第14話(5)裏台帳と、凍った名前 ―― 凍った名前と、3つの静けさ
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「旦那、こいつは当たりだ」
棚の最奥、誰も触れていなかったらしい金属製の棚から、ポン太が一冊の台帳を引っ張り出してきた。表紙は半分が凍りつき、もう半分は擦り切れて文字がほとんど読めない。だが、辛うじて残った部分に、こう記されていた。
未分類不純物接続記録。
直也「……不純物、ね」
俺はその文字を見つめながら、思わず呟いた。
直也「あいつが聞いたら、鼻で笑いそうな扱いだな」
あの誇り高い、氷の玉座に座る少女が、こんな雑な分類で片付けられている。それを想像すると、妙な腹立たしさと、同時にやるせなさが込み上げてきた。整いすぎたこの世界は、人ひとりの存在さえ、棚の隅に押し込めた紙切れ一枚で済ませてしまうらしい。誰がこの分類を決めたのか知らないが、顔を見たら一言文句を言ってやりたい気分だった。
ポン太「で、たぶん外れでもある」
直也「どういう意味だ」
ポン太「当たりってことは、読めば面倒ごとが増えるってことだよ」
ポン太の言葉に、リィナが小さく息を呑んだ。
台帳を開いてみると、中身のほとんどのページが白く凍りついていた。文字どころか、紙の質感すら分からない。指で触れると、ひやりとした感触が伝わってくる。まるで時間そのものが、ここだけ凍りついたまま動いていないようだった。古びた紙特有の匂いすら、ここでは凍てついて消えていた。指先がじんと痺れるほどの冷たさに、俺は思わず手を引っ込めた。
直也「……これじゃ、読めないな」
リィナ「やってみます」
リィナが杖を構え、凍ったページに向けて、さっきよりも控えめに魔法を発動させた。慎重に、霜の奥にあるものを傷つけないように、力を絞るような所作だった。
リィナ「お掃除・拭き残し確認――弱め、で」
霜が完全に溶けるわけではなかった。だが、凍った文字の凹凸だけが、薄っすらと浮かび上がってくる。読み取るには集中力が要る。俺たちは身を寄せ合うようにして、ページを覗き込んだ。冷気が頬に当たり、白い息が幾つも重なった。
そこに、一文だけ浮かんだ。
「監視者を動かすには、静けさを3つに分けて逃がすこと」
直也「静けさを、3つに分けて逃がす……?」
ALMA『解析不能。比喩表現の可能性があります』
ポン太「いや、たぶん比喩じゃねぇ」
ポン太が腕を組み、台帳を覗き込んだ。
ポン太「あのお姫様の鎖は、ただ切るもんじゃねぇんだ。溜まった静けさの逃げ道を作る必要がある」
ゼピュロス「つまり、風通しをよくするってこと?」
鞘の中から、ゼピュロスの声が聞こえた。
リィナ「お部屋の換気みたいなものでしょうか……?」
直也「ボレアス救出作戦、まさかの換気作業から始まるのか」
俺は思わず苦笑した。重々しい封じの話のはずなのに、リィナの言葉で急に生活感のあるものに聞こえてくる。だが、その生活感が、かえって理解の助けになっている気もした。難しい理屈より、部屋の空気を入れ替えるという感覚の方が、よほど腑に落ちる。考えてみれば、この旅自体、いつもこうして難しい話を生活の言葉に置き換えながら進んできた気がする。
リィナはさらに魔法を続けた。霜の奥から、断片が続けて浮かび上がってくる。
「第1封じ――音」
「第2封じ――熱」
「第3封じ――流れ」
「記憶――」
最後の「記憶」の文字だけが、浮かび上がりかけて、すぐにまた白く沈んでいった。まるで誰かが、その文字だけを必死に隠そうとしているかのようだった。
ALMA『記録します』
光球が、いつものように淡く明滅した。だが、数秒後、その明滅が小さく乱れた。
ALMA『……該当箇所の保存に失敗しました』
直也「お前が保存に失敗するのか?」
ALMA『……はい。原因は未定義です』
直也(記憶、か。お前が覚えていられないものなんて、あるのかよ)
俺は何も言わなかった。だが、その内心の呟きは、思った以上に重く胸の中に残った。これまで当然のように分析し、記録してきたALMAが、たった一つの言葉を保存できない。その事実が、妙に心の隅に引っかかった。光球の淡い明滅が、いつもより少しだけ弱く見えた。気のせいだと片付けるには、妙に目に残る揺れだった。
直也「また未定義か」
ALMA『補足。私の処理領域に到達する前に、情報が欠落しました』
直也「それ、普通に怖い言い方だぞ」
光球の明滅は、それきり元のリズムに戻った。だが、さっきの一瞬の乱れは、確かに俺の目に焼き付いていた。いつもなら合理的な言葉で状況を整理してくれるALMAが、今だけは自分のことを説明できずにいる。それが、保管室の冷たさとは別の意味で、俺の背筋を冷やした。
ポン太「旦那、今は深く考えるな。分かったことだけ持って帰るのが先だ」
直也「……そうだな」
俺は台帳をもう一度見下ろした。
静けさを3つに分けて逃がすこと。音、熱、流れ。そして、消えかけた記憶。
断片だけでは、まだ何も分からない。だが、確かに何かが見えてきている。これまで雲を掴むようだったボレアスの事情に、ようやく輪郭らしきものが見え始めていた。
直也「次は、これを持ち帰る方法を考えないとな」
リィナが小さく頷いた。
だが、その瞬間――保管室の奥で、何かが軋むような音が響いた。
◆◆◆(凍った名前と、3つの静けさ)◆◆◆
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次回更新予定:07月14日(火)になります。
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