第14話(6)裏台帳と、凍った名前 ―― 音を返すこと
◆◆◆
軋むような音は、すぐに止まらなかった。
それどころか、棚という棚から、同じ音が次々と響き始めた。
直也「……おい、なんだこの音」
俺たちが手にしていた台帳の表紙が、ひとりでにぱらぱらとめくれ始めた。文字が、消えるのではなく、置き換わっていく。
「未分類不純物接続記録」という文字が、見ている目の前で「該当なし」に変わった。黒ずんでいた部分が白くなり、折り目が伸び、手垢が薄れていく。台帳全体が、ものすごい速さで「最初から何も書かれていなかった」状態へと整え直されようとしていた。棚という棚が、まるで一斉に深呼吸をするように、紙の山を白く塗り替えていく。
直也「うわ、世界が証拠隠滅を始めた!」
ポン太「違うぜ旦那。証拠隠滅よりタチが悪い。こいつは『証拠なんて最初からありませんでした』って顔をするやつだ」
紙片が次々と空中に舞い上がり、棚の隅へと吸い込まれるように飛んでいく。まるで部屋全体が、不要なものを吐き出すのではなく、何もなかった状態に戻ろうと収縮しているようだった。
直也「リィナちゃん、台帳を確保しろ!」
リィナ「は、はい!」
リィナは杖を握りしめ、必死に台帳を抱え込んだ。だが、紙片の半分はすでに白く戻りかけている。
ゼピュロスが鞘から飛び出し、俺たちの周囲に風の渦を作った。
ゼピュロス「掴まえてあげる!」
だが、強い風では紙が散ってしまう。繊細な制御が必要だった。
直也「ゼピュロス、今だけは微風で頼む!」
ゼピュロス「言ったわね!? 今、言ったわね!? 誰が微風よ!」
直也「今は誇りより紙片だ!」
ゼピュロス「あとで絶対に文句言うから!」
そう叫びながらも、ゼピュロスは器用に風を絞り込んだ。荒々しい突風ではなく、繊細な渦が紙片を宙に留めていく。文句を言いながらも、求められた仕事はきっちりやってのける。それが彼女らしかった。
リィナが台帳の一部に手をかざし、必死に魔法をかけ続けた。
リィナ「消えちゃだめです。これは、汚れじゃなくて……誰かが残した跡です」
その声は、これまでで一番強かった。台帳の白紙化が、わずかに勢いを緩めた。完全には止まらない。だが、リィナの手の下にあるページだけは、最後まで白く戻りきらなかった。
その隙に、ポン太が半分凍った紙片を一枚、素早く懐に滑り込ませた。
ポン太「よし、取った!」
直也「おい、尻尾」
ポン太「あ? ……げっ、先っぽ凍ってやがる」
ポン太の尻尾の先端に、薄い霜が貼りついていた。
リィナ「大丈夫ですか!?」
ポン太「大丈夫大丈夫。タヌキの尻尾は多少凍っても値打ちは下がらねぇ」
直也「値打ちの問題じゃないだろ」
ポン太「旦那、逃げるぞ。裏台帳を読んだ料金、そろそろ徴収される」
直也「誰にだよ」
ポン太「この世界にだよ」
その時、通路の向こうから、足音が聞こえてきた。
正しい歩幅で、正しい速度で、寸分の狂いもなく揃った足音。
やがて、白い制服の係員たちが姿を現した。
書類係「不要な記憶をお持ちですね」
書類係「記憶の回収は、親切な手順で行われます」
書類係「持ち出された記憶は、利用者様の負担になります」
書類係「安心してください。忘れることは、いつでも安全です」
直也「忘却をサービスみたいに言うな!」
俺は叫びながら、リィナとポン太を促した。
直也「逃げるぞ!」
リィナ「は、はい!」
ポン太の案内で、俺たちは入ってきたのとは別の細い通路へと駆け込んだ。背後から、整列した足音が追ってくる。ゼピュロスが風で進路を後押しし、リィナが転びそうになる俺の腕を支えてくれた。筋肉痛の脚に鞭打ちながら、それでも俺は走った。腰が悲鳴を上げるたび、昨日の防寒外套を心の中で呪いながら。
◆◆◆
安宿に戻った頃には、すっかり日も暮れていた。
全員、息を切らしながら椅子に崩れ落ちる。
ポン太が懐から、半分凍った紙片を取り出した。
ポン太「持ち帰ったぜ、旦那」
紙片には、かろうじてこう書かれていた。
「第1封じ――音を返すこと」
直也「音を返す、か」
リィナ「ボレアスさんのところ、音が全部吸い込まれるみたいでしたよね」
ゼピュロス「……あいつ、うるさいのが嫌いって言ってたけど。本当は、音がないのが嫌なのかも」
直也「分からない。でも、次にやることは見えた」
ALMA『次の行動候補を提示します。保管庫最深部周辺における音響異常の調査。もしくは、過去に回収された音に関する記録の探索』
直也「つまり、次は音探しか」
ポン太「へへっ。音の値段は高いぜ、旦那」
直也「この世界、何でも金を取るな……」
ポン太は尻尾の先をさすりながら、小さく顔をしかめた。霜はもう溶けているはずなのに、まだじんわりと痛むらしい。今日一日の収穫の代償としては、案外安いのかもしれないが、本人はそう思っていないようだった。
◆◆◆
黒い扉の奥。
氷の玉座で、ボレアスが目を閉じていた。
遠くで、紙がめくれるような、かすかな音がした。
あるいは、氷の鎖が、鈴のように一度だけ鳴った。
ボレアス「……余計なことを」
その声は、完全な拒絶ではなかった。
氷の鎖が、もう一度だけ、小さく鳴った。
◆◆◆(音を返すこと)◆◆◆
◆◆◆(第14話ここまで)◆◆◆
【あとがき】
いつも読んでいただきありがとうございます。
次回、第15話から投稿形式を少し変更します。
これまでは1話を細かく分割して更新していましたが、第15話以降は「前編・中編・後編」の3部構成でお届けする予定です。
1回あたりの読み応えを少し増やしつつ、物語の流れをより楽しんでいただける形を目指しました。
更新ペースはこれまで通りを予定していますので、今後ともこの作品をよろしくお願いいたします。
次回更新予定:7月17日(金)になります。
よろしければブックマーク・評価などで応援いただけると励みになります。




