第22話 追跡開始 ―― 前編「手ぶらの北風」
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橋の依頼を終えた翌朝、俺たちは宿を出た。
昨夜、リィナとボレアスは、あの果物を分け合って食べたらしい。今朝の食堂で、ボレアスが妙に静かだったのは、その余韻だったのかもしれない。誰も、それについては触れなかった。
頭上の光球が、いつも通りの調子で明滅している。
ALMA『未確認反応2件の追跡は継続中です。ただし、方角はまだ絞り込めていません』
直也「待ってても仕方ないし、次の町まで進むか」
誰からも異論は出なかった。荷を背負い直し、街道へ足を向ける。朝の空気は冷たく澄んでいて、歩き出すには悪くない日だった。ゼピュロスが大きく伸びをし、ポン太は懐の勘定帳を確かめるように何度も捲っている。5人での旅立ちは、これが初めてだった。
しばらく歩いたところで、俺はふと違和感に気づいた。
直也「……お前、荷物は」
ボレアス「ない」
直也「着替えは」
ボレアス「ない」
直也「水筒は」
ボレアス「ない」
直也「金は」
ボレアス「ない」
俺は、思わず足を止めた。ボレアスは、両手をぶらぶらとさせながら、悪びれもせず歩いている。考えてみれば当然だった。玉座に鎖で繋がれていた彼女には、旅支度をする機会も、その必要も、これまで一度もなかったのだ。それでも、これほど堂々と「ない」を連発されると、こちらが拍子抜けしてしまう。
直也「何ならあるんだよ」
ボレアス「妾がおる」
直也「自信満々に言うな」
ゼピュロス「一番かさばる荷物だけあるわね」
ボレアス「誰が荷物じゃ!」
ポン太「食費は増えたな」
ボレアス「貴様まで乗るでない!」
リィナ「でも、着替えは本当に必要ですよ?」
ボレアス「……必要なのか?」
その一言に、彼女の口調から、ふっと高飛車な色が抜けた。本気で分かっていなかったらしい。全員が、一瞬だけ黙り込んだ。
直也「そこからかよ」
ポン太「へへっ、着替えなしで何日保つか賭けるか、旦那」
直也「賭けの対象にするな」
ポン太「儲け話には目がなくてな」
◆◆◆
ポン太が、懐から折り畳んだ紙を取り出した。既に旅支度の必要経費を計算してあったらしい。几帳面な文字で、品目と概算価格がびっしりと並んでいる。
ポン太「着替え、水筒、雨具、小袋、寝具、あとは保存食。最低限これだけは要る」
リィナ「傷薬も、少し多めに用意した方がいいかもしれません」
ポン太「おっ、いいとこ気づくな嬢ちゃん。追加しとくか」
ボレアス「旅をするだけで、なぜそこまで要る」
ポン太「生きるってのは金がかかるんだよ」
ボレアス「妾は今まで何も要らなかったぞ」
直也「それ玉座に固定されてたからだろ」
ボレアス「……便利ではあった」
直也「評価するとこそこ!?」
ゼピュロスが噴き出す。だが、その一言の軽さの裏に、彼女なりの正直さがあることに、俺は気づいていた。
歩きながら、それぞれの役割が自然と見えてくる。リィナが治療と生活面を、ポン太が金と契約を、ゼピュロスが索敵と機動力を、俺が全体の判断と調整を担う。誰かが決めたわけではない、長い旅の中で自然とそうなっていった分担だった。
ボレアスが、それに気づいたように呟いた。
ボレアス「それで、妾には何を任せるつもりじゃ」
直也「別に今すぐ決めなくてもいい」
ボレアス「妾を遊ばせておくとは、随分と余裕のある一行じゃな」
直也「遊んでていいって意味じゃない」
ボレアス「ならば最初からそう言え」
別に、急いで決める必要もないと思っただけだった。だが、本人はそう思っていなかったらしい。
そう言うと、彼女は誰に頼まれるでもなく、自分で仕事を探し始めた。役目を与えられるのを待つより、自分から動く方が、彼女の性分に合っているのだろう。
◆◆◆
まず彼女が目をつけたのは、俺の荷物だった。
ボレアス「寄越せ」
直也「持ってくれるのか」
ボレアス「勘違いするな。貴様が遅れれば妾まで迷惑する」
そう言って俺の荷物をひったくると、危なげなく背負って歩き出す。だが、しばらくして俺は水筒に口をつけ、思わず顔をしかめた。
直也「……水筒凍ってるんだけど」
ボレアス「冷やしてやった。感謝せよ」
直也「飲めねぇよ」
ボレアス「軟弱じゃな」
ゼピュロス「なんでマスターが怒られてるのよ」
ALMA『確認しました。内容物は凍結しています』
直也「見りゃ分かる」
ALMA『では、確認は不要でしたか』
直也「そうじゃなくて、どうすれば飲めるかを言えよ」
ALMA『温めれば融解します』
直也「それも見りゃ分かる!」
ALMA『冷却を行った本人への申し立てを推奨します』
ボレアス「妾のせいにするでない」
ALMA『事実関係を整理しただけです』
直也「お前、そういうところだけ容赦ないよな」
俺は結局、凍った水筒を懐に入れ、体温で溶けるのを待つことにした。ボレアスはそれを見て、満足げに頷いている。良かれと思ってやったことなのは、間違いないのだろう。ただ、方向性が、少しばかりずれていた。
リィナ「私の水筒、少し分けましょうか」
直也「助かる」
ボレアス「妾のもてなしを断るとは、贅沢な男じゃ」
直也「もてなしになってないんだよ、それ」
次にボレアスが向かったのは、先を歩いていたゼピュロスの隣だった。
ボレアス「前方は妾が見る」
ゼピュロス「そこ私の担当!」
ボレアス「役割を独占するでない」
ゼピュロス「あんた昨日まで仲間じゃなかったでしょうが!」
押し問答の末、ボレアスは渋々引き下がった。だが、その顔には、はっきりと不満が浮かんでいた。何もせずに歩くだけの時間が、性に合わないのだろう。
ポン太「へへっ、そんな暇そうな顔してんなら、荷物もう一つ持つか?」
ボレアス「誰が暇じゃと言った」
ポン太「顔に書いてあるぜ」
それでも諦めきれなかったのか、次に彼女が指差したのは、分かれ道の先だった。
ボレアス「こちらじゃ」
直也「なんで分かる」
ボレアス「勘じゃ」
直也「やめろ」
ボレアス「信用のない男じゃな」
結局、正しい道はポン太の地図が示す方だった。
ボレアス「……またか」
仕事を探しては空振りする、そんな午前だった。それでも、彼女の表情には、以前のような苛立ちや焦りは見えなかった。空振りすら、どこか楽しんでいるようにも見えた。
ゼピュロス「懲りないわね、あんた」
ボレアス「妾がこの程度で諦めると思うたか」
ゼピュロス「そこ威張るところ?」
そんな軽口を交わしながら、俺たちは歩き続けた。
◆◆◆
昼を過ぎた頃、俺たちは街道脇の休憩所へ立ち寄った。木のベンチがいくつか並び、旅人たちが思い思いに足を休めている。井戸端では、旅装束の男が水筒に水を汲んでおり、その隣で、老いた商人が地図を広げて何かを確認していた。荷馬の嘶きと、旅人たちの談笑が、のんびりとした空気を作っている。
俺たちは荷を下ろし、しばしの休息へ入った。ボレアスは、迷わずベンチに腰を下ろす。だが、すぐに眉をひそめた。
ボレアス「……硬いな」
直也「ベンチだからな」
ボレアス「妾が座るには、いささか質が悪い」
ゼピュロス「昨日まで氷の椅子だった人が、贅沢言わないでよ」
ボレアス「氷の椅子と、木の板を比べるでない」
ゼピュロス「比べたのあんたじゃない」
そんなやり取りに、リィナが小さく笑った。ポン太は懐の帳面を開き、今日一日の出納を確かめている。
ふと、そのポン太の手が止まった。地図と、休憩所の案内板を、何度も見比べている。
ポン太「……旦那」
直也「なんだ」
ポン太「この分岐、地図と位置違わねぇか?」
俺も覗き込んだ。確かに、少しだけずれている気がする。だが、それだけだった。旅の道具としては、地図など多少の誤差があって当然のものだ。
直也「地図が古いんじゃないか」
ポン太「かもな。この手の地図は、書いてから何年も更新されねぇことも珍しくねぇ」
その程度の会話で、俺たちはそれ以上気にしなかった。旅の途中、地図の誤差など、珍しい話でもない。
それでも、頭の片隅に、その一言だけが、小さく引っかかったまま残った。
◆◆◆(手ぶらの北風)◆◆◆
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次回更新予定:9月29日(火)になります。
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