第24話 燃えない理由 ―― 後編「放っとけるかよ」
◆◆◆
集積所を出たのは、日が傾き始める少し前だった。
来た時と同じ搬出路を戻っているはずなのに、行きより少しだけ歩く速度が遅い。
理由はたぶん、俺たちの少し前を歩いている奴だ。
ノトス。
誰も誘っていない。
本人も「一緒に行く」とは言っていない。
それなのに、なぜか普通についてきている。
直也「なあ、ノトス」
ノトス「何だよ」
直也「お前、どこまで来るんだ?」
ノトス「知らねえ」
直也「知らないのに歩いてるのか?」
ノトス「お前らがこっち来たから」
直也「それ、ついてきてるって言うんじゃないか?」
ノトス「違う」
直也「何が違うんだよ」
ノトス「知らねえ」
直也「そこは知らないのかよ」
ノトスは振り返りもしない。
ゼピュロス「いいじゃない、マスター。人数が1人増えたくらい」
直也「その1人をALMAが数えられないから気になってるんだよ」
口にした瞬間、少し空気が変わった。
肩の横に浮かぶ金白の光は、何も言わない。
ボレアスがノトスの背中を見る。
ボレアス「妾の時も、ALMAは分類できずにおったからな」
直也「ああ。ただ、同じなのかどうかは分からない」
ボレアス「分からぬなら、調べればよかろう」
直也「ずいぶん簡単に言うな」
ボレアス「分からぬものを分からぬまま眺めておっても仕方あるまい。先ほど、そなた自身が似たようなことをしておったではないか」
直也「誰の影響だ、それ」
ボレアス「知らぬ」
直也「最近その返し流行ってる?」
ノトス「知らねえ」
直也「お前には聞いてない」
リィナが後ろで笑った。
その時、ノトスの足元で乾いた音がした。
ぱきっ。
全員の視線が下を向く。
古い木箱の破片だった。板は半分腐り、錆びた釘が一本だけ突き出している。
ノトス「……踏んだ」
直也「見れば分かる」
ノトス「オレが壊したんじゃねえぞ」
ポン太がしゃがみ込み、板をひっくり返した。
ポン太「こりゃ元からだな。板が腐ってる。荷車から落ちたまま放っておかれたんじゃねぇか?」
ノトス「ほら」
直也「なんで勝ち誇るんだよ。疑って悪かったけど」
ノトス「壊してねえ」
直也「分かったって」
リィナ「でも、この釘は危ないですね。暗くなったら見えなくなりそうです」
リィナがしゃがむ。
嫌な予感がした。
直也「リィナ。それ、拾うだけでいいからな」
リィナ「はい。危ない物だけきれいにしておきますね」
直也「待て。その言い方は――」
リィナ『お掃除』
淡い光が広がった。
木箱の破片が浮く。
釘が抜ける。
そこまではよかった。
次の瞬間、道の両脇から枯れ葉と小枝が一斉に舞い上がった。
直也「範囲!」
リィナ「え?」
直也「広い広い広い!」
道に積もっていた土埃が消え、石についた泥が落ち、草の間に入り込んでいた木屑まで次々と外へ押し出されていく。
ゼピュロス「すごい。道がきれいになってく」
直也「街道整備を頼んだ覚えはない!」
リィナ「釘が他にもあったら危ないかなと思って、少しだけ広めに……」
直也「リィナの『少し』は信用しちゃいけないって何回学べばいいんだ、俺は!」
ポン太「旦那、靴の泥まで落ちたぜ」
直也「サービス範囲どうなってるんだよ」
ボレアス「妾の裾もきれいになったぞ」
ゼピュロス「私も。髪に葉っぱ付いてたみたい」
直也「なんでみんな得してるんだ」
言った直後、肩掛け鞄の口から紙が一枚飛び出した。
直也「おい!」
空中でしわが伸び、そのままポン太の前へ落ちる。
ポン太が拾った。
ポン太「『携行食購入、追加分』」
直也「読むな!」
ポン太「旦那、こんな紙まで取ってあるのか?」
直也「領収書は捨てると後で泣くんだよ! 元会社員の習性だ!」
ゼピュロス「異世界まで来て経費精算してる人、初めて見た」
直也「俺だってやりたくてやってない!」
ALMA『現時点で経費精算を要求する組織は確認できません』
直也「正論で刺すな!」
リィナ「す、すみません……」
直也「いや、リィナは悪くない。道もきれいになったし、釘もなくなった。俺の鞄まで監査された気分になっただけだ」
リィナ「監査……?」
直也「知らなくていい」
笑い声が上がった。
その中で、ノトスだけが道の端を見ていた。
ノトス「……あれ」
黒い木片がひとつ残っている。
周囲の枯れ葉も泥も消えているのに、それだけは最初からそこにあったように動いていない。
黒い部分にも変化はない。
リィナ「私、あれには何もしてません」
直也「ああ。そのままでいい」
リィナ「はい」
誰も近づかなかった。
ノトスもだ。
中編で椅子を見ていた時と同じように、少しだけ長く木片を見てから、また歩き出した。
それからしばらくは何も起きなかった。
搬出路は緩い下り坂に入り、右手の斜面が少しずつ高くなっていく。
ポン太「この辺、荷車には嫌な道だな」
直也「そうなのか?」
ポン太「ああ。道幅の割に斜面が近すぎる。上から何か落ちたら避ける場所がねぇし、積み荷を高く積んでたら――」
大きな音がした。
ガラッ。
ポン太の言葉が止まる。
前方の斜面で、積み上げられていた木材が傾いた。
その下に荷車が一台止まっている。
作業員が2人。
1人は荷台の横。
もう1人は、崩れ始めた木材のすぐ下にいた。
作業員「おい、離れろ!」
誰かが叫んだ。
木材が落ちる。
俺が声を出すより早かった。
ノトス「放っとけるかよ!」
走った。
直也「ノトス!」
聞いていない。
ノトスは崩れてくる木材へ真正面から飛び込んだ。
両腕を突き出す。
炎が噴き上がった。
だが、燃え残りを試していた時のような小さな火じゃない。
落下してくる木材の前へ、壁のように炎が広がる。
直也「燃やすな! 人がいる!」
ノトス「分かってる!」
炎は木材そのものではなく、その手前へ叩きつけられた。
熱で空気が弾け、落下の向きがわずかに変わる。
それでも全部は止まらない。
太い梁が一本、炎を抜けた。
その先に作業員がいる。
ボレアス「させぬ!」
今度は反対側から冷気が走った。
地面が白く凍る。
落ちてきた梁の端が凍った地面へぶつかり、横へ滑った。
作業員の身体から外れる。
ノトス「まだ来る!」
ボレアス「見えておる!」
さらに木材が崩れた。
ノトスが炎で正面から押し返す。
ボレアスが横から地面を凍らせ、落ちた木材を人のいない方向へ滑らせる。
相談なんてしていない。
互いに何をするか確認すらしていない。
それなのに、妙に噛み合っていた。
ゼピュロス「マスター!」
直也「分かってる! リィナ、作業員を!」
リィナ「はい!」
ゼピュロスが風を細く走らせ、舞い上がった砂埃を払う。
俺とリィナは荷車の脇へ走った。
ポン太はもう片方の作業員を引っ張っている。
ポン太「兄ちゃん、こっちだ! 荷車から離れろ!」
作業員「でも、あいつが!」
直也「2人が止めてる! 今のうちに!」
リィナが倒れた作業員の腕を取る。
俺も反対側から身体を支えた。
直也「立てますか?」
作業員「足が……」
リィナ「無理に立たなくて大丈夫です。直也さん、肩をお願いします」
直也「分かった」
作業員を引きずるようにして、崩落範囲から離れる。
背後でもう一度、大きな音がした。
振り返る。
最後の木材が落ちた。
ノトスの炎が押す。
ボレアスの冷気が地面を走る。
木材は2人の間を抜け、人のいない道の端へ滑って止まった。
静かになった。
ノトス「……終わりか?」
ボレアス「そのようじゃな」
2人とも息を切らしている。
それでも、最初に見たのは互いではなかった。
ノトスは助けた作業員を見る。
ボレアスも同じ方向を見ている。
ノトス「生きてる?」
直也「ああ。怪我はしてるけどな」
ノトス「ならいい」
それだけだった。
自分が何をしたか説明もしない。
なぜ助けたかも言わない。
ノトスにとっては、たぶん説明するほどのことじゃない。
目の前で人が危なかった。
だから動いた。
それだけなんだろう。
ボレアス「貴様、無茶をしすぎじゃ」
ノトス「お前も来ただろ」
ボレアス「妾は状況を見て判断したのじゃ!」
ノトス「オレも見た」
ボレアス「そなたは見た瞬間に飛び込んだであろう!」
ノトス「間に合った」
ボレアス「結果の話をしておるのではない!」
ノトス「じゃあ何の話だよ」
ボレアス「それが分からぬから言うておる!」
直也「お前ら、助けた直後くらい静かにできないの?」
2人が同時に俺を見る。
ボレアス「こやつが!」
ノトス「こいつが!」
直也「はいはい。共同作業の責任分担は後でやってくれ」
ゼピュロス「共同作業ですって」
ボレアス「違う!」
ノトス「違う」
直也「そこだけまた揃うの何なんだよ」
リィナが吹き出した。
助けられた作業員まで、痛そうな顔のまま少し笑っている。
直也「リィナ、怪我は?」
リィナ「足を強くひねっています。それと腕に擦り傷があります。でも、大きな怪我はなさそうです」
作業員「助かったよ。本当に……」
男はノトスとボレアスを見る。
作業員「2人とも、ありがとう」
ボレアス「礼などよい。あの程度、妾には造作もない」
直也「息切れてるけど」
ボレアス「黙れ!」
ノトス「オレも別に」
作業員「でも、助けてくれただろ」
ノトス「……そうだけど」
ノトスが少しだけ目を逸らした。
さっきまで廃材を燃やすかどうかで悩んでいた奴と、同じ奴には見えなかった。
いや。
たぶん、同じなんだ。
考えるより先に手を出す。
燃やしたければ燃やす。
分からなければ試す。
人が危なければ助ける。
ノトスの中では、全部同じ距離にあるのかもしれない。
直也「ALMA」
返事がない。
直也「ALMA?」
一拍。
ALMA『はい』
直也「今の、見てたよな?」
ALMA『崩落を確認しました』
直也「ノトスは?」
沈黙。
直也「……ALMA?」
ALMA『質問の対象を特定できません』
分かっていた答えだった。
それでも、さっきより少しだけ気持ちが悪い。
俺たちは見た。
作業員も見た。
ノトスが走った。
炎を出した。
人を助けた。
その結果が、目の前に残っている。
なのにALMAだけが、その中心にいた奴を見つけられない。
直也「未確認反応は?」
ALMA『1件です』
直也「増えてない?」
ALMA『前回確認時から増減はありません』
直也「……そうか」
ALMA『はい』
金白の光が小さく揺れた。
リィナの治療が終わるまで、俺たちは崩れた木材を片づけることにした。
ノトスも何も言わずに手伝う。
さっき炎を使ったことなど忘れたように、一本ずつ木材を持ち上げて道の端へ運んでいた。
作業員「そっちは捨てる方だ。こっちはまだ使える」
ノトスの手が止まる。
ノトス「使える?」
作業員「ああ。端は割れてるけど、そこを落とせばまだ取れる。全部捨てるわけじゃないんだ」
ノトス「処分するのに?」
作業員「使えるところまで捨てたらもったいないだろ。悪いところを落として、残ったところは別の工房へ回すんだよ」
ノトスは木材を見る。
黒く焦げた部分。
割れた端。
その間に残る、まだ木目のきれいな部分。
ノトス「……燃やさない?」
作業員「燃やす物もある。でも、全部じゃない」
ポン太が横から木材を覗き込む。
ポン太「そりゃそうだぜ。使える物まで燃やしてたら、いくら仕入れても金が残らねぇ。捨てる物と残す物を分けるのも商売のうちだ」
直也「お前が言うと全部金の話になるな」
ポン太「金の話にすると分かりやすいだろ?」
直也「さっきも聞いたな、それ」
ポン太「大事なことは何度でも言うんだぜ」
ノトスは聞いていなかった。
木材を見たまま、何かを考えている。
ノトス「別のやり方……」
小さな声だった。
直也「ん?」
ノトス「何でもねえ」
そのまま木材を、作業員が示した「使える方」の山へ運んだ。
俺は何も言わなかった。
たぶん今は、それでいい。
少しして、作業員が立ち上がった。
リィナ「まだ無理はしないでくださいね。歩けますけど、今日は荷物を運ばない方がいいと思います」
作業員「分かった。本当にありがとう」
リィナ「どういたしまして」
作業員は崩れた木材を見て、ため息をついた。
作業員「集積所から人を呼んでくるよ。ここは一度、ちゃんと積み直さないとな」
ポン太「なら、俺っちが一緒に戻るぜ。荷車も見た方がよさそうだ」
直也「珍しく追加料金って言わないな」
ポン太「怪我人相手にまで取らねぇよ」
直也「そこはちゃんとしてるんだな」
ポン太「旦那は俺っちを何だと思ってるんだい?」
直也「金の匂いを嗅ぎ分ける生き物」
ポン太「前にも聞いたぜ、それ」
直也「大事なことは何度でも言うんだよ」
ポン太が一瞬黙った。
ゼピュロスが先に笑い出す。
ポン太「旦那、今のはずるくねぇか?」
直也「知らん」
少しだけ空気が軽くなった。
結局、俺たちも集積所まで戻ることになった。
来た道を引き返す。
今度はノトスが、俺の横を歩いていた。
直也「なあ」
ノトス「何だよ」
直也「さっき、なんで飛び込んだ?」
ノトスが怪訝そうな顔をする。
ノトス「人がいたから」
直也「危ないとは思わなかったのか?」
ノトス「危ないから行ったんだろ」
直也「……そういう答えになるのか」
ノトス「他に何があるんだよ」
何もないらしい。
褒められたかったわけでもない。
役に立とうとしたわけでもない。
仲間だから助けたわけですらない。
ただ、危ない奴がいた。
だから放っておけなかった。
それだけ。
ボレアス「直也」
少し前から声がした。
ボレアス「何をしておる。遅いぞ」
直也「今行く」
ノトス「お前、歩くの遅えな」
直也「さっきまで俺と同じ速度だっただろ」
ノトス「今はオレの方が速い」
直也「小学生みたいな勝負始めるな」
ノトス「しょうがくせい?」
直也「説明すると長いから忘れろ」
ノトス「変な奴」
直也「お前にだけは言われたくない」
ノトスが少し笑った。
たぶん、初めて見た気がする。
その先では、ボレアスが待っている。
ゼピュロスとリィナもいる。
ポン太は作業員と荷車の話をしている。
ノトスがそこへ向かって歩いていく。
誰も誘っていない。
誰も仲間だとは言っていない。
それでも、さっき俺たちは同じ方向へ走った。
誰かが指示したわけでもない。
ノトスが動き、ボレアスが動き、俺たちも続いた。
理解できているかどうかなんて、たぶん関係なかった。
直也「ALMA」
返事はない。
直也「……ALMA?」
一拍。
二拍。
ALMA『はい』
直也「何でもない」
ALMA『承知しました』
俺は前を向く。
ノトスがボレアスに何か言い、また言い合いが始まっている。
ゼピュロスが面白がって混ざり、リィナが笑う。
そこにいる。
確かに、一緒にいる。
俺たちには見えている。
なのに。
肩の横に浮かぶ金白の光だけが、
まだノトスを見つけられずにいた。
◆◆◆(放っとけるかよ)◆◆◆
ここまでお読みいただきありがとうございます。
次回更新予定:10月27日(火)になります。
よろしければブックマーク・評価などで応援いただけると励みになります。




