第15話 音を奪う静けさ ―― 後編「俺たちの音」
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4つの不揃いな振動が、石畳を伝い続けていた。
俺の拳、ポン太の足踏み、リィナの杖、ゼピュロスの風。誰一人として、同じ間隔で動いていない。それでも、確かに一つの目的へ向かっていた。
敵は、よろめいたまま体勢を立て直そうとしていた。装甲の表面に残る細かな亀裂のような揺らぎが、まだ完全には消えていない。
直也(さっき、光が集まってたのは右胸部……多分あそこに何かある)
確信ではなかった。ただの直感だ。だが、この状況では直感だけが頼りだった。ALMAが何かを伝えようとしていたのは分かっている。それが正しいのかどうか、確かめる術は今のところない。それでも、この直感を疑うより、信じて動く方が今は建設的だった。
敵が体勢を立て直し、大剣を構え直す。今度は俺たちを一体ずつ狙い定めるように、視線のない頭部をゆっくりと巡らせた。顔がないはずなのに、その動きだけで明確な敵意が伝わってくる。獲物を品定めするような、静かな威圧感があった。
直也(このまま同じ調子で続ける。揃えるな。バラバラのままでいい)
俺は身振りで、全員へ合図を送った。今の動きを続けろ、という意味だった。
ポン太が路地の陰へ移動し、また別の場所から石畳を踏み鳴らす。右、左、正面、背後。振動源が定まらないよう、絶えず位置を変え続けていた。尻尾の先が疼くのか、時折顔をしかめていたが、足を止めることはなかった。
リィナは杖の先を石畳へ滑らせ、浮いた石や隙間を丁寧に均していく。振動そのものを作るのではなく、俺たちが叩いた振動が、より遠くまで、より正確に伝わるように道を整えていた。額に汗を浮かべながらも、その手つきは驚くほど繊細だった。
ゼピュロスは地面すれすれで風を叩きつけ続けている。強さも、方向も、間隔も、その都度変えていた。統一された規則性を持たない、彼女らしい気まぐれな振動が、石畳の上で複雑に重なり合っていく。
敵が、再び大剣を地面へ突き立てた。街全体の空気が、一瞬だけ震える。
直也(……来る)
俺たちの足元から、正しい周期へ引き寄せようとする力が広がっていくのを感じた。膝の裏、腰、肩。身体の奥底から、何かに引っ張られるような感覚があった。
直也(揃えられる……!)
自分の拳のリズムが、無意識のうちに規則的なものへ変わりかけている。隣を見ると、ポン太の足取りも、少しずつ同じ間隔へ寄せられていた。リィナの杖の動きも、ゼピュロスの風も、例外ではなかった。
このままでは、全員が敵の思う周期へ呑み込まれる。
直也(駄目だ……!)
俺は拳を握り直し、あえて予定より早いタイミングで石畳を叩いた。
意図的にリズムを崩す。決められた形をなぞるのではなく、自分の意志で外す。
その一撃をきっかけに、リィナが一拍遅れて杖を打ちつけた。ポン太はさらに間を外し、ゼピュロスは思い切り強い風を叩き込んだ。
4人分の振動が、再びバラバラに乱れる。
敵の固定しようとしていた周期に、亀裂が入った。
そして――
一瞬だけ、街の音が戻った。
どこかで、皿が割れる音がした。
直也「みんな、聞こえるか!」
自分の声が、久しぶりに自分の耳へ届いた。全員がはっと顔を上げる。声を取り戻した驚きが、それぞれの表情に浮かんでいた。ゼピュロスの目が、一瞬だけ大きく見開かれた。彼女にとって、それがどれほど久しぶりの感覚だったか、俺には想像するしかなかった。
だが、無音領域はすぐに立て直された。再び、街全体が静寂に沈んでいく。取り戻したはずの音が、また指の隙間からこぼれ落ちていくような感覚があった。
それでも、俺の中には確信が生まれていた。
直也「音は揃えるな! 俺たちのままで鳴らせ!」
声は、また聞こえなくなった。だが、全員が俺の口の動きと、拳を振り上げる仕草を見て、意図を理解したようだった。
ゼピュロスが頷き、ポン太が姿勢を低くする。リィナが杖を強く握り直した。
その時、頭上の光球が、これまでで一番強く発光した。
不揃いな振動に押され、無音領域が再び大きく揺らいだ。
ALMA『――共振点、右胸部』
一言だけ、確かに耳へ届いた。
俺の仮説が、確信に変わった瞬間だった。
直也「ゼピュロス、右胸部だ!」
ゼピュロス「了解!」
ゼピュロスが風を纏った身体で、敵の懐へ一気に踏み込む。その動きは、これまでのどの攻撃よりも鋭く、迷いがなかった。ポン太が敵の背後と左右から、リィナが整えた振動の通り道を通じて、不規則な衝撃を送り込む。尻尾を引きずるように動きながらも、その足取りは止まらなかった。リィナ自身も、振動が最後まで途切れないよう、杖を石畳へ強く打ちつけ続けていた。汗が額から滴り落ちても、その手は止まらなかった。
ゼピュロスの魔剣に、不揃いな振動そのものが纏わりつく。
ゼピュロス「私の風を、勝手に黙らせないで!」
翠色の刃が、敵の右胸部へ深々と突き刺さった。
一瞬の静寂。
それから、白い装甲の内側から、音が一斉に噴き出した。
鐘の音。荷車の軋み。鍛冶屋の槌音。犬の吠え声。子供の泣き声。商人の呼び声。誰かの咳。皿の割れる音。ポン太の悪態。リィナの震えた声。俺の命令。ゼピュロスの笑い声。
不揃いで、うるさく、重なり方も滅茶苦茶な音の奔流が、敵の内部を突き破っていく。
白い装甲に、無数の亀裂が走った。
音叉状の大剣が、砕け散る。
静謐修正体は、最後まで一言も発することなく、全身が白い破片となって崩れ落ちた。その破片さえも、空中で音へと変わりながら消えていった。
一瞬の静寂の後、街中の音が、まとめて戻ってきた。
あまりの音量に、俺たちは思わず耳を塞いだ。
直也「うるさっ!」
最初に返ってきたのは、美しい鐘の音だけではなかった。子供の泣き声、誰かのくしゃみ、荷車の壊れた車輪、店主の怒鳴り声、犬の吠え声、皿の割れる音。あらゆる不揃いな生活音が、一斉に街へ帰ってきた。
住民たちの表情も戻っていた。泣いていた子供は、同じ笑顔には戻らず、また大声で泣き始める。母親が困った顔で抱き上げた。八百屋の店主が、いつもより大きな声で値段を叫んでいる。誰かが盛大にくしゃみをして、隣の人間に笑われている。整いすぎていた街が、ようやく人間らしい雑音を取り戻していた。
リィナ「……ちゃんと、みんな違う音です」
リィナが、涙ぐみながら呟いた。
直也「ああ。それでいいんだよ」
ゼピュロス「私の声も聞こえる?」
直也「お前の声だけ少し返却したい」
ゼピュロス「なんでよ!」
ポン太「旦那ぁ! 俺っちの追加料金の話も聞こえてるか!」
直也「それは無音のままでよかった!」
戦闘の緊張が抜けて、ようやく肩の力が抜けていく。
ALMA『音響情報の復旧を確認しました』
直也「お前の声が戻ると、ちょっと安心するな」
ALMA『記録します』
直也「そこは記録しなくていい」
そんなやり取りの最中、ALMAの明滅がふと鋭いものに変わった。
ALMA『地下方向へ移動する音響エネルギーを検知しました』
直也「冷える保管庫か?」
ALMA『推定一致率、86パーセントです』
俺は街の喧騒を背に、地面に視線を落とした。目には見えないはずの何かが、石畳の下を静かに流れていく気配がある。それは奪われるのではなく、必要な場所へ還っていくような、不思議な感覚だった。
リィナ「音が、帰っていくんでしょうか」
俺は、奪われているようには感じなかった。街へ戻った音の一部が、必要な場所へ分けられているように見えた。裏台帳で読んだ、あの一文が頭をよぎる。
「静けさを3つに分けて逃がすこと」
音が戻ることで、あの静けさの一部が、外へ逃げ始めたのかもしれない。
◆◆◆
黒い扉の奥。
氷の玉座で、ボレアスが静かに目を閉じていた。
これまで完全な無音だったその空間へ、初めての音が届き始める。
遠い鐘。
不揃いな靴音。
荷車の軋み。
子供の泣き声。
犬の吠え声。
ポン太の悪態。
直也の命令。
そして最後に、ゼピュロスの大声。
それらは順番に整列することなく、氷の空間へ勝手に流れ込んでいった。
氷の玉座の周囲を包んでいた完全な静寂が、初めて揺らいでいた。長い時間、ここには何一つ音がなかったはずだ。その空白に、街の雑多な音が無遠慮に流れ込んでいく。
ボレアスが、ゆっくりと目を開く。
ボレアス「……騒がしい」
氷の鎖が、小さく振動した。これまで完全に張り詰めていた一本だけが、異なる音へ引かれるように揺れる。
細い亀裂が、鎖の表面に走った。
亀裂は、鎖を完全に切らない。だが、その鎖だけが、初めて自由に鳴った。小さな鈴のような音だった。
ボレアスは、自分の鎖から音が出たことに、一瞬だけ目を見開いた。口元が、僅かに緩む。
ボレアス「……余計なものまで返しおって」
遠くから、ゼピュロスの声が響いたように感じた。
その直後、氷の玉座の下で、低い地響きが起きた。
壁に亀裂が走る。棚が揺れる。凍りついていた没収品が、脈動するように震え始めた。
ボレアスの表情が、すっと引き締まった。さっきまでの、僅かに緩んでいた口元の気配は、もうどこにもなかった。
ボレアス「愚か者ども。動かしたのなら、最後まで責任を取れ」
その声には、拒絶とは違う、確かな重みがあった。まるで、これから起きることの覚悟を、自分自身に言い聞かせているようでもあった。
◆◆◆(俺たちの音)◆◆◆
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次回更新予定:7月28日(火)になります。
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