第18話 黒い扉は、選択に応える ―― 中編「選ばされた答え」
◆◆◆
宿へ戻ってからも、俺はずっと考え続けていた。
夕食の間も、寝台に横になってからも、頭の中では同じ問いが回り続けていた。あの時、何が違ったのか。何が扉を動かしたのか。
物理条件では、あの反応を再現できなかった。風も、熱も、魔力も、扉は無視した。だとすれば、残っているのは一つしかない。あの時、ボレアス自身が何かを決めたこと。それが唯一、他の日と違っていた要素だった。
ならば、答えは単純だ。もう一度、ボレアス本人に何かを決めてもらえばいい。同じ条件を作れば、同じ反応が出るかどうか確かめられる。実験としては、極めて基本的な手順だ。
我ながら、筋の通った考えだと思った。会社員時代、何かを検証する時にはいつもこうやって条件を絞り込んできた。変数を一つずつ潰していけば、必ず答えに辿り着く。そう信じていた。
ALMA『観測上の相関は認められます。ただし、因果関係については、現時点で判断できません』
直也「それでも、試す価値はあるだろ」
ALMA『……はい』
翌朝、俺たちは再び保管庫へ向かった。頭の中では、既に検証の手順が組み上がっていた。今度こそ答えに辿り着けるという、根拠のない確信があった。
黒い扉の前に着くと、ボレアスがいつものように玉座から俺たちを見下ろした。昨日と変わらない姿勢、変わらない冷たい視線。
ボレアス「また来たか。今度は何じゃ」
直也「昨日の続きだ。少しだけ、協力してほしい」
俺は懐から温石を取り出した。昨日と同じものだ。宿で改めて温め直してきたので、まだじんわりとした熱を保っている。
直也「これを扉に置く。右か左か、どっちがいい」
ボレアス「……は?」
直也「どっちでもいい。ボレアスが決めてくれ」
ボレアスは、心底わけが分からないという顔をした。当然だろう。俺だって、他人からこんなことを言われたら同じ顔をする。だが、しばらく黙った後、面倒くさそうに答えた。
ボレアス「……右じゃ」
俺は温石を扉の右側へ置いた。ルーンに変化はない。ALMAの光球も、静かに明滅しているだけだった。予想はしていたが、それでも少し落胆した。
ALMA『反応、検出されず』
直也「じゃあ、次だ。ゼピュロス、風を当ててくれ。ただし、どっちの側から当てるかはボレアスが決める」
ゼピュロス「え、私また使われるの?」
直也「頼む」
ゼピュロスは肩をすくめながらも、扉の前へ移動した。文句を言いつつも動くあたりが、彼女らしい。
ボレアス「……左からでよかろう」
翠色の風が、扉の左側を撫でた。やはり、何も起きない。淡いルーンの光は、変わらず一定のリズムを刻んでいるだけだった。
ALMA『反応、検出されず』
俺は顎に手を当てて考え込んだ。
選択肢が軽すぎるのか。温石をどちらに置くか。風をどちらから当てるか。どちらも、ボレアス本人にはまるで関係のない選択だ。あの時の食事とは、意味の重みがまるで違う。
食べるか食べないかという選択には、彼女自身の身体と、これまでの在り方が関わっていた。だが、温石の位置なんて、彼女にとっては心底どうでもいいことだろう。
直也「……もっと、本人に関係のあることじゃないと駄目なのかもしれない」
条件を絞り込む。変数を一つずつ変えていく。いつもやってきたことだった。何かが分からない時、俺はこうやって少しずつ正解へ近づいてきた。
俺は顔を上げた。今度こそ、正しい条件を見つけたつもりだった。
直也「ボレアス。この検証、続けるか、やめるか。それもお前が決めてくれ」
その瞬間、空気が変わった。
ボレアスの表情から、面倒くさそうな色が消えた。代わりに、これまで見たことのない冷たさが宿る。
ボレアス「……貴様は」
直也「なんだ」
ボレアス「貴様は妾に選ばせたいのか。それとも、貴様の欲しい答えを取り立てたいのか」
その一言に、俺は言葉を詰まらせた。
直也「いや、俺は別にどっちを選べとは……」
ボレアス「言うておらぬ、か。ならば聞くが、妾が『やめる』と答えたら、貴様は納得するのか」
俺は答えられなかった。喉の奥で、言葉が引っかかったまま出てこない。
正直に言えば、俺は「続ける」と答えてほしかった。検証を進めたかったからだ。だとしたら、俺が求めていたのは選択そのものではなく、俺にとって都合のいい答えだったことになる。
自由に選べと言いながら、心の中では望ましい答えを決めている。それは、選択を与えているとは言えない。
ボレアス「先ほどから、貴様は妾に決めろと繰り返しておる。だが、それは妾のためではあるまい」
ボレアスの声には、明確な苛立ちがあった。だがそれは、単に実験対象として扱われたことへの怒りとは、少し違う質のものに聞こえた。もっと根本的な、言葉の矛盾そのものへの反発だった。
そこへ、それまで黙って様子を見ていたポン太が、口を開いた。
ポン太「旦那、それも結局、旦那の望む答えを寄越せって言ってるのと同じじゃねぇか?」
直也「……いや、俺は答えを押しつけてるつもりは」
ポン太「答えは押しつけてねぇ。旦那が押しつけてんのは、選べって言うこと、それ自体だ」
ポン太は、いつもの軽い口調のまま、しかし妙に確信を持った声で続けた。尻尾の先を、無意識に指で撫でながら。
ポン太「契約ってのはな、旦那。判子を押させることが目的になった時点で、もう対等じゃねぇんだよ。相手が自分から押したのか、押させられたのかで、中身は全然違う」
直也「……でも、内容は同じだろ」
ポン太「同じに見えるだけだ。後で揉めるのは、いつだって押させられた方さ」
その言葉が、俺の胸の奥へ静かに刺さった。契約と代償を商売にしてきた男の、経験に裏打ちされた言葉だった。
あの時のことを思い返す。リィナは確かに「食べるかどうかは、ボレアスさんが決めてください」と言った。だが、その場で答えを求めはしなかった。器を置いて、それだけで去った。
決める権利は渡したが、いつ決めるかまでは支配しなかった。だからあの時、ボレアスには「今この場で答えなくてもいい」という余白が残されていた。誰にも見られず、誰にも急かされず、彼女は一人で長い時間をかけて、あの一口へ辿り着いた。
その時間こそが、本当に必要だったものなのかもしれない。
対して、今の俺はどうだ。
自由に選んでくれ、と言いながら、その場で答えを出すことを求めていた。どちらを選べとは言わなかっただけで、今ここで選べという要求そのものは、俺が押しつけていた。
直也「……そうか」
俺は、自分の手のひらを見つめた。
直也「俺、選ばせようとしてたのか」
言葉にしてみると、驚くほど単純な話だった。悪意がなくても、相手の答える時間まで奪えば、この世界がやってきたことと大差はない。
ゼピュロスが、少し離れた場所から言った。
ゼピュロス「風だって、吹けって言われたら、もう自由な風じゃないもんね」
彼女は特に深刻な顔もせず、ただ思ったことを口にしただけのようだった。壁にもたれ、腕を組んだまま、いつもの調子で。だが、その一言は的確だった。自由に動くことを自分の在り方としてきた彼女だからこそ、感覚として分かるのだろう。
リィナが、そっと俺の隣に立った。責めるでもなく、慰めるでもなく、ただ静かに寄り添うような距離だった。
リィナ「直也さん。今日はもう、何も決めてもらわなくていいんじゃないでしょうか」
その提案に、俺は静かに頷いた。
直也「ボレアス。悪かった。今日はもう聞かない」
ボレアスは何も答えなかった。ただ、じっと俺を見ている。その視線に含まれているのが、まだ残る苛立ちなのか、それとも別の何かなのか、俺には分からなかった。
俺は、それ以上何も言わなかった。「じゃあ好きにしてくれ」とも、「何か選びたくなったら教えてくれ」とも言わなかった。それを言えば、結局また、いつか選ぶことを期待していることになる。
俺たちは、荷物をまとめ始めた。
その途中、リィナがふと足を止めて、玉座の方を振り返った。
リィナ「ボレアスさん。この前の器、そこに置いたままですけど、下げた方がいいですか」
それは、封じにも扉にも、何の関係もない問いだった。ただ、片付けをする者として、当たり前に確認しただけの言葉だった。そこには検証の意図も、期待も、何一つ含まれていなかった。
ボレアスは、少し間を置いてから答えた。誰にも急かされず、自分のペースで考えた末の返答だった。
ボレアス「……置いておけ」
その瞬間、ALMAの光球が、ごく微かに明滅を変えた。
ALMA『……微弱な反応を検出。ごく短時間のものです』
俺は、その言葉を聞いた。聞いたが、何も言わなかった。
心臓が、一瞬だけ強く跳ねた。今の反応は何だったのか。もう一度確かめたい。その衝動が、確かに胸の奥から湧き上がってきた。
だが、それを口にすることはできなかった。
もう一度やってくれ、とは言わなかった。今のは何だったんだ、とも聞かなかった。それを言った瞬間、俺はまた同じ過ちを繰り返すことになる。
ただ、荷物を背負い直して、黒い扉に背を向けた。
直也「よし、帰るぞ」
背後で、ボレアスが何かを言いかけたような気配がした。だが、俺は振り返らなかった。今日は、それでいいと思った。
◆◆◆(選ばされた答え)◆◆◆
ここまでお読みいただきありがとうござます。
【第二部 クライマックス公開スケジュール】
8/17(月)第18話 後編
8/19(水)第19話 前編
8/21(金)第19話 中編
8/23(日)第19話 後編
8/25(火)第20話 前編
8/27(木)第20話 中編
8/29(土)第20話 後編
よろしければブックマーク・評価などで応援いただけると励みになります。




