第23話 燃えているのに、熱くない ―― 中編「燃え残るもの」
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丘を下り、煙の方角へ進む。
近づくにつれて、最初に高い煙突が見え、その下に石造りの建物がいくつか並んでいるのが分かった。周囲には板材や金属片を積んだ荷車が止まり、荷台から荷物を降ろしている男たちの姿もある。
村ではない。工房とも少し違う。
ゼピュロス「何ここ? 煙突はあるけど、工房にしては荷物が変じゃない?」
直也「俺に聞くな。分かるわけないだろ」
ゼピュロス「最近それ多くない?」
直也「知らないものは知らないんだよ」
ALMA『正確な回答です』
直也「お前は評価しなくていい」
ALMA『今後の参考情報として記録します』
直也「記録もしなくていい」
ALMA『承知しました』
リィナ「直也さん、前を見てくださいね」
直也「はい」
リィナの一言が一番効いた。
坂を下りきると、施設の全体が見えた。
石壁に囲まれた敷地の中には、大きな炉が2基。その周囲に古びた木材、割れた樽、錆びた金具、欠けた道具、用途の分からない部品が種類ごとに積まれている。
煙は、そのうち奥側の炉から出ていた。薄い灰色で、さっき遠くから見たものと同じ色だ。
ポン太「なるほどな。こりゃ処理場だぜ、旦那」
直也「処理場?」
ポン太「使えなくなった物を集めて、燃やせる物は燃やす。潰せる物は潰す。金物なら分けて回収する。街道沿いにゃ、たまにこういう場所があるんだ」
直也「こんな何もないところに?」
ポン太「何もないからいいんだろ。町の真ん中で朝から煙を上げてみろ。商売どころか洗濯物まで台無しだぜ」
直也「それもそうか」
問題は、俺たちの地図にはこの施設が描かれていないことだった。
地図にない村の次は、地図にない処理場。
会社の資料なら、そろそろ右上に大きく「要改訂」と書いて回覧に回したいところだ。
敷地の入口では、作業着姿の男が荷車の中身を確認していた。
俺たちに気づくと、手を止めて怪訝そうな顔をする。
作業員「旅人か? こんなところに用があるようには見えんが」
直也「向こうの丘から煙が見えたんで、何かあったのかと思って来ました」
作業員「ああ……煙か」
男は振り返り、奥の炉を見た。さっきまで普通だった顔が、露骨に曇る。
作業員「何かあったと言えば、あったな。こっちも昨日から、それで仕事にならん」
直也「火事じゃないんですよね?」
作業員「火事なら、まだ分かりやすかった。消せばいいからな」
その直後、奥の炉から炎が大きく噴き上がった。
直也「うおっ!」
リィナ「わっ!」
ポン太「おいおい、大丈夫なのかい!」
反射的に身構える。
だが、すぐに違和感に気づいた。
熱が来ない。
これだけ離れているとはいえ、あれほどの炎が上がれば、多少は熱気が流れてきてもよさそうなものだ。それなのに、頬に触れる空気はほとんど変わらなかった。
ボレアスが炉を見つめ、ゆっくりと目を細める。
ボレアス「……妙じゃな。あれだけ炎が立っておるというのに、周囲の熱がほとんど増しておらぬ。妾の冷気とは違う。熱そのものが、外へ出てきておらぬように見える」
直也「やっぱりそう見えるか」
ゼピュロス「氷女が無意識に熱を吸ってるんじゃないの?」
ボレアス「何でも妾のせいにするでない! 妾が冷やしておるなら、もっと分かりやすく霜でも付いておるわ!」
ゼピュロス「じゃあ試してみたら?」
ボレアス「試さぬ!」
直也「今は増やすな」
ALMAの金白の光が俺の肩から離れ、炉の方へ少し近づいた。
ALMA『周辺温度を確認。炎の規模に対し、熱放射量が著しく不足しています』
直也「前の焦げ跡と同じか?」
ALMA『類似性があります。ただし、同一現象であるとの断定には追加情報が必要です』
直也「またそれか」
ALMA『先ほど、会話の分かりやすさも優先するよう要請されました』
直也「で、分かりやすくなった結果がそれ?」
ALMA『はい』
直也「胸張るところじゃないからな」
作業員が俺たちを見比べていた。正確には、俺たちというよりALMAを見ている。
作業員「その光、今の火を調べてるのか?」
直也「たぶん。こういう時は俺より頼りになります」
ALMA『調査は可能です』
直也「ほら」
ALMA『ただし、原因特定を保証した発言ではありません』
直也「客先説明みたいに免責事項を後付けするな」
作業員「……よく分からんが、見るだけなら好きにしてくれ。こっちも原因が分からなくて困ってる」
俺たちは男について敷地の中へ入った。
近くで見ると、積まれている物は本当に雑多だった。折れた椅子、底の抜けた箱、歪んだ鍋、欠けた刃物、錆びた留め具。完全に壊れている物ばかりではなく、まだ使えそうに見える物もかなり混じっている。
リィナが、その中の木箱の前で足を止めた。
リィナ「これも燃やしてしまうんですか? 角が少し割れているだけですし、直せばまだ使えそうに見えますけど……」
作業員「ああ。見た目だけじゃ分からんからな。どこまで傷んでるか調べて、直して、それから使っていいか確認する。その手間の方が、新しい物より高くつくこともある」
ポン太「使えそうなのと、使っていいのは別だぜ、嬢ちゃん。荷を支える道具なんかは特にな。途中で壊れりゃ、中身まで駄目になる」
リィナ「……捨てたくなくても、捨てることがあるんですね」
ポン太「商売じゃ珍しくねぇ話だ」
リィナは少し名残惜しそうに木箱を見たが、それ以上は何も言わなかった。
作業員「その処理が、できなくなった」
男が奥の炉を指差した。
炉の前には、黒く焦げた木材が山になっている。
作業員「昨日からずっとこんな調子だ。最初は燃料が悪いと思って追加した。空気の通り道も掃除したし、火力も上げた。それでも変わらん」
直也「燃えない?」
作業員「いや、燃えるんだよ。それが一番気味悪い。燃えて、焦げて、煙まで出る。なのに、なくならない。朝から何度も炉へ入れてるのに、ずっと残ってやがる」
炎の中では、木材の表面だけが黒く焼け、形はそのまま残っていた。
直也「ALMA、どう見える?」
ALMA『確認しています。燃焼反応を検出。対象表面の炭化も進行しています』
直也「じゃあ燃えてる?」
ALMA『はい』
直也「でも減ってない」
ALMA『はい』
直也「……気持ち悪いな」
ALMA『同意します』
ボレアスが炉の近くまで歩いていった。
熱を気にする様子もなく、燃え残った木材をじっと見ている。
ボレアス「……止まっておるな」
直也「何が?」
ボレアス「変化がじゃ。火も煙も動いておる。木も焦げておる。じゃが、燃やされる側だけが途中で止まり、その先へ進んでおらぬように見える」
ゼピュロス「氷女が言うと説得力あるわね。止めるの得意だもの」
ボレアス「だから妾がやったのではない!」
ゼピュロス「誰もそこまで言ってないけど?」
ボレアス「その顔が言っておる!」
直也「顔で会話するな」
ボレアスは不満そうに鼻を鳴らしたが、炉から離れなかった。
直也「気になるのか?」
ボレアス「当然じゃ。妾の知らぬ現象を目の前にして、見ずに帰る方が気持ち悪かろう」
直也「怖くない? 火だぞ」
ボレアス「妾は氷を扱うが、火を見ただけで溶けるわけではないぞ」
直也「それもそうか」
ゼピュロス「完全に野次馬ね」
ボレアス「旅人じゃ!」
ゼピュロス「同じようなものでしょ」
ボレアス「違う!」
ゼピュロスが笑いながら炉の横を通り過ぎた。
積まれた廃材の間を覗き込み、そのまま反対側へ回ろうとして――途中で足を止める。
あまりに急だった。
直也「ゼピュロス?」
返事がない。
さっきまでボレアスをからかっていた顔から、笑みが消えている。視線は炉ではなく、そのさらに奥へ向けられていた。
直也「どうした?」
ゼピュロス「……いる」
直也「誰が?」
ゼピュロス「分かんない。でも、いる」
直也「見えるのか?」
ゼピュロス「見えてない。音もしてない。でも、あっちに何かいるのは分かる」
声が低い。
冗談を言っている調子ではなかった。
俺もゼピュロスの視線を追う。
炉。積まれた廃材。その奥に作業用の通路があり、何人かの作業員が動いている。
それ以外には何も見えない。
直也「作業してる人じゃなくて?」
ゼピュロス「違う」
ゼピュロスが胸元へ手を当てた。
ゼピュロス「なんて言えばいいのかな。見えてないのに、そこだけ妙に近い感じがするの。知らないはずなのに、完全に知らないとも思えないっていうか……」
その言葉を聞いた瞬間、別の声が重なった。
ボレアス「……おるな」
俺は振り返った。
ボレアスも同じ方向を見ていた。
直也「お前も?」
ボレアス「うむ。姿は見えぬ。音も聞こえぬ。じゃが、何もない場所とは明らかに違う」
ゼピュロスがボレアスを見る。
いつもなら、ここでどちらかが余計な一言を入れる。
今回は言わなかった。
直也「2人とも同じ場所を見てるんだよな」
ボレアス「そうじゃな」
直也「何か分からないか?」
ボレアス「分からぬものを、分かったように言う気はない。じゃが、気のせいで片づけるには、はっきりしすぎておる」
ゼピュロス「私も。……なんか、初めてって感じがしないのよね」
直也「初めてじゃない?」
ゼピュロス「うまく言えないけど……前にもあった気がする」
ボレアス「……妾か?」
ゼピュロス「たぶん。あんたと最初に会った時に近い。でも、同じじゃない」
ボレアスはしばらく黙った。
ボレアス「妾には、近いとは思えぬな」
直也「じゃあ何だ?」
ボレアス「……真逆じゃ」
ゼピュロス「真逆?」
ボレアス「それ以上は分からぬ。妾とは違う。じゃが、まったく知らぬとも思えぬ」
ゼピュロス「……それ、私が言いたかったやつかも」
ボレアス「ならば最初からそう言え!」
ゼピュロス「言葉が出なかったのよ!」
直也「そこで喧嘩に戻るのかよ」
少しだけ力が抜けた。
だが、2人が同じ場所に何かを感じていることは変わらない。
俺は肩の横へ視線を戻した。
直也「ALMA、この先に誰かいるか?」
ALMA『確認します』
金白の光が炉の方へ移動し、小さく明滅する。
数秒。
いつもなら、すぐに答えが返ってくる時間を過ぎても沈黙が続いた。
ゼピュロス「いるわよ」
ALMA『……』
ゼピュロス「いるってば」
ALMA『観測結果では、存在しません』
ゼピュロス「いるって言ってるでしょ!」
ALMA『信頼の問題ではありません。現在の観測結果を述べています』
ゼピュロス「だから、その観測がおかしいって言ってるの!」
ボレアス「妾も同じものを感じておるぞ。もう一度調べよ」
ALMA『……再確認します』
金白の光が強く明滅する。
俺は炉の奥を見た。
何も見えない。
それでも、性格も考え方もまるで違うゼピュロスとボレアスが、同じ方向を見ている。
偶然で片づけるには気持ちが悪い。
ALMA『周辺生命反応、再照合完了』
直也「どうだ?」
ALMA『確認できません』
ゼピュロス「ほら、また!」
直也「待て。ALMA、燃焼異常は?」
ALMA『同方向に偏っています』
直也「2人が感じてる方向と?」
ALMA『はい』
直也「じゃあ、そこに何かある可能性は?」
ALMA『否定できません』
直也「でも存在は確認できない」
ALMA『はい』
直也「……いるのか、いないのか?」
一拍。
ALMA『……判定できません』
誰もすぐには喋らなかった。
ALMAが分からないと言うこと自体は、これまでにもあった。知らないものや、解析に時間がかかるものだってある。
だが今回は少し違う。
ゼピュロスとボレアスは同じ場所に何かを感じている。燃焼の異常まで同じ方向に偏っている。
それなのに、ALMAにはその「何か」だけが見つけられない。
作業員「おい! 離れろ!」
突然、男の声が響いた。
振り向くと、炉の炎が大きく膨らんでいた。
別の作業員たちも慌てて距離を取り始める。炎はさっきより明らかに大きく、屋根の高さ近くまで噴き上がっている。
直也「全員下がれ!」
リィナ「直也さんもです! 早く!」
ポン太「旦那、見物するには近すぎるぜ!」
直也「見物じゃない!」
俺も数歩下がる。
だが、やはり熱くない。
目の前でこれだけの炎が上がっているのに、肌を焼くような熱気が来ない。視覚だけが危険だと叫び、身体の感覚がそれを否定している。
ゼピュロス「……さっきより大きいのに、全然熱くない」
ボレアス「火だけが大きくなっておる」
ALMA『燃焼反応、急激に増大しています』
直也「原因は?」
ALMA『解析中です』
炎が揺れる。
最初は風だと思った。
だが、違う。
何本もの炎の先端が同じ方向へ傾き、いったん戻ったかと思うと、今度は炉の奥へ向かって細長く伸びていく。
ゼピュロス「これ、風じゃない。少なくとも私が動かしてるんじゃないわ」
直也「お前が言うなら、そこは信用する」
ゼピュロス「そこだけ?」
直也「今ツッコむところじゃない!」
炎がさらに傾いた。
右へ。
そして、炉の奥へ。
散っていた火が引っ張られるように細く伸び、一点へ向かって集まり始める。
まるで、そこに何かがいるみたいに。
ゼピュロスが息を呑んだ。
ゼピュロス「……あっち。やっぱり、あそこよ」
ボレアス「うむ。先ほどより近い」
2人がほとんど同時に動いた。
直也「おい、待て!」
ゼピュロス「マスター、こっち!」
直也「だから一人で先に行くなって!」
しかも今回は、ボレアスまでその後を追い始めた。
直也「お前は止める側だろ!」
ボレアス「知らぬものが目の前にあるのじゃぞ! 今は見る側じゃ!」
直也「都合よく担当部署を変えるな!」
リィナ「直也さん、私たちも行きましょう!」
ポン太「へへっ、結局全員で追うのかい」
直也「そうなるよな!」
俺たちは炉の横を回り込む。
奥には、廃材を投入するための細い通路が続いていた。炎はその先へ引かれるように伸びているのに、近づいても熱は増えない。
先頭を走っていたゼピュロスが角を曲がり――急に止まった。
直也「ゼピュロス?」
ゼピュロス「……いた。やっぱりここ」
直也「見えるのか?」
ゼピュロス「見えてない。でも、さっきよりはっきり分かる。すぐそこ」
ボレアスも追いつき、ゼピュロスの隣で奥を睨んだ。
ボレアス「近いぞ。妾にも分かる」
俺は2人の間から奥を覗いた。
燃え残った木材。黒く焦げた金属。その向こうへ炎が集まっている。
揺れる火の隙間で、何かが動いた。
直也「……人?」
一瞬だった。
炎の向こうを影が横切った。
小さい。
少なくとも、ここで働いている大人の作業員とは体格が違う。人の形をしているように見えた。
直也「ALMA、今の見えたか?」
返事はすぐに来た。
ALMA『……生命反応は確認できません』
ゼピュロス「いるって言ったでしょ」
直也「ああ。俺にも見えた」
炎がさらに奥へ集まる。
その向こうで、もう一度。
人影が動いた。
今度は、さっきよりはっきりと。
誰かがいる。
燃えている場所の、真ん中に。
なのに。
ALMAだけが、その存在を見つけられない。
◆◆◆(燃え残るもの)◆◆◆
ここまでお読みいただきありがとうございます。
次回更新予定:10月13日(火)になります。
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