第16話 動いた氷と、止められない崩落 ―― 中編「止める北風」
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腰の鞘から、翠色の光が弾けた。輪郭が空気を裂くように広がり、次の瞬間には少女の姿となって俺の隣に立っていた。ゼピュロスが実体化し、剣を構えて先頭の修正体へ躍りかかる。
ゼピュロス「邪魔よ!」
風を纏った一閃が、白い装甲を斜めに斬り裂いた。手応えはあった。だが、斬られた部分から、白い浸食がすっと周囲へ這い出し、近くに転がっていた没収品の破片へと移っていく。斬った端から、別の場所で再び形を作り始めていた。まるで、傷そのものが行き場を求めて逃げていくようだった。
直也「……減ってない」
ゼピュロス「は? 今のちゃんと入ったわよ!」
直也「入ってる。でも、消えてない」
ALMA『解析結果を報告します。白い浸食は、破壊された個体を消滅させるのではなく、周辺物質へ移行し再構成しています。単純な打撃では総量を減らせません』
光球が、いつもより早いリズムで明滅していた。この状況を、あいつなりに必死に整理しようとしているのが分かる。
直也「つまり、斬るだけじゃ終わらないってことか」
この世界はいつもそうだ。表面だけ壊しても、根っこにある「正しさ」は簡単には崩れない。
俺は素早く役割を割り振った。この短い旅の中で、何度も繰り返してきた判断だった。誰が何をできて、何ができないか。それを見極める時間はもう無い。身体が覚えている通りに、声を張った。
直也「ゼピュロスは前進を止める! リィナは動き出した没収品を頼む! ポン太は退路を確保しろ!」
ポン太「合点だ!」
ポン太が身を低くして、崩れた棚の裏へ滑り込んでいく。
リィナは、床の隅で蠢いていた欠けた木製の揺りかごへ目をやった。白い浸食が縁を覆い、細い脚のようなものを何本も生やして這い出そうとしている。だが、その内側には、まだ手彫りの模様が僅かに残っていた。誰かが、この揺りかごを大事に使っていた証拠だった。
リィナは杖を構えた。一瞬、全体を丸ごと消してしまおうと迷う。それが一番早くて、確実な方法だ。だが、その考えを、自分ですぐに打ち消した。誰かがこの揺りかごで、赤ん坊をあやしていた時間があったはずだ。その時間ごと消してしまうのは、違う気がした。
リィナ「……悪いところだけ、なくします」
杖の先から淡い光が伸び、白い浸食部分だけを選び取るように包み込んでいく。木の下地は残したまま、覆っていた白さだけが薄れていった。手彫りの模様が、白さの下からゆっくりと姿を現す。それは、花か、あるいは小鳥のような形だった。
やがて、揺りかごは元の壊れた姿へと戻り、動きを止めた。ただの、欠けた家具に戻った。動かなくなったそれを見て、リィナはほっとしたような、それでいて少し寂しそうな顔をした。
リィナ「……よかった」
安堵の息をつく間もなく、次の異形が近くで蠢き始めていた。鍋も、玩具も、同じように白い部分だけを狙って除去していく。だが、一度使うごとに、リィナの息が浅くなっていくのが分かった。集中を要する繊細な作業だ。何度も続けられるものではない。
ALMA『警告。構造維持限界まで、残り推定21分です』
崩落までの猶予が、容赦なく減っていく。
ゼピュロスは修正体の前進を防ぎ続けていたが、斬撃のたびに巻き起こる風が、崩れかけた天井をさらに揺さぶっていた。彼女は無我夢中で剣を振るい、防戦一方になりながらも一歩も引かない。氷塊が音を立てて落下し、通路の一部が完全に潰れる。
直也「ゼピュロス、全部吹き飛ばすな! ここまで壊れる!」
ゼピュロス「じゃあ、どうしろっていうのよ!」
彼女の声には、明らかな苛立ちが滲んでいた。全力で戦っているのに、それを止めろと言われることへの反発だった。
直也「狙う場所を絞れ!」
ゼピュロス「分かったけど、納得はしてないから!」
不満げな返事だったが、それでも彼女は風の広がりを抑え、刃先だけに力を集めるよう動きを変えた。口では文句を言いながら、動きだけは俺の指示に従っている。そういうところが、彼女らしかった。
その時、崩れた棚の陰から悲鳴に近い声が上がった。
ポン太「うおっ!?」
天井の氷塊が、轟音と共にポン太のすぐ横へ落下した。粉々に砕けた氷の破片が、周囲へ飛び散る。彼は紙一重で飛び退いたが、着地の際に尻尾を強く床へ打ちつけた。顔が歪む。さらに、近くに転がる没収品の破片から伸びていた白い浸食が、逃げ場を求めるように彼の尻尾へ絡みつこうとしていた。
ポン太「尻尾狙いは追加料金でも勘弁だぜ!」
リィナが咄嗟に杖を振るい、絡みつく浸食だけを消し去った。
リィナ「大丈夫ですか、ポン太さん!」
ポン太「へ、へへっ……ちょっと痛ぇが、まだ動ける」
そう言いながらも、彼の足取りは明らかに鈍っていた。それでも、退路を確保する作業だけは止めなかった。契約と代償を何より重んじるこの男が、今は追加料金の確約もないまま、痛みを堪えて働き続けている。
直也(……このままじゃ埒が明かない)
修正体はまだ3体、健在だった。ゼピュロス1人で押さえ続けるには、数も範囲も足りない。俺は黒い扉の奥へ視線を向けた。
直也「ボレアス! 止められるか!」
隙間の向こうで、氷の玉座に座ったままのボレアスが、こちらを一瞥した。
ボレアス「妾に命じるつもりか」
直也「命令じゃない。あんたの玉座を守るために必要なんだ!」
一瞬、彼女は黙った。冷たい瞳が、崩れゆく保管庫の様子を見渡す。
ボレアス「……勘違いするでない。妾の場所を守るだけじゃ」
そう言うと、彼女は亀裂の入った鎖へそっと手を触れた。指先が触れた瞬間、鎖全体がわずかに光を帯びた。
黒い扉の周辺から、鋭い冷気が走った。空気そのものが凍りつくような、鋭利な静けさだった。先頭の修正体の脚部が、瞬時に凍りつく。同時に、落下寸前だった棚と氷塊が、空間ごと固定されるように動きを止めた。
ALMA『固定範囲は黒い扉を中心に限定されています』
直也「十分だ!」
初めて見る、彼女の本領だった。理詰めで高飛車な物言いばかりが目立っていたが、この一瞬の力の使い方には、確かな実戦の重みがあった。
だが、離れた場所にいる残る2体の修正体には、力が届いていなかった。ボレアスの眉が、ほんの僅かに寄る。指先の鎖に、薄い霜の亀裂が走った。呼吸が、一瞬だけ乱れたように見えた。彼女はすぐに表情を戻したが、その一瞬の変化を俺は見逃さなかった。玉座から動けないというのは、こういうことなのだろう。守れる範囲には、限りがある。
直也「ゼピュロス! 止まったやつだけ狙え!」
ゼピュロス「了解!」
固定された先頭の修正体へ、翠色の刃が正確に叩き込まれる。動きを封じられた敵は、もう避けることも、反撃することもできなかった。白い浸食が慌てて周囲へ逃げようとしたが、リィナがすかさず、逃げ道となる白い浸食だけを消し去った。逃げ場を失った浸食が、その場に留まるしかなくなる。
白い装甲が、細かく砕けて崩れ落ちる。今度こそ、再構成する先を失って消えていった。破片の一つも残らず、その場から静かに消滅していく。
直也「……1体、消えた」
だが、その間にも残る2体は、黒い扉の目前まで迫っていた。ボレアスが再び固定しようとする。しかし、亀裂の入った鎖が大きく軋み、彼女の力が一瞬だけ途切れた。
その隙を、ゼピュロスが埋めた。
ゼピュロス「そこで止まるんでしょ!」
彼女は風を敵の足元へ叩きつけ、進路を強引にねじ曲げた。狙った先は、ボレアスが次に固定できるであろう位置だった。誰に教わったわけでもない。ただ、これまで彼女と交わした短い言葉の中から、その場所を読み取っていた。修正体の足が、その場所へ押し込まれる。
ボレアス「……余計な真似を」
そう言いながらも、彼女はすかさず力を発動させた。押し込まれた修正体の脚が、氷の中へ固定される。
ゼピュロス「止める場所くらい、見れば分かるわよ!」
初めて、二人の動きが噛み合った瞬間だった。
だが、喜んでいる暇はなかった。残る修正体、そして異形化した没収品の群れが、一斉に動きを速めていた。
ALMA『構造維持限界を再計算。残り推定12分です』
数字が、さらに削られていた。
ポン太が尻尾を庇いながら、最後の横道を必死に切り開いている。リィナは息を切らしながら、なんとか浸食の除去を続けていた。ボレアスの鎖からも、僅かに軋む音が続いている。
それでも、誰も止まらなかった。
直也「……止める場所を決める。そこへ全部集めるぞ」
俺は、崩れゆく保管庫を見渡した。頭の中で、それぞれの役割が繋がっていく。ボレアスが止め、ゼピュロスが斬り、リィナが逃げ道を塞ぐ。ポン太が退路を作る。
手順は見えている。あとは、どこへ集めるか。それだけが、まだ決まっていなかった。
崩れた棚の隙間から、冷たい風が吹き抜けていく。黒い扉の奥で、ボレアスが小さく息をついた音が聞こえた気がした。疲れているはずなのに、彼女はまだ何も言わず、次に止めるべき場所を見定めていた。
◆◆◆(止める北風)◆◆◆
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次回更新予定:8月4日(火)になります。
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