第19話 正しい場所へ戻す者 ―― 後編「今いる場所」
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直也「今だ、核が開いた!」
それは合図じゃない。ただ、俺が見たものを伝えただけだった。露出した核を見て、それぞれが同時に、自分の意思で動いた。
ゼピュロスの風刃が、傾いだ巨躯の胸部へ真っ直ぐに突き刺さる。翠色の光が、装甲の亀裂を裂くように広がった。刃が食い込む鈍い音が、保管庫に響いた。
リィナが薄めた足元の固定が巨躯の踏ん張りを奪い、ゼピュロスの一撃をまともに受けさせた。彼女の杖から放たれた淡い光が、最後まであの白い線を削り続けている。震える手で、それでも杖を離さなかった。
ポン太が蹴り込んだ瓦礫が、傾いた片脚の下へ次々と噛み込んだ。その一つ一つが、均衡執行体の体勢をさらに崩していく。
ばらばらに重なる三つの動きに、均衡執行体の反応が明らかに遅れていた。
均衡執行体『……再固定処理に、不整合を検出。対象群を、統一された配置へ戻せず』
その声には、明確な戸惑いが滲んでいた。装甲のルーンが、不規則に明滅を繰り返している。処理落ちを起こしたかのような、乱れた光だった。
直也「統一なんてしてない。それぞれが、それぞれのやり方でここにいるだけだ」
俺は駆け寄りながら、拳を握った。胸部のルーンの塊、あの心臓のような場所へ。皆が作った一瞬の隙へ、俺は拳を叩き込んだ。鈍い衝撃が腕を伝い、亀裂の奥で光が弾けた。
均衡執行体『……再構成、不能』
装甲の表面に、無数の亀裂が走った。眩い光が、内側から漏れ出してくる。まるで、内側から何かが崩れていくような、静かな終わりだった。
均衡執行体『対象群を、正しい位置へ戻すことが……できない』
その声から、少しずつ出力が失われていく。抑揚のない機械の声のまま、それは最後の言葉を刻んだ。
均衡執行体『……矯正処理、失敗。現行状態、分類不能』
そう告げると、白い巨躯は、崩れるように光の粒子となって消えていった。装甲の破片一つ残さず、静かに、まるで最初から存在しなかったかのように。粒子の一つ一つが、夜空の星のように、ゆっくりと闇へ溶けていった。
保管庫に、静寂が戻った。あれほど激しかった攻防が嘘のように、静けさだけがその場を包んでいた。崩れた瓦礫の隙間から、細い光が差し込んでいる。
俺は、その場に膝をついた。全身から力が抜けていく。周りを見渡すと、リィナは杖に寄りかかって肩で息をし、ゼピュロスは荒い息の下で満足げに笑っていた。ポン太は尻尾を庇いながらも、無事を安堵しているようだった。
直也「……終わった、のか」
ALMA『敵性存在の消滅を確認。周辺の状態も、安定を取り戻しつつあります』
頭上の光球が、穏やかなリズムで明滅していた。その落ち着いた光を見て、俺は初めて、本当に終わったのだと実感した。張り詰めていた緊張が、ゆっくりと解けていく。
俺は、ゆっくりと立ち上がりながら、氷の玉座へ視線を向けた。ボレアスが、深く息を吐きながら、鎖に繋がれた手を見つめていた。指先の霜の亀裂が、また少し広がっているようだった。それでも、その瞳には、疲労以上に何か確かな充実感が宿っているように見えた。
直也「大丈夫か」
彼女は、ゆっくりと顔を上げた。
ボレアス「……見ての通り、無事じゃ」
そう言いながらも、彼女の声には、隠しきれない疲労が滲んでいた。玉座の背もたれに、いつもより深く身体を預けている。それでも、その表情には、後悔の色は一切見当たらなかった。
直也「無理させたな」
ボレアス「妾が選んだことじゃ。貴様が気にすることではない」
短くそう言い切ると、彼女は視線を逸らした。
その言い方は、いつもの高圧的な調子だったが、以前とは何かが違っていた。突き放すというより、自分の選択を、自分で引き受けようとする響きがあった。誰かに強いられたのではなく、自分で決めたことだという、確かな芯があった。
俺たちは、しばらくそこに座り込んだまま、誰も何も言わなかった。ただ、戦いの余韻と、確かに勝ち取ったという実感だけが、静かに満ちていた。崩れた瓦礫の隙間から差し込む淡い光が、この場所を柔らかく照らしていた。誰もが、その静けさを、大切に味わっているようだった。
やがて、ALMAが静かに口を開いた。
ALMA『補足報告。今回の戦闘結果について、一つの傾向が観測されました』
直也「傾向?」
ALMA『対象群が、以前の役割や配置に固執しなかったこと。とりわけ、ボレアスさんが固定する相手を自ら選び直したことが、均衡執行体の再固定処理を破綻させたと推定されます』
その言葉が、静かに胸へ落ちてきた。決められた位置に戻らなかったことが、そのまま俺たちの勝ち筋になっていた。
ボレアスは、その言葉を、じっと聞いていた。何かを噛み締めるような、静かな表情だった。
保管庫の様子は、少しずつ変化していた。傾いていた棚の軋みが止まり、壁の亀裂を走っていた光も、次第に穏やかになっていった。天井の亀裂から漏れていた冷気も、いくらか和らいでいる。
ALMA『保管庫全体の構造安定度が向上しています。ただし、完全な回復ではありません』
完全な回復じゃない。それでも、今日は確かに、一歩前へ進んだ日だった。
俺たちは、身体の埃を払いながら、帰り支度を始めた。ポン太はいつもの損得勘定をぶつぶつと呟き、リィナは覚束ない足取りでも、自分の足で立ち上がる。ゼピュロスは、手元の風刃を散らしながら、満足げに伸びをしている。
俺たちが出口へ向けて歩き出そうとした、その時だった。
ボレアス「……待て」
俺は足を止めた。振り返ると、ボレアスが、じっとこちらを見ていた。その瞳には、何かを決めかねているような、迷いの色があった。氷の玉座に座ったまま、彼女は自分の手のひらを、じっと見つめていた。
ボレアス「……妾は」
そこで、一度言葉を止める。何かを言おうとして、それでも言葉を探しているような、長い間だった。
ボレアス「もし、この場所を離れるなら――」
俺は、黙って続きを待った。急かすつもりはなかった。彼女が自分の言葉で、自分のペースで話すことを、邪魔したくなかった。この短い旅で学んだことの一つだった。
彼女は、そこで一度、深く息を吸った。
ボレアス「何を止め、何を残すべきなのか、まだ分からぬ」
その言葉には、これまでの拒絶とは違う、切実な響きがあった。離れたくない、という言葉でも、離れたい、という言葉でもなかった。ただ、自分がいなくなった後の、この場所の在り方を、初めて本気で考え始めているようだった。音、熱、流れ。この保管庫が抱える均衡の全てを、自分がいなくなった後、誰が、どう支えるのか。長い間、それを考えることすら許されていなかったのだろう。
直也「……それは、今すぐ決めなくていい」
俺は、静かに答えた。
直也「ただ、考え始めたってことだけで、十分な一歩だと思う」
ボレアスは、しばらく黙っていた。それから、小さく頷いた。拒絶でも、了承でもない、ただ受け止めたという頷きだった。その仕草には、これまでの彼女にはなかった、静かな柔らかさがあった。
俺たちは、今度こそ保管庫の最深部を後にした。崩れた通路を抜け、階段を上りながら、誰も多くを語らなかった。それぞれが、今日の戦いと、ボレアスの言葉を、静かに噛み締めているようだった。ポン太の足音、リィナの杖が石畳を突く音、それだけが規則正しく響いていた。
振り返ると、ボレアスが、氷の玉座に座ったまま、じっと保管庫の中を見渡していた。棚を、壁を、そして黒い扉を。一つ一つを、確かめるように。まるで、これまで見慣れていたはずの光景を、初めて違う目で見ているかのように。
その視線の先に、これから何が見えてくるのか、俺にはまだ分からなかった。だが、確かに何かが動き始めている。そんな予感だけが、胸の奥に静かに残っていた。
◆◆◆(今いる場所)◆◆◆
ここまでお読みいただきありがとうござます。
【第二部 クライマックス公開スケジュール】
8/25(火)第20話 前編
8/27(木)第20話 中編
8/29(土)第20話 後編
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