第13話(2)氷の監視者と、ほどけない鎖 ―― 退けば割れる矜持
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「なんで、こんな場所にいるんだ」という問いが、冷えた空気に溶けていく。
ボレアスは何も言わなかった。
数秒が、氷のように固まって通り過ぎた。あれだけ好き勝手に見下し文句を吐いていたのに、この問いには妙に慎重だ。
直也「答えたくないなら別にいい。ただ、俺には正直分からないんだ。お前が言った『自らの意志でここに在る』っていうのが、本当ならどういう意味なのか」
ボレアス「……」
直也「普通、自分の意志でいる場所に鎖なんかない」
ボレアス「普通、などという基準で妾を測るな」
鋭い一言が返ってきた。だが、それだけだった。続きはない。
俺は黙って待った。この手の相手は、急かすほど口を閉じる。会社でもいた。何でも知ってるくせに、自分で話すと決めるまでは絶対に口を開かない厄介なタイプだ。
やがてボレアスは、ゆっくりと氷の玉座に腰を落ち着け直した。その動作は小さかったが、なぜか「話す」という決断のように見えた。鎖が静かに擦れ、薄く澄んだ音が最奥の空間に響く。
ボレアス「……妾がここを退けば、この静けさは割れる」
直也「静けさが、割れる?」
ボレアス「この保管庫の最深部は、揺らぎを許さぬことで成立しておる。もし誰かが、あるいは何かが、その静けさを支える軸を失えば……均衡が崩れる。それだけじゃ」
直也「それだけって顔で言うなよ。十分でかい話だろ。お前がそこを支えてるってことか?」
ボレアス「支える、という言い方は下品じゃな。妾は理の監視者じゃ。ここの静けさを保つことが、妾の在り方と一致しておる。だから、在り続けておるだけのこと」
その言葉は整然としていた。論理的で、揺れがない。だが、俺にはその整然さが少し出来すぎているようにも聞こえた。よく練られた言葉ってのは、時々、長い時間をかけて磨き上げた言い訳に見える。
直也「在り方、ね。便利な言葉だな。逃げ場にもなる」
ボレアス「逃げではない。定義じゃ」
直也「俺にはその二つ、紙一重に聞こえる時がある」
ゼピュロス「私は全然分かんない。止まり続けるのが在り方って、息苦しくないの?」
ボレアス「息苦しいかどうかで理を選ぶ者は、最初から監視者に向いておらぬ」
ゼピュロス「なによそれ。感じ悪っ」
ポン太「へへっ、感じ悪いのは今さらだろ」
ポン太が肩をすくめるように尻尾を揺らした。その軽口に、場の硬さがほんの少しだけ緩む。
リィナ「……あの」
後ろで、リィナが小さく呟いた。
リィナ「直也さん、あの人……ずっとそうしてきたんですね。止めるために、自分が止まった」
ボレアス「……」
ボレアスは何も言わなかった。ただ、その極寒の瞳が、一拍だけリィナへと向いた。それだけだった。
でも、その一拍は長かった。無視ではない。聞こえていないふりでもない。ちゃんと届いてしまった相手を見る時間だった。
ALMA『……報告。ボレアスの発話パターンを継続分析中。論理構造は整合していますが、直也さん、感情的な前提の部分に空白があります。説明されていない動機が存在します。……整理しきれません』
直也「お前が整理できないのは、もう慣れた」
ALMA『肯定。ただし今回の空白は、これまでの観測エラーとは質が異なります。未整理の要素が増えています』
直也「便利な言い換えしたな」
ALMA『学習しました』
ポン太「旦那、一つだけ言っといてやる。あの理屈、全部正しいとしても、一つだけ肝心なところが抜けてる」
直也「なんだ」
ポン太「なぜ、その役を背負うのが“あのお姫様本人じゃなきゃいけねぇのか”だよ。支える者が妾である理由が、まだねぇ」
俺は少しだけ目を細めた。たしかにそうだ。
「退けば割れる」
「だから在る」
そこまでは分かる。
だが、なぜその軸がボレアスでなければならないのか。代わりはないのか。そもそも、いつからそうなったのか。その辺りが全部、すっぽり抜けている。
直也「……ボレアス」
ボレアス「何じゃ」
直也「今のは、理屈としては分かった。でもまだ、納得はしてない」
ボレアス「貴様の納得など、妾には不要じゃ」
直也「そうだろうな。でも、俺はそこを聞かないと次に進めない」
ボレアスはしばらく黙っていた。
やがて、小さく吐き捨てるように息をつく。
ボレアス「……貴様は、厄介な男じゃな」
直也「よく言われる」
ゼピュロス「私もそう思う!」
ポン太「旦那はそういうところだけ頑丈なんだよな」
リィナ「でも、そこが直也さんのいいところです」
直也「褒められてるのか雑に使われてるのか分からなくなってきたな……」
氷の最奥で、ほんの少しだけ、空気の温度が変わった気がした。
もちろん暖かくなったわけじゃない。ただ、さっきまで「拒絶」だけだった静けさの中に、会話が成立するだけの隙間が生まれたような、そんな変化だった。
◆◆◆(退けば割れる矜持)◆◆◆
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次回更新予定:6月12日(金)




