第25話 戻ってしまう道 ―― 前編「席が1つ増えただけ」
◆◆◆
集積所へ戻った頃には、夕日が建物の屋根に隠れかけていた。
足を引きずる作業員を見て、門の近くにいた男が駆け寄ってくる。リィナは事情を尋ねられる前に、軒下の椅子を指した。
リィナ「まず、座ってください」
作業員「もう歩けるよ」
リィナ「歩くのと、働くのは別です」
立ち上がろうとしていた作業員が、素直に腰を下ろした。
崩れた木材は道の端へ寄せたこと、斜面と残った荷物の確認が必要なことを伝えると、男は奥へ人を呼びに走った。ポン太も荷車の状態を説明しながらついていく。
ノトス「運ぶだけなら、オレも行けるぞ」
直也「まず手を洗え。真っ黒だ」
差し出された手には、煤と土がこびりついていた。本人は気にしていないらしく、裏返してから服へ持っていこうとする。
リィナ「拭く前に、こちらへ」
水桶のそばで呼ばれ、ノトスは手を引っ込めた。ボレアスもその隣で指先を洗っている。
直也「それと、荷物を動かしたら作業員に伝えてくれ」
ノトス「端には寄せたぞ」
直也「寄せるだけじゃなくて。場所が変わったのを知らずに探す人もいるから」
ノトス「……面倒だな」
直也「報連相って、だいたいそういうもんだよ」
水を払おうとしたノトスへ、リィナが布を渡した。
ゼピュロス「マスター、今日はここで寝るの?」
直也「そこは、まだ聞いてない」
ボレアス「人には伝えよと言うて、自分の予定は決まっておらぬのか」
直也「俺の報連相まで査定しなくていい」
門の外へ目をやると、来た道はもう薄暗い。肩の横に浮かぶALMAへ、日が落ちるまでに街道へ戻れるか尋ねた。
ALMA『到着前に日没を迎えます』
直也「走れば?」
ALMA『直也さんが継続して走れる距離を考慮しています』
直也「そこまで考慮しなくてもいいだろ」
金白の光は、訂正するつもりもなく浮かんでいた。
しばらくして、ポン太が鍵を振りながら戻ってきた。
ポン太「休憩小屋を貸してくれるってよ」
直也「助かる」
ポン太「寝床だけだぜ。飯はこっちで用意する」
リィナ「台所もお借りできますか?」
ポン太「鍋と水は使っていいってさ」
リィナが鞄の中を確かめる横で、ゼピュロスは早くも小屋の窓を覗いていた。ボレアスは濡れた手を拭き終え、ノトスへ布を渡す。
ノトス「これ、どこに置くんだ?」
リィナ「そこの釘に掛けてください」
布が壁に掛かる。
ノトスはそのまま、俺たちの後から小屋へ入った。
◆◆◆
休憩小屋には、長い卓と不揃いの腰掛けがあった。壁際の棚には器が重ねられ、窓の下には畳んだ毛布も置いてある。
台所から漂ってきた匂いに、ボレアスが顔を上げた。
ボレアス「もう食えるのか?」
リィナ「豆が柔らかくなるまで、もう少しです」
ゼピュロス「気になるなら、器を並べたら?」
ボレアス「急かしてはおらぬ」
そう言いながら、棚へ向かう足は早かった。
干し肉と豆に、分けてもらった根菜を加えた煮込みらしい。鍋を覗こうとしたノトスをリィナがやんわり押し戻し、俺は腰掛けを卓へ寄せた。
ボレアスが器を置いて回る。ノトスの前にも、黙って1つ置いた。
ノトス「ここでいいのか?」
ボレアス「ほかにどこへ置くのじゃ」
席へ座った途端、膝に何かが当たった。
直也「悪い。もう少し詰めてくれるか」
ノトス「こっちも壁だぞ」
ポン太「旦那、俺っちの方も無理だぜ」
ゼピュロス「じゃあ、卓を動かしましょ」
たしかに窓側には余裕がある。立ち上がって端へ手を掛けようとすると、ノトスが先に持ち上げた。
片側だけが。
器が滑った。
ボレアス「待たぬか!」
ボレアスが両手で器を押さえ、ゼピュロスがパンの籠を抱え込む。俺とポン太は慌てて反対側を持った。
直也「合図! せめて合図して!」
ノトス「持ったぞ」
直也「持つ前のやつ!」
ポン太「いったん下ろそうぜ」
ボレアス「ゆっくりじゃぞ。ゆっくり!」
卓の脚が床へ戻ると、台所からリィナが顔を出した。
リィナ「鍋、持ってきても大丈夫ですか?」
直也「待って。先に卓を動かす」
リィナ「では、器はこちらへ」
最初からそうすればよかった。
器を移し、全員で卓を寄せ直す。今度は傾かなかったが、座るとボレアスの肘がノトスの腕に触れた。
ボレアス「そなた、もう少し向こうへ寄れぬか」
ノトス「お前が広がってるんだろ」
ボレアス「腕を組んでおるだけじゃ」
直也「食べる時くらい解いてくれ」
煮込みが配られると、ようやく卓が静かになった。
湯気の向こうで、ノトスが匙を口へ運ぶ。
ノトス「熱っ」
ゼピュロス「あら。火は平気でも、それは駄目なの?」
ノトス「急だっただけだ」
次のひと口には、ちゃんと息を吹きかけていた。
ボレアス「何でも急にするからじゃ」
ノトス「飯まで文句つけるのかよ」
ボレアス「飯だけなら言わぬ。あの木材の下へ飛び込んだ時も、周りを見ておらなんだろう」
ノトス「見たぞ。人がいた」
ボレアス「その上から落ちてくる物も見るのじゃ。そなたまで潰れては、助ける者が増える」
ノトス「待ってたら間に合わねえだろ」
ボレアスの匙が止まった。
ボレアス「……急ぐなとは言うておらぬ」
ノトス「じゃあ何だよ」
ボレアス「急ぐ時ほど、足を置く先くらい見よと言うておる」
ノトスは眉を寄せたまま煮込みを飲み、空いた器を卓へ置いた。
立つのかと思った。
ノトス「もうあるか?」
リィナ「はい。おかわりですか?」
ノトス「うん」
リィナが器を受け取ると、ボレアスも鍋の方を見た。
ゼピュロス「あんたは?」
ボレアス「妾は、残りを確認しておる」
直也「食べたいなら言えばいいだろ」
ボレアス「残っておるなら、もらおう」
差し出された器を、ゼピュロスが笑いながら避けた。
ノトス「これ、誰が作った?」
リィナ「私です。どうかしましたか?」
ノトス「うまいからな」
鍋の中で、リィナの匙が止まった。
ノトス「……もうないのか?」
リィナ「ありますよ」
器へ注がれた煮込みは、最初より少し多かった。
食べ終わる頃には、外から荷車の音が聞こえてきた。崩れた木材を取りに行った作業員たちが戻ったらしい。
ポン太は残ったパンを布で包み、鞄へしまった。
ポン太「朝の分だ。食いたい奴は、今言ってくれよ」
ゼピュロス「ひと口だけ」
ポン太「そのひと口、どれくらいだい?」
ゼピュロス「パンによるわね」
ポン太「じゃあ、パンを見せる前に切っとくぜ」
◆◆◆
食器を洗うリィナへ、ボレアスが棚の空いた場所を尋ねていた。ゼピュロスと鍋を運び、台所へ戻ると、ノトスも水桶を抱えて入ってくる。
縁いっぱいまで入った水が、歩くたびに揺れた。
リィナ「次からはここまでで大丈夫です」
桶の内側を指で示され、ノトスは水面を見下ろした。
ノトス「少なくていいのか?」
リィナ「足りなければ、またお願いします」
ノトス「分かった」
空の桶を戻しに出たノトスが、途中で足を止めた。
軒下には、黒く焦げた廃材がいくつか残っている。作業員がそのそばを通り、荷車へ使える木材を積んでいた。
ノトスの視線が、廃材から荷車へ移る。
しばらくして、桶が元の場所へ戻された。
直也「少し休もうぜ」
ノトス「疲れたのか?」
直也「俺はな」
小屋の入口へ腰を下ろすと、靴の中で指が楽になった。ノトスは隣の柱にもたれ、荷車を見ている。
そこへ、御者と話していたポン太が戻ってきた。
ポン太「旦那、明日はあの荷車についていけそうだぜ」
直也「どこへ行くんだ?」
ポン太「次の宿場の手前にある工房さ。使える木材を届けるんだと」
鞄から地図を取り出し、膝の上へ広げた。ポン太の指が搬出路をたどり、街道へ出るところで止まる。
直也「ALMA、この道から宿場へ行ける?」
ALMA『地図上では接続しています』
直也「実際に通れるかは、まだか」
ALMA『はい。通行状況は未確認です』
小屋から出てきたボレアスが、地図を覗き込んだ。
ボレアス「また、描かれておらぬ道があるやもしれぬな」
ポン太「だから御者に聞いたんだぜ。昨日も通ったってよ」
直也「なら、話を聞こう」
呼ばれた御者は荷台の縄を締め直してから、こちらへ来た。
御者「歩いてついてくるんだって?」
直也「同じ方向なので。邪魔にならなければ」
御者「構わんよ。ただ、速くは走れない」
ポン太「一緒に歩くのと、荷運びの手伝いは別だぜ。頼む時は、先に相談してくれよ」
御者「分かってる。乗る場所もないけどね」
直也「歩くよ」
工房までの道と、途中で休める場所を教えてもらう。御者の指は、街道へ出る少し前で止まった。
御者「面倒なのは、この辺りだ」
直也「坂ですか?」
御者「溝だよ。昨日は通れたんだが、また開いてるかもしれない」
ノトスが柱から背を離した。
ノトス「何が戻るんだ?」
御者「埋めた溝が、元に戻るらしいんだ」
ノトス「土が出てくるのか?」
地図の印を見ても、その様子は想像できなかった。
直也「それは、ご自分で見たんですか?」
御者「戻るところは見てない。別の荷運びから聞いた」
直也「昨日、見た時は?」
御者「埋まってた。車輪を通したから、そこは確かだ」
ALMAへ目を向ける。
直也「道の記録に、溝のことは?」
ALMA『該当する情報はありません』
御者は地図から手を離した。
御者「だが、溝は前からあるぞ。雨が降ると、いつもそこに水がたまる」
直也「昨日の補修は、荷車が通れるくらいだったんですね」
御者「ああ。誰がやったかは知らんけど、助かったよ」
記録にはない。昨日は通れた。
地図を畳む前に、御者が指した場所をもう一度確かめた。
直也「明日は、この道で行こう」
リィナ「溝が戻っていたら?」
直也「手前で止まって、見てから考える。御者さんも、それでいいですか?」
御者「そのつもりだ。無理に突っ込めば、車輪を取られる」
ポン太が頷き、出発時刻と集合する場所を確かめる。朝の積み込みが済んだら、声を掛けてもらうことになった。
ゼピュロス「じゃあ、私が先を見てくるわ」
直也「頼む。荷車より先に分かれば助かる」
ボレアス「戻る溝というのは、見てみたいものじゃな」
ゼピュロス「道も見ててよ?」
ボレアス「分かっておる」
地図を鞄へしまうと、御者は最後の縄を確かめに戻った。ノトスも荷車へ目をやったが、手は出さず、入口の柱へ背を預け直した。
ノトス「朝、出るんだろ」
直也「ああ」
ノトス「なら、寝るぞ」
そう言って小屋へ入っていく。
リィナが水筒へ水を分け、ポン太は朝のパンを鞄の取り出しやすいところへ移していた。ボレアスは毛布を広げてから、寝る場所を選び直している。
窓の下には、先にゼピュロスがいた。
ゼピュロス「ノトス、こっちは朝まぶしいわよ」
ノトス「起きるからいい」
ボレアス「寝ぼけて火を出すでないぞ」
ノトス「出さねえよ!」
リィナ「声は、もう少し小さくお願いします」
ノトス「……分かった」
荷車の音が止むと、小屋の外も静かになった。
水筒を手元に置き、明日の朝すぐ背負えるように鞄を寄せる。肩の横の光へ顔を向けた。
直也「ALMA、朝になったら起こしてくれ」
ALMA『起床時刻の指定をお願いします』
直也「荷車が出る前に間に合うくらい」
ALMA『積み込みの終了時刻は未確定です』
直也「そこは融通利かないのな」
ゼピュロス「私が起こしてあげるって」
直也「じゃあ、頼むよ」
毛布を引き上げようとした肘が、卓の脚に当たった。
夕飯のために動かした卓は、寝る場所へ少しはみ出している。窓際からは、まだ小声の言い合いが聞こえた。
鞄を枕元へ移し、肘の置き場を空けた。
◆◆◆(席が1つ増えただけ)◆◆◆
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