第14話(4)裏台帳と、凍った名前 ―― 汚れを残すお掃除
◆◆◆
棚の奥、最も古い書類が積まれた一角で、俺たちはようやく目当てのものらしき台帳の束を見つけた。
「北風」「監視者」「最深部」――かすれた文字の断片が、表紙のあちこちに散らばっている。だが、肝心の部分はことごとく欠けていた。誰かの名前が入るべき場所、条件が記されるべき行、それらがまるで最初から空欄だったかのように、綺麗に整っている。
直也「……惜しいところで、いつも何かが足りないな」
俺は苛立ちを抑えながら、別の一冊を開いた。中身は同じだった。輪郭だけが残っていて、肝心な中身がない。
ALMA『分析結果を報告します、直也さん』
頭上の光球が、淡く明滅した。
ALMA『これらの記録は、文字情報が欠落しているのではありません。意味情報そのものが、別の安全な表現へ置換されています』
直也「黒塗りじゃなくて、最初から別の言葉にされたってことか」
ALMA『肯定。通常の復元処理では対応できません』
つまり、消されたわけではない。最初から、別の何かにすり替えられている。読めば読むほど、何も分からなくなる仕組みだ。
俺はしばらく台帳を睨んでから、ふと、リィナの方を振り返った。
彼女はずっと、棚の隅で困った顔をしていた。何をすればいいのか分からない、というより、自分の役割がここにあるのかどうか、迷っているような顔だった。
直也「リィナちゃん」
リィナ「は、はい!」
直也「今回は、綺麗にしなくていい」
リィナ「え?」
予想していなかった言葉だったのだろう。リィナは目を丸くした。
直也「むしろ、汚れを残してほしい。消された跡、筆圧、インクの沈み、紙のへこみ……そういうものだけを、見えるようにできるか」
リィナ「汚れを、残す……」
リィナは杖を握りしめたまま、自分の手元と俺の顔を交互に見た。リィナの魔法は、いつだって何かを楽にしてきた。汚れを落とし、不快なものを取り除き、歪んだものを整える。その逆を頼まれるのは、たぶん初めてのことだった。
直也「うん。今回の汚れは、たぶん誰かが残したかったものだ」
リィナ「残したかったもの……」
直也「消しちゃいけない汚れも、あると思う」
リィナはしばらく俯いていた。それから、ゆっくりと顔を上げた。さっきまでの戸惑いが、少しだけ和らいでいる。
リィナ「……やってみます」
リィナは杖を構え、目の前の台帳にそっとかざした。
普段の浄化の魔法とは違う、奇妙な集中の仕方だった。汚れを払うのではなく、汚れを呼び戻すような、逆向きの祈り。
リィナ「生活魔法――お掃除・拭き残し確認」
淡い光が、台帳の表面を撫でるように広がった。
だが、その光は何も消さなかった。むしろ、消えかけていたインクの沈みが、じわりと浮かび上がってくる。筆圧の凹凸、手垢の跡、紙の繊維の乱れ。清書された正しい文章の裏に隠れていた、訂正前の迷いの跡が、少しずつ姿を現していく。
直也「……すごいな、リィナちゃん」
リィナ「私も、こんな使い方、初めてです」
リィナの声には、戸惑いと、それを上回る小さな手応えが滲んでいた。
浮かび上がった文字は、断片的だった。
「北風監視者」
「最深部静謐維持」
「接続鎖」
「解除不可ではない」
「順序を誤れば均衡崩壊」
「音」
「熱」
「流れ」
「記憶」
「第1封じ」
「第2封じ」
「第3封じ」
すべてが繋がった文章ではない。ところどころが抜け落ち、まるでパズルのピースだけが散らばっているようだった。それでも、確かに何かを示している。
直也「解除不可ではない、ってことは……やっぱり、方法はあるんだな」
ALMA『肯定。ただし、現時点では断片情報のみであり、具体的な手順は不明です』
腰の鞘の中で、ゼピュロスが小さく反応した。
ゼピュロス「……やっぱり嫌い、この紙」
直也「何か分かるのか?」
ゼピュロス「分かんない。分かんないけど、見てると腹が立つ」
直也「ボレアスのことを思い出すか?」
ゼピュロス「思い出してない!」
直也「今の反応は思い出してるやつだな」
ゼピュロス「うるさい!」
それ以上は何も言わなかったが、鞘の中の気配はしばらく落ち着かなかった。
リィナはまだ台帳に杖をかざしたまま、浮かび上がる断片を一つずつ目で追っていた。
リィナ「……これ、全部、誰かが消そうとしたものなんですよね」
直也「たぶんな」
リィナ「消されたくなかったから、ここに残ってるんでしょうか」
その問いに、俺はすぐには答えられなかった。
紙に残された筆圧は、書いた人間の意志だったのか、それとも、消えきれなかった偶然だったのか。どちらにせよ、リィナの魔法がなければ、二度と読まれることのない言葉だった。
直也「……残ってるってことは、誰かがそれを望んだんだと思う」
リィナは小さく頷いた。
その表情には、これまでにない、静かな確信のようなものが浮かんでいた。
◆◆◆(汚れを残すお掃除)◆◆◆
ここまでお読みいただきありがとうございます。
次回更新予定:7月10日(金)になります。




