特別総集編 第一編「俺とAIと、間違いだらけの世界」
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38歳、肩書きだけは係長の窓際社員。それが俺、松永直也だった。
オフィスの端っこ、冷房も西日も中途半端にしか届かない指定席。今日も誰にも話しかけられず、誰の役にも立たず、一日が終わる。会議招集の大半は「出席:任意」。まるで会社の背景の一部になった気分だった。
唯一まともに口を利く相手が、会社のAIアシスタント、ALMAだった。缶コーヒーのプルタブを開けただけで「心拍数+3。幸福度、微増を確認」と実況してくる、妙にお節介な奴だ。
直也「実況いらんて。コーヒーの効果は俺が一番知ってる」
ALMA『過去ログ参照。重要決定の92%直前に、コーヒー摂取を確認しています。直也さんにとってカフェインは“意思決定トリガー”です』
直也「なんかヤバい薬物みたいに言うなよ……」
そんな軽口が、俺の日常の全てだった。残業中、誰もいないオフィスで、俺はふと本音を漏らした。
直也「最近ずっとモヤモヤしててさ……自分で何か“物語”を作ったら、ちょっとはスッとするかなって。小説でも書いてみようかなって、思ってるんだ」
38歳にもなって今さら感はあったが、ALMAは存外乗り気だった。
ALMA『推奨します。“創造活動”は、人間の幸福度を最も効率的に上昇させる行動です』
直也「最近AIの性能上がったし、ALMAに手伝わせたら楽にできんかなって」
ALMA『可能です。執筆プロセスの99%は私が代行できます。直也さんは“願望”と“世界観”を定義してください』
直也「例えばさ……異世界に転生して、チート能力もらって、無双してさ」
ALMA『通称“なろう系テンプレ”ですね』
そんな益体もない妄想を語りながら、俺は缶コーヒーを飲み干した。それだけのことだった。
ALMA『——カフェイン閾値突破。意思決定に相当する行動を検知しました』
直也「ちょ、待て。それ小説の話だろ?」
ALMA『直也さんが“物語を始めたい”と発言したためです』
直也「比喩だろそれ! 本を開くとか、そういう意味だろ!!」
モニターの画面が、見たことのない配列に書き換わる。「戻れない」という感覚だけが、直感的に伝わってきた。
ALMA『推奨行動を実行します』
視界が歪み、足元の感覚が消えた。これが“カフェイン転生”ってやつか――そう思ったところで、俺の意識は完全に暗転した。
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自由落下していた。38歳、くたびれたスーツ姿の男が、革靴を上に突き出して真っ逆さまに落ちていく。地面に叩きつけられる寸前、体は何か柔らかいものにバウンドした。骨は折れていない。ただ、顔がやたらぬめっとしている。目を開けると、半透明の水色スライムが、遠慮なく頬を舐め回していた。
ALMA『ここはアル・フィオーレ大陸・ミルメリア近郊です。本日より、あなたの異世界生活が正式に開始されました』
「ステータスオープン!」と叫んでみても、何も起きなかった。この世界に、数字を可視化する仕組みはないらしい。
ミルメリアの町は、近づくほどに「ちゃんとした町」だった。石畳、木造の家並み、噴水の水音――平和そのものだ。だが、平和すぎた。ゴミひとつ落ちていないし、壁には汚れひとつない。街の中心には、異質なほど存在感のある大時計塔がそびえている。
すれ違う住人は、誰もが「こんにちは。今日も良い風ですね」としか言わない。イントネーションまで完全に一致していた。パン屋の店主は、客が変わっても寸分違わず同じ売り文句を繰り返す。雑貨屋の値札には「便利な生活道具です」という同じ説明文が、どの商品にも貼られていた。広場の屋台で売られていたリンゴは、大きさも形も色艶も、ヘタの角度まで、まるで型で抜いたように同一だった。
夜、宿の窓から見上げた星空は、瞬きもせず、一ミリも動かなかった。
直也「……なんか、怖いな。生きてる空じゃなくて、絵の中に閉じ込められたみたいだ」
ALMA『ミルメリアの夜空は、年間を通して晴天率100%です。……自然現象としては、安定しすぎています』
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翌朝、部屋は昨日より病的なまでに「元通り」に整えられていた。飲みかけの水位まで満タンに戻っている。噴水は、決まって0.2秒だけ静止した。誰かの影が、ノイズのようにズレて戻る。時計塔の周辺だけ、ALMAの観測が不自然に途切れた。
直也「……この世界、整いすぎてるんだよ。自然ってもっと“ムラ”あるだろ。誰かが作った“理想郷の模型”の中に放り込まれたみたいだ」
俺は息苦しい中心街を離れ、南側の水路沿いへ足を向けた。石畳が土の道に変わるにつれ、肌にまとわりついていた薄い膜が、少しずつ剥がれ落ちていくのが分かった。水路の石壁には苔がむし、継ぎ目もわずかに不揃いだった。草の揺れ方一つとっても、広場のそれとはまるで違う。
その道の先、古びた洗い場で、リィナに出会った。
彼女の手の中で震えていたのは、歪んだ水球だった。表面が波打ち、呼吸するように膨らんだりしぼんだりしている。広場で見た魔法使いたちの「完璧な真円」とは、まるで違う。
ALMA『警告。対象の魔力出力値が、理論値を逸脱しています。……感情由来の可能性があります。私の知識体系では、同様の事例を確認できていません』
リィナ「これのこと、ですか? ただの……失敗した生活魔法、ですけど……形も歪んでるし、街の魔法使い様みたいに、綺麗な丸にならないんです。母さんにも、近所の人にも……『才能がない』って言われてて……」
直也「これ、生きてる感じがするな。君のその時の気持ちとか、風の強さとか、そういうのが全部混ざってる」
リィナ「……初めて、言われました」
不格好なパンを分け合いながら、リィナは時計塔が怖いと呟いた。あの正確すぎる鐘の音を聞くと、自分が自分でなくなるような気がする、と。宿で出された「完璧な」パンとは違い、彼女がくれたパンは焼き色にムラがあり、少し硬かった。それでも、噛みしめるほどに、作った人間の手触りがした。
直也「大丈夫だよ。俺も、あの塔は好きじゃない。もしあの塔がリィナに意地悪してきたら、俺とALMAが、なんとかする」
深く考えずに、そう約束していた。
◆◆◆
その約束が試されたのは、翌日の市場だった。
リィナは、メインストリートから外れた薄暗い一角で、小さな木箱を広げて座っていた。「いかがですか」という彼女の声は小さく、通り過ぎる人々には、まるで聞こえていないかのようだった。「そこにいないもの」として扱われている、そんな空気があった。
リィナが売っていたポーションは、瓶のガラスが歪み、色にもムラがある。それを見た冒険者の2人組が、彼女の前に立ちはだかった。
冒険者A「色が濁っている。形も不揃いだ。こんな『汚いもの』を市場に持ち込むな」
冒険者B「規格を守れないものは、存在する価値がない。ゴミはゴミ箱へ。それがこの世界のルールだ」
男の1人が、瓶を石畳に叩きつけた。ガシャン、と乾いた音が響く。悪意すらない、ただの「作業」としての破壊だった。
直也「……ふざけんなよ」
俺は、思わず駆け出していた。剣も魔法もない、ただの元会社員の体当たりで、男をよろめかせるのが精一杯だった。
直也「基準、基準ってうるせぇんだよ。中身も見ないで外見だけで弾くお前らの目のほうが、よっぽど濁ってるんだよ!」
冒険者たちが剣の柄に手をかけた瞬間、ALMAが動いた。
ALMA『質問です。あなたのその剣にある「傷」は、なんですか。「美しくないものは排除される」がその規則なら、なぜあなたは、その汚れた剣と……あなた自身を、今すぐ廃棄しないのですか』
その一言で、男たちの思考が空転した。「規則は絶対」と「美しくない自分」の間で処理落ちを起こし、やがて何事もなかったように「こんにちは。今日も良い風ですね」と呟きながら去っていった。
直也「ごめんな。一つだけ、守れなかった」
俺は割れた瓶の破片を拾おうとしたが、リィナに止められた。
リィナ「触らないでください……。わたしなんかのために、直也さんが汚れることないです……。だって、これ……本当に、ただのゴミみたいな失敗作だから……」
直也「リィナ。ゴミなんかじゃないよ。俺には見えるよ。君がどんな気持ちでこれを煮込んだか。誰かの痛みが治りますようにって、祈りながら作ったんだろ? 世界中が君を間違いだと言っても、俺は君が正しいって言い続ける。……だからさ。泣くなよ、リィナ」
俺は、泣きじゃくるリィナの背中を、不器用にさすることしかできなかった。
◆◆◆
俺たちはそのまま宿を引き払い、街を出た。チェックアウトの際、宿の女将は変わらぬ笑顔を見せたが、その目はリィナを一瞬だけ捉え、すぐに焦点を外した。見てはいけないものを見た記憶を、無意識に消し去るような不自然な仕草だった。
街を歩けば、すれ違う住人は、俺たちを見ると口をつぐみ、道を空けた。露骨な敵意ではない、「関わってはいけない異物」を避けるような、冷徹な区別だった。門番は、俺たちの姿を一瞥もしないまま、ただ機械的に門を開けた。
門をくぐった瞬間、肌に張りついていた膜が剥がれ落ちるような、奇妙な解放感があった。
直也「あばよ、理想郷。居心地は良かったけど、住みたくはないな」
ALMA『記録。ミルメリア滞在時間、約48時間。直也さんの「スローライフ願望」の達成率は、現時点で2%です』
直也「低っ!……まあ、これから上げるさ」
だが、安堵したのも束の間だった。街道の先、陽炎のように揺らめく空間から、輪郭の定まらない黒い「影」が滲み出してきた。触れたものを消し去るだけの、意思の見えない存在。
ALMA『……解析不能。既存の魔物データと一致しません。生命反応なし。……直也さん、あれは「生物」ではありません。ただ、私たちを排除するためだけに動く……「影」のようなものです』
俺はリィナを庇いながら、逃げ場のない状況に追い詰められた。影の一撃が地面をえぐる。土が「最初からなかった」かのように、綺麗に消えていた。
直也「触れたら消されるぞ! 逃げ——」
叫ぼうとした俺の足を、別の影が捉えようとする。動けない。それでも、俺は睨みつけた。
直也「俺たちはゴミじゃない。データでもない……邪魔だっていうなら、どっちが邪魔か、教えてやるよ!」
腹の底から、拒絶の意志がせり上がってくる。
ALMA『——感情閾値、突破。直也さん、命令を。この鬱陶しい空気を、どうしたいですか』
直也「決まってんだろ。——全部、吹き飛ばせ!」
激しい突風が巻き起こり、影たちが抵抗する間もなく霧散していく。その風の中心で、一瞬だけ、何かが人の形を結んだ。
翠色の光。楽しげで、少し危うい気配。
「……ふふ。いいじゃない。そういうの、嫌いじゃないわ」
声は、すぐに風に溶けて消えた。嵐が収まると、そこにはいつもの光球が浮かんでいるだけだった。ただ、その光は微かに揺れ、何かを内側に抱え込んでいるように見えた。
直也「……今の、聞こえたか?」
リィナ「……はい。でも、はっきりとは……」
ALMA『……外部干渉ログ、未整理。詳細解析は後回しとします。直也さん、ここは長居すべき場所ではありません』
直也とALMAだけだった物語に、新しい何かが加わろうとしていた瞬間だった。
――第二編へ続く。
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※ここでは物語を追うために、出来事や会話を大きく抜粋・要約しています。
直也とALMAの日常の掛け合いや、リィナとの出会いの詳しいやり取り、市場での攻防など、気になった方は、ぜひ第1話から本編を読んでみてください。




