第25話 戻ってしまう道 ―― 後編「そこはまだ踏まないで」
◆◆◆
御者とポン太に荷車を任せ、ゼピュロスが通った道脇へ向かった。
高くなった土の上を選び、溝の端を回り込む。向こう側へ出ると、しゃがんでいた少女の姿が木々の間から見えた。
近づいても、少女はすぐには顔を上げなかった。
片手を土へつき、もう片方で石の縁を押さえている。少し力を緩めてから、石が傾かないことを確かめていた。
直也「ちょっと、聞いてもいいか?」
少女は指を止めてこちらへ目を向けたが、すぐに石へ視線を戻した。
「今、手を離すとずれるから。これを置いてからにしよう」
俺たちは道の端で待った。
少女は石の下へ小さな欠片を差し込み、ゆっくり手を離す。少女は立ち上がると、膝についた土を払った。
ゼピュロス「向こうで荷車が待ってるの。道のこと、聞いてもいい?」
「何を聞きたいの?」
直也「向こうの溝、昨日は埋まってたらしいんだけど。直したのは?」
「……ウチ。荷車が通るところだけだけどね」
少女は、俺たちが来た方を見た。
直也「今朝は、また開いてた」
「そう。ここも石が脇に戻ってたから、先に直してたんだ」
足元には、並べ直された石があった。まだ手をつけていない場所にも、平たい石がいくつか寄せられている。
直也「どうして戻るんだ?」
「それは、ウチも分からない」
土のついた指が、道の中央を示した。
「昨日はここに置いた。今朝はあっちにあった。動いたところは見てないから、誰かが動かしたのかも分からないんだ」
ノトスが脇の石を見た。
ノトス「これも使うのか?」
「使うよ。でも、そのままでは置けない」
答えを聞くと、ノトスは石へ近づいた。持ち上げるために足を開こうとしたところで、少女が手を伸ばす。
「そこはまだ踏まないで」
ノトスの足が止まった。
ノトス「見てるぞ」
「表面だけ乾いてるからね。下の土を確かめてからにしよう」
少女はノトスの足元ではなく、その横を指した。
「こっちから回って。その石は、ウチの後ろへ運んでくれる?」
ノトスは指された場所と、石を見比べた。
ノトス「……そこならいいんだな」
少女の頷きを見て、ノトスは回り込み、石を持ち上げた。少女の後ろへ下ろすと、腰を伸ばして腕についた土を払う。
ノトス「次は?」
「先に、ここを確かめたい」
膝をついた彼女のそばへ、ボレアスも寄った。ただし、手の届く場所からは少し離れて立つ。
ボレアス「なぜ、そちらからなのじゃ?」
「石を置くところより、手前の土が軟らかいから」
少女は掌を地面へ当てた。
「置いた石が動かなくても、近づく足が沈んだら困るでしょ」
指先の周りで、土の粒が寄った。
掻き集めたわけではない。手は地面についたままで、その下の土だけが浅く盛り上がっている。
小さな窪みが埋まり、石の欠片が横へずれた。
思わず、膝を曲げて覗き込む。
直也「今、どうやった?」
「下に空いてるところがあったから、土を寄せたの」
手を離してから、足先でその場所を押す。すぐには体重を掛けず、縁から順に確かめていく。
ボレアス「見えぬところが分かるのか?」
少女は少し考えてから、首を傾けた。
「触れば分かるところはあるよ。でも、全部ではないからね」
ボレアスが地面を見た。
その隣で、ノトスは運んだ石に片手を置いて待っている。
直也「向こうの溝も、見てもらえるか? 荷車が止まってるんだ」
少女は道の先へ目を向けた。
「見るよ。ここの石を置いてからでいい?」
直也「ああ。急がせて悪い」
石を持つノトスへ、少女が置き場を示した。向きを変えて下ろすと、今度は少女が縁を押さえ、下の土をならしていく。
リィナが、その手へ目を留めた。
リィナ「少し休みませんか? ずっと作業されていたんですよね」
顔を上げた少女は、額へ持っていきかけた手を見て、指についた土を払った。
「ありがとう。これが終わったらにする」
リィナ「では、拭くものを用意しておきますね」
返事を待たずに作業へ戻った少女を、リィナも急かさなかった。
最後の石が収まると、少女は道の端へ石の欠片を寄せた。通る場所をもう一度確かめてから、俺たちの方へ来る。
「荷車は、まだ手前にあるんだね?」
直也「動かしてない」
「じゃあ、車輪を通したいところから見よう」
◆◆◆
最初の溝へ戻ると、ポン太と御者が道の広いところで待っていた。
御者は少女を見て、頭を下げる。
御者「昨日ここを直してくれたそうだね。おかげで通れたよ。ありがとう」
少女は溝の向こう側から、轍へ目を落とした。
「昨日は通れたんだね。よかった」
御者「今日も頼めるかい?」
「まず見せて。荷車の幅も知りたいから」
御者が車輪の位置を示すと、少女は道脇を回ってこちら側へ来た。俺が踏みかけた草の下を覗き、少し離れたところへ手をつく。
ノトスが先ほど置いた石も、そのまま残っていた。
少女は石を見てから、ノトスへ顔を向ける。
「これ、動かした?」
ノトス「脇から持ってきた。まだ入れてねえ」
少女は頷き、溝へ手を入れた。
掌の下で土が寄る。草の下に開いていた隙間が少し埋まり、縁の崩れかけた土が低くならされた。
その先は、まだ開いたままだった。
直也「全部埋めるわけじゃないんだな」
少女は手を引き、土のついた掌を見せた。
「車輪を通すところを、先に作りたい。ほかまで触ると、確かめる場所が増えるからね」
ポン太が御者へ向き直った。
ポン太「待てる時間で、ここを通せるか試そうぜ。駄目なら、迂回の支度に切り替える」
御者「ああ」
ポン太「石運びまでは手を貸す。荷を下ろすなら、また相談だ」
御者「分かった。無理に引かないよ」
リィナは少女に立ってよい場所を尋ねてから、道の広い側へ水筒と布を置いた。
ゼピュロスもそちらへ寄る。ボレアスは溝の縁から離れ、少女の手が動くところを見ていた。
ノトスが、待っていた石を持ち上げる。
ノトス「置くぞ!」
少女は片手を上げた。
「待って。置く前に、その向きを変えてくれる?」
ノトス「合図しただろ」
「聞こえたよ。だから、今なら変えられる」
ノトスは石を持ったまま、少女が指す方へ回した。
直也「合図の前に、手順の確認も要るのか」
ポン太「旦那、石が重そうだぜ」
余計な感想を述べている場合ではなかった。
反対側へ手を添えると、少女が石の両端を示した。
「そこを持って。下ろしたら、すぐに離さないでね」
ノトスと一緒に腰を落とす。
石の底が土へ触れたところで止め、少女が下の収まりを確かめる。少し持ち上げ直してから、もう一度下ろした。
「今度は、ゆっくり手を離して」
指を抜く。
石は傾かなかった。
ノトス「もう1個か?」
「うん。反対の車輪も通るから」
次の石は、最初より薄かった。少女は下へ土を寄せ、石の高さを合わせる。御者が轍と見比べ、車輪の向きについて短く相談した。
置き終わっても、すぐには荷車を動かさなかった。
御者が長い板を持ってきて、石の上へ当てる。少女は端を押さえ、荷重を掛けた時に浮くところがないか確かめた。
それから御者が、車輪を通す場所へ片足ずつ体重を掛ける。
石がわずかに揺れ、少女が手を上げた。
「そこはもう少し直す。いったん戻ってくれる?」
御者が足を引く。
ノトスも石へ近づきかけたが、少女が膝をつくのを見て、その場で待った。
土を寄せ直し、石の下へ欠片を入れる。御者が再び確かめると、今度は揺れなかった。
少女は荷車と道の先を交互に見た。
「急に引かないで。前の車輪が乗ったところで、一度止めてほしい」
御者「ああ」
ポン太「止める声は、そっちから頼むぜ」
少女が頷く。
ポン太は車輪止めを外した。御者が手綱を取り、荷車をゆっくり前へ出す。
車輪の音が近づいてきた。
少女は石のそばへしゃがんでいたが、車輪が乗る前に手を離し、道の外へ退く。
最初の車輪が石へ乗った。
「止めて」
荷車が止まる。
縄でまとめられた木材が、少しだけ軋んだ。石の縁へ土が寄り、俺は下ろしかけた手を膝の上へ戻した。
少女が両側を見て、御者へ顔を向ける。
「そのまま進めて。向こうへ下りる時も、ゆっくりね」
車輪が回った。
石の上を越え、向こう側の轍へ下りる。続く車輪も同じ場所を通り、荷台が溝の向こうへ抜けた。
御者が息を吐いた。
ポン太「通ったな」
ノトスは荷車より、石を見ていた。
ノトス「残ってるぞ」
少女も石へ目を向けた。
「今はね」
立ち上がり、溝の両端を確かめる。
「明日も同じように通れるかは、まだ分からない。帰りにも使うなら、また見てからにして」
御者「ああ。覚えておくよ」
リィナが布を渡すと、少女は今度は受け取った。手についた土を拭き、水筒にも口をつける。
俺は肩の横へ視線を移した。
直也「ALMA、あそこで布を持ってる人、分かるか?」
ALMA『はい。対象を識別できます』
光が少女の方へ向いた。
直也「未確認反応は?」
ALMA『1件です。対象は反応の推定範囲内にいます』
直也「その人から出てるのか?」
ALMA『特定できません。位置精度が粗く、範囲内には荷車や人、石など、ほかの対象も含まれます』
直也「重なってるだけじゃ、決められないか」
ALMA『はい』
少女が水筒をリィナへ返した。
荷車の通ったところへ戻り、石の脇へしゃがむ。土を払う指先を、ゼピュロスが眺めていた。
直也「助かった。ありがとう」
少女は手を止め、こちらを見上げる。
「通れたなら、よかったよ」
直也「俺は直也。名前、聞いてもいいか?」
少女が立ち上がった。
「ウチは、エウロス」
ゼピュロスが、少女へ向き直った。
ボレアスの視線が土から上がる。ノトスは石へ伸ばしかけた手を止め、顔を上げた。
肩の横で、金白の光が小さく揺れる。
ALMA『記録しました』
◆◆◆(そこはまだ踏まないで)◆◆◆
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次回更新予定:11月6日(金)になります。
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