第23話 燃えているのに、熱くない ―― 前編「火のない煙」
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地図にない村を出てから、半日ほど歩いた。
道そのものは、昨日までと大して変わらない。土を踏み固めただけの街道が続き、左右には背の低い草原、その向こうには森が見える。たまに荷車とすれ違い、旅人と挨拶を交わす。
少なくとも、俺の目にはそう見えていた。
ボレアス「……焦げておるな」
最初に足を止めたのはボレアスだった。
直也「焦げてる? どこが?」
ボレアス「あれじゃ。街道の脇を見よ」
指差した先を見ると、草がほんの一部分だけ黒くなっていた。
近づいてしゃがみ込む。黒くなった草は10数本ほどで、それ以上は燃えていない。円形でもなければ、街道から火が移ったようにも見えなかった。
直也「火事の跡……にしては小さすぎるな」
手を伸ばしかけて、やめた。
ゼピュロス「ずいぶん小さい火事ね。誰かが焚き火でもしたんじゃない?」
ゼピュロスが俺の肩越しに覗き込む。
直也「こんな街道の真横で焚き火するか?」
ゼピュロス「マスターならやりそう」
直也「俺を何だと思ってるんだ」
ゼピュロス「たまに判断が雑な人」
直也「否定しづらい評価をするな」
ゼピュロスが楽しそうに笑う。
その横で、ボレアスは笑いにも混ざらず、焦げた草をじっと見ていた。
直也「ボレアス、さっきから何が気になってる?」
ボレアス「妙なのじゃ。妾は火に詳しいわけではないが、それでも火が通った跡にしては狭すぎるように見える」
直也「……分かるのか?」
ボレアス「知らぬ」
直也「そこまで言っといて知らないのかよ」
ボレアス「知らぬから見ておるのじゃ。知っておるものなら、これほど眺める必要もなかろう」
当然のように返されて、俺は少し黙った。
少し前までのボレアスなら、分からないものを前にして、こんな顔はしなかった気がする。分からないから近づかない。自分には関係がないと距離を取る。そういう奴だった。
今は自分からしゃがみ込み、焦げた草を指先でつまんでいる。
ボレアス「火とは、妙なものじゃな。同じように燃えておるように見えても、残る跡は同じではないらしい」
ゼピュロス「北風なのに、ずいぶん火が気になるのね」
ボレアス「知らぬものを知ろうとして何が悪い。妾が何に興味を持とうと、貴様には関係なかろう」
ゼピュロス「別に悪いとは言ってないわよ。ちょっと意外だっただけ」
ボレアス「ならば黙っておれ」
ゼピュロス「はいはい」
ゼピュロスが肩をすくめ、そのやり取りを見ながらリィナが小さく笑っている。
俺ももう一度、焦げ跡へ目を落とした。
直也「ALMA、何か分かるか?」
金白の光球が俺の肩の横へ移動する。
ALMA『解析します』
淡い光が焦げた草をなぞった。
ALMA『炭化を確認。燃焼が発生した可能性は高いと判断します。ただし、周辺への延焼痕および通常の熱伝播によって生じる変化が不足しています』
直也「つまり?」
ALMA『燃焼範囲と周辺状態の不一致について複数の可能性が――』
直也「俺に分かる言葉で頼む。報告書の読み上げじゃないんだから」
ALMA『情報量が減少します』
直也「俺への説明なんだから減らせ」
一拍置いて、ALMAが答えた。
ALMA『燃えているのに、燃え方がおかしいです』
直也「最初からそれでいいんだよ」
ALMA『解析精度を優先しました』
直也「会話の分かりやすさも優先してくれ」
ALMA『今後の参考情報として記録します』
直也「それ絶対またやる奴だろ」
ALMA『否定はしません』
直也「ほらな」
やっぱりこいつはこういう奴だった。
最近は解析だの未確認反応だの、妙に難しい顔――光球に顔はないが――をしていることが多かった。それだけに、こういう面倒くさい返しが少しだけ懐かしく感じる。
ポン太「旦那、こっちにもあるぜ。ひとつだけじゃねぇみたいだ」
少し先からポン太の声がした。
俺たちは立ち上がり、ポン太のところまで歩く。街道を20歩ほど進んだところで、今度は石が黒く煤けていた。さらにその先では、木製の道標の端が黒く変色している。
直也「こっちも燃えたのか?」
リィナが道標へ近づき、黒くなった部分を覗き込んだ。
リィナ「でも、どれも少しずつですね。最初の草もそうでしたけど、周りまで一緒に燃えたようには見えません」
直也「そうなんだよな。普通なら、もう少し周りまで巻き込みそうなもんだけど」
火は必要な場所だけに触れて、そのたびに消えたように見える。
ゼピュロス「器用な火ね。狙ったところだけ燃やしてるみたい」
直也「火に器用とかあるのか?」
ゼピュロス「風にはあるわよ? 細く吹くのと、一気に吹き飛ばすのじゃ全然違うもの」
直也「お前の場合、だいたい後者だろ。俺が何度吹き飛ばされたと思ってるんだ」
ゼピュロス「昔の話をいつまでも引っ張る男は嫌われるわよ、マスター」
直也「被害者が俺だから言ってんだよ」
リィナ「ふふっ。やっぱり仲が良いですね」
直也「今の会話のどこを見てそう思った?」
リィナは答えず、笑っていた。
その横でボレアスだけは、まだ道標を見ている。
ボレアス「……火」
直也「ん?」
ボレアス「これは、どこへ向かっておる?」
俺は言葉に詰まった。
火に行き先があるのか、と言いかけてやめる。最初の焦げ跡、その次の石、そして道標。頭の中で位置を繋げてみる。
直也「街道沿い……いや、違うか?」
ポン太「違うな、旦那。途中で外れてるぜ」
ポン太が地面を見ながら首を振り、道標の脇へ回り込んで草を掻き分けた。そこには、言われなければ見落としそうな細い轍が残っている。
直也「これ、道なのか?」
ポン太「たぶん昔の搬送路だな。今の街道よりゃ古いが、完全に捨てられた道でもねぇ。ほら、古い轍に混じって新しい荷車の跡が残ってるだろ」
ポン太がしゃがみ込み、土を指でなぞる。
俺も横から覗き込んだが、正直ただのへこみにしか見えない。
直也「よくこんなの分かるな」
ポン太「へへっ、商人を何だと思ってるんだい? 荷車がどこを通れるか見分けられなきゃ、商品より先に車輪が駄目になっちまうぜ」
直也「金の匂いを嗅ぎ分ける生き物だと思ってた」
ポン太「それもだいたい合ってるぜ」
直也「合ってるのかよ」
ポン太は笑いながら地図を広げた。
昨日から何度も見ている地図だ。そして案の定、その細い道は描かれていない。
直也「……またか」
リィナ「またですね。昨日の村も載っていませんでしたし、この道も……地図の方が間違っているんでしょうか?」
地図にない村に続いて、今度は地図にない道。2日続くと、さすがに気になる。
ボレアス「古い地図なのであろう? ならば、小さな村や細い道のひとつやふたつ、載っておらぬこともあろう」
直也「昨日もそういう話になったな。まあ、理屈ではそうなんだけど」
地図が古い。だから村が載っていない。道も載っていない。
それだけなら、何もおかしくない。
直也「ALMA、未確認反応は?」
ALMA『追跡を継続しています』
直也「方向は?」
金白の光がわずかに揺れた。
ALMA『現在位置から見て、進行方向と大きな矛盾はありません』
直也「この道の先ってことか?」
ALMA『断定できません』
直也「そこまでは分からない、と」
ALMA『はい』
昨日から、こういう答えが増えた。
分からないものを分からないと言うこと自体は、おかしくない。むしろALMAらしい。こいつは適当な答えを作るくらいなら、分からないと言う方を選ぶ。
ただ、以前ならその「分からない」の輪郭まで勝手に説明してきた気がする。
何が足りないのか。何なら分かるのか。どうすれば確かめられるのか。
そこまで一通り喋ったところで、俺に「長い」と言われる。それがいつもの流れだった。
ポン太「……旦那? どうした、難しい顔して」
ポン太の声で我に返った。
直也「いや、何でもない。ちょっと考え事してただけだ」
考えすぎか。
ALMAは今も普通に光っているし、さっきだっていつも通り面倒くさい説明をしていた。
ポン太「で、どうするんだい? このまま街道を行くか、こっちの道を確認するか。寄り道するなら早めに決めた方がいいぜ」
ボレアス「決まっておろう。行くぞ」
即答したボレアスへ、全員の視線が集まった。
直也「即決だな。少しくらい相談する気はないのか?」
ボレアス「火の跡が続いておるのであろう? ここで眺めていても何も分からぬ。それならば、その先を見ればよいではないか」
何を迷っているのか分からない、という顔だった。
ゼピュロスがにやりとする。
ゼピュロス「あんた、ずいぶん旅人っぽくなってきたじゃない。知らない道を見つけたら、とりあえず行ってみるなんて」
ボレアス「妾は火を確認したいだけじゃ。貴様のように面白そうだから首を突っ込むのとは違う」
ゼピュロス「でも、結果として知らない道に入るんでしょ? それを旅って言うんじゃない?」
ボレアス「違う」
ゼピュロス「同じよ」
ボレアス「違うと言うておろう!」
また2人が言い合いを始める。
俺はリィナを見る。リィナは楽しそうに笑っていた。
次にポン太を見る。
ポン太「へへっ、予定外の寄り道なら追加料金が発生しそうだな。予定にない道は、予定にない商売の種が落ちてることもあるしな」
直也「後半、お前の都合だろ。で、誰に請求する気だ」
ポン太「旦那」
直也「却下。稟議に上げる前に却下だ」
ポン太「まだ金額も言ってねぇぜ」
直也「聞いたら払う流れになりそうだから聞かない」
そうして俺たちは街道を外れた。
古い搬送路は、見た目よりしっかりしていた。草に埋もれている部分はあるが、荷車が通れる程度の幅は残っている。
そして、進むほど焦げ跡は増えていった。
黒くなった草や煤けた石、片側だけ焦げた木片。数は増えているのに、大きく燃えた場所は一つもない。火だけが何かを探しながら、この道を進んだようだった。
ボレアス「……またじゃ」
道の端に落ちていた木片を、ボレアスが拾い上げる。半分だけが黒く焦げ、もう半分は元の色を残していた。
直也「今度は何か分かった?」
ボレアス「分からぬ。じゃが、だから面白いのであろう。先ほどの草も石もこれも、同じ火ならば、なぜこのような燃え方になるのか。知らぬことばかり増えていく」
俺は一瞬、返事ができなかった。
本人は気づいていないのかもしれない。
少し前までのボレアスなら、たぶんそんなことは言わなかった。
ボレアス「何じゃ」
直也「いや、何でもない」
ボレアス「何じゃ、その顔は。言いたいことがあるなら言え」
直也「本当に何でもないって」
ボレアス「気味が悪いぞ」
直也「そこまで言う?」
ボレアスは木片を元の場所へ戻し、さっさと先へ歩き出した。
ゼピュロス「待ちなさいよ、氷女!」
ボレアス「その呼び方をやめよ!」
ゼピュロス「じゃあ北風女!」
ボレアス「悪化しておるではないか! なぜわざわざ長くした!」
リィナ「2人とも、前を見てくださいね! こんなところで転んだら危ないですよー!」
2人を追っていくリィナを見ながら、ポン太がため息をついた。
ポン太「賑やかになったな、旦那。旅ってのは人数が増えるほど楽になるもんだと思ってたが、こいつは逆かもしれねぇぜ」
直也「前からこんなもんだよ」
ポン太「前より酷くなってねぇか?」
直也「……それは否定できない」
俺も歩き出す。
肩の横には、いつもの金白の光が浮かんでいる。
直也「ALMA。この先、何があると思う?」
ALMA『現時点では判断材料が不足しています』
直也「だよな」
ALMA『ただし』
直也「ん?」
ALMA『焦げ跡の密度は進行方向に向かって増加しています』
俺は前を見る。
細い道は、緩やかな丘の向こうへ続いていた。
ALMA『何らかの発生源へ接近している可能性があります』
直也「……火の?」
ALMA『断定できません』
直也「そこは断定しないのな」
ALMA『事実の範囲を正確に述べています』
直也「はいはい」
いつもの返しに、少しだけ安心する。
丘を越えた。
その先。
遠くに、一本の煙が見えた。
黒くはない。白とも違う。薄い灰色の煙が、風もないのに真っ直ぐ空へ昇っている。
ゼピュロス「煙! マスター、あそこ!」
直也「見れば分かる」
ゼピュロス「マスター、今日そればっかり言ってない?」
直也「誰のせいだと思ってる」
ボレアスが目を細めた。
ボレアス「煙は見えるが、火は見えぬな。あれだけ真っ直ぐ昇っておるのも妙じゃ」
リィナ「煙だけなんでしょうか。それとも、ここから火が見えないだけ?」
ポン太が地図を開き、現在地と周囲をしばらく見比べてから首を横へ振った。
ポン太「少なくとも、この辺りにゃ何も載ってねぇぜ。村も施設も、それらしい印もなしだ」
直也「……また地図にないのか」
昨日なら笑っていたかもしれない。
だが今日は、ここまで焦げ跡を辿ってきた。その先に、地図にはない煙が上がっている。
俺はもう一度、その煙を見上げた。
直也「ここまで来たら、行ってみるしかないか」
ボレアス「当然じゃ。何を今さら迷っておる」
そう言って、ボレアスが真っ先に歩き出す。
直也「……お前、本当に変わったな」
ボレアス「何か言うたか?」
直也「何でもない」
ボレアス「ならば早く来い。置いていくぞ」
直也「はいはい」
俺たちは煙の方へ向かった。
まだ、この時の俺たちは知らなかった。
その先で燃えているものが、
火ではなく――
もっと面倒くさい何かだということを。
◆◆◆(火のない煙)◆◆◆
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次回更新予定:10月9日(金)になります。
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