び、土の上へ置いてから、手でその周囲を払っていた。
しばらく確かめて、別の石へ手を伸ばす。
こちらへ助けを求める様子はない。
直也「昨日ここを直したのも、あの人かもしれないな」
ゼピュロス「聞いてみればいいじゃない」
肩の横で、ALMAの光が動いた。
ALMA『未確認反応は1件です。現在の推定方向は、道の先と重なります』
少女はまた立ち上がった。
今度は、少し離れた地面へ回り込む。通ってきた場所を振り返り、そこへ戻ってしゃがんだ。
声を掛けるには、まだ遠い。
ノトスも切り株から立ち上がり、俺の隣で道の先を見ていた。
◆◆◆(直したはずの道)◆◆◆
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次回更新予定:11月3日(火)になります。
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