第12話(5)黒い扉と、凍った返答 ―― 恭順反応と、氷の玉座
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「……そこへ触れるでない」
黒い扉の向こう側――分厚い霜と氷柱に覆われた保管庫の最奥の空間が、霧が晴れるように姿を現した。
そこは、これまで見てきた無機質な通路とは次元が違っていた。
鏡のように磨き上げられた永久凍土の床。その中心で、彼女は巨大な氷の塊の上に静かに腰を下ろしていた。
長く透き通る銀糸の髪。肌は陶器のように白く、一切の血の気を失っている。
彼女自身もまた、幾重もの氷の鎖でその玉座に縫い付けられ、封じられているのだ。
だが、その瞳だけは違った。
極寒の刃のように鋭く、底知れない知性と高飛車なプライドを湛えて、俺たちを見据えていた。
直也「……お前が、この冷え方の大元か?」
俺が問いかけようとした、その瞬間。
ガチンッ!!
直也「……なっ、ぐおぉぉっ!?」
俺の全身を包んでいた「正しき姿勢を導く防寒外套」が凶悪な音を立てて急激に収縮した。
背骨を強引に前へと曲げられ、両膝が床の氷に激しく叩きつけられる。
リィナ「きゃあぁっ!?直也さん、お洋服が勝手に……!足が、折れちゃいそうです……っ!」
隣を見ると、リィナも全く同じように、外套の力で強制的に平伏させられていた。
ただの防寒具が、眼前の銀髪の少女を「最上位対象」として検知し、勝手に絶対的な恭順の姿勢を取らせようとしているのだ。
直也「これ絶対おかしいだろ!いくらなんでも権力に媚びすぎだ、この服!会社員時代でもここまで見事な土下座はしたことないぞ!」
首の角度補正機能が全力で俺の顎を引き、氷にキスさせようとする。
少しでも顔を上げようとすると、外套の襟元がギリッと締まり首を絞めてくる。
「無様な。身の程を弁えた衣服のようだが、中身がそれに全く追いついておらぬな」
玉座の少女が、氷のように冷ややかな声で俺を見下ろした。
システムのアナウンスではない。確固たる自我と自信を持った「人格」の響きだ。
「貴様らのような下賎な者が、この最奥に何用か。許可証などという紙切れ一枚で、妾の静寂を妨げられるとでも思ったか」
ゼピュロス「ちょっと!あんた何様!?初対面ですっごく感じ悪いわね!」
腰の鞘から、ゼピュロスが怒りに任せて声を上げた。
翠色の突風が巻き起こり、俺たちを押さえつける外套の魔力を一時的に吹き飛ばす。
その反発力のおかげで、俺とリィナはどうにか膝立ちの姿勢まで持ち直した。
ゼピュロス「私たち、扉の掃除してあげようとしたのに、いきなり土下座させるとか頭おかしいんじゃないの!?大体、ここ風通しが悪すぎるのよ!」
だが、銀髪の少女は眉一つ動かさず、静かにゼピュロスを一瞥した。
「妾からすれば、その騒がしさ……愚かとしか言えぬな。風ばかり強くとも、中身の理が伴わねば無意味じゃ。順を乱すだけでは、全体を崩す害にしかならぬ」
ゼピュロス「はぁ!?理ってなによ!風は自由に吹くのが正解なの!あんたみたいに固まってる方が不自然なんだから!」
「自由と無軌道を履き違えるな、欠陥品。お前のようにただ吹き荒れるだけでは、埃を舞い上げる程度の価値しかない。だから貴様は、そのような中途半端な剣に収まることしかできぬのだ」
ゼピュロス「けっ、欠陥品!?マスター、こいつ一発殴っていい!?」
直也「やめろ馬鹿!お前が暴れたら俺の腰がへし折れる!」
俺は鞘の中で暴れ回るゼピュロスを必死に押さえ込んだ。
ただでさえ外套が土下座を強要してきているのに、体が前後に引っ張られて地獄の綱引き状態だ。
直也「……初対面から相性最悪だな……。胃が痛くなってきた」
自由で騒がしいゼピュロスと、静謐で高飛車な氷の少女。完全に水と油だ。
リィナ「……あの」
俺の後ろで、リィナが震える声で呟いた。
彼女は防寒外套の圧力に怯えながらも、銀髪の少女を真っ直ぐに見つめていた。
リィナ「直也さん。あの人、怒っているというより……」
直也「怒ってない?これだけ冷たく見下しておいてか?」
リィナ「はい……。なんだか、ずっと冷えたままで、心まで凍らせているみたいに……見えます。あの人の周りに、さっき感じた『寂しさ』が集まっているような……」
玉座の少女は、何も言わなかった。
ただ、その極寒の瞳が、ほんの一拍だけリィナの方を見た。
それだけだった。
ALMA『……状況、再定義。対象の観測データに重大な矛盾が発生。システム内の分類エラーを継続中』
頭上で明滅するALMAの光も、かつてないほど不規則に乱れていた。
どんな異常事態でも即座に最適解を弾き出してきたあいつが、完全に処理落ちしかけている。
ALMA『対象は環境の一部でありながら、独立した個としての自己同一性を保持しています。熱源探知、魔力波形、存在確率の演算、すべてがエラーを返します。直也さん、対象を整理するための枠組みを構築できません。……綺麗に整理しきれません』
あのALMAが、整理できないと認めた。
この少女は、単なる世界のバグでも防衛機構でもない。もっと根源的な存在だ。
「妾の前で己の無知を晒すか、奇妙な光よ。……そこな男。その騒がしい風と不出来な光を連れているのは、貴様か?」
少女が氷の玉座の上から俺を指差す。
直也「連れているというか、成り行きで腐れ縁になっただけだが。お前は……誰なんだ?」
「名乗るほどの価値が貴様らにあるかは、妾が決めることじゃ。今はただ、そのやかましい口を閉じよ」
直也「……感じ悪いのに、放って帰れない相手ってのが一番面倒なんだよ」
◆◆◆(恭順反応と、氷の玉座)◆◆◆
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次回更新予定:6月2日(火)




