第12話(3)黒い扉と、凍った返答 ―― 整列する氷片と、無音の取っ手
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最深部の黒い扉の前は、物理的な温度以上に「空間の圧」が冷たかった。
俺たちは、重厚な防寒外套にギチギチと動きを制限されながら、本点検の作業を開始した。
仕事内容自体は、拍子抜けするほど地味なものだった。
扉の取っ手まわりにこびりついた霜を取り除き、壁に刻まれたルーンの縁を清掃する。
床に張り付いた氷を剥がし、周囲の保管棚の微妙なズレをミリ単位で修正し、最後に封じ具の配置をカタログ通りに確認する。
ただの清掃と整理整頓だ。
だが、ここはミルメリアの最深部。普通の掃除で終わるはずがなかった。
直也「……おい、なんだこれ。霜を払った先から、音が消えていくぞ」
俺は渡されたスクレーパーで、黒い扉の取っ手付近の霜を削り落としていた。
氷が削れる音が響くはずなのに、削った直後の空間から、不自然なほど音が吸い込まれていく。
スクレーパーが金属に当たる感触はあるが、音が全くしない。
自分の呼吸音さえも、耳元に届く前に消滅しているような感覚だ。
直也「冷たいだけじゃなくて、性格が細かいな。几帳面すぎるだろ」
無音のまま手を動かすのは、想像以上に精神を消耗する。
リィナ「直也さん、こっちも変です……。床の氷を剥がそうとしているんですが、割れた氷の破片が、全部同じ三角形になって並んでいきます」
少し離れた場所で、リィナが小さなハンマーを片手に困惑していた。
彼女が割った床の氷の破片は、まるで意思を持っているかのように、等間隔に、しかも寸分違わぬ正三角形に整列していくのだ。
割るたびに破片が散るが、空中でピタッと止まり、幾何学模様を描くように着地する。
直也「氷の破片まで定規で測ったように並ぶのかよ」
リィナ「これではお掃除になりません。集めようとしても、ほうきの先から逃げて、また同じ三角形を作ろうとするんです……。寒いというより、まっすぐすぎて息が詰まりそうですね」
リィナが胸元を押さえて苦しそうに呟く。
ゼピュロス「ちょっとマスター!私まで気持ち悪くなってきた!ここ、風まで並ばせようとしてるんだけど!」
俺の腰の鞘から、ゼピュロスの悲鳴のような声が響く。
直也「風が並ぶってどういうことだ?」
ゼピュロス「空気が全部同じ大きさの四角いブロックみたいに分割されて、順番通りにしか動かしてくれないの!こんなの風じゃないわ!」
魔剣の力を削ぐほどの強烈な「整列」の法則。
触れた場所から異常が濃くなっていくのが肌で分かる。
直也「ポン太、保管棚のズレを直す作業も一筋縄じゃいかないみたいだな」
俺は保管棚のズレを直そうと試みた。
棚に置かれた分厚い金属製の箱が、指定されたラインから一センチほどはみ出している。
それを両手で押し込み、ラインにぴったりと合わせた。
そう思って手を離した瞬間。
ズズッ。
金属箱が、自ら意思を持っているかのように、元の「一センチはみ出した位置」へとゆっくり戻ってきたのだ。
直也「……は?お前、なんで戻るんだよ。そこははみ出してるだろ」
もう一度押し込む。手を離す。また戻る。
ポン太「へへっ、旦那。そいつは現状維持の魔法が強すぎるんだよ。この保管庫自体が、変化を極端に嫌がってる。外した金具だって、ほら見な」
ポン太が扉の封じ具のピンを一つ引き抜いた。
すると、抜かれたピンが空中に浮かび上がり、元の穴へとスッと収まった。
ポン太「触れた場所から異常が濃くなる。これが最深部の正しさの圧力ってやつさ。俺っちみたいな裏を歩くタヌキには、息が詰まるぜ」
直也「ALMA、この現象、お前のデータベースに似たようなものはあるか?」
俺は肩越しに浮かぶ光球に問いかけた。
ALMAは青白い光を明滅させながら、少しだけ処理の間を置いた。
ALMA『……既存の分類では説明できません。これは空間の因果律そのものを特定のパターンに固定化しようとする干渉です。点検という行為がもたらす微小な変化すらも、この空間はノイズとして認識し、自動修正を試みています』
直也「つまり、俺たちがやっている掃除そのものを、空間が拒絶してるってことか」
ALMA『肯定。環境と作業者の間で、物理法則の定義権を巡る対立が発生しています』
直也「ただの掃除が、世界のルールとの綱引きになってるわけだ。本当に面倒くさいな……」
俺たちはため息をつきながら、作業を続行した。
外した金具が戻るなら、戻る前に素早く点検箇所を確認してネジを締める。
割れた氷が整列するなら、整列し終わる前のわずかな隙を突いて強制的に回収する。
霜を削って音が消えるなら、無音の恐怖に耐えながら削り続ける。
防寒外套の強制力と、空間自体の異常。
二つの圧力に挟まれながら、俺たちの体力と精神力はじわじわと削られていった。
誰も喋らなくなり、ただ黙々と不毛な作業を続ける。
静けさだけが、俺たちの周りに重く降り積もっていく。
そして、黒い扉は、微動だにせず俺たちの無様な作業を見下ろしている。
触れれば触れるほど、何かがこちらを観察しているような気配が色濃くなっていく。
異常の濃度は、確実に限界点へと近づいていた。
◆◆◆(整列する氷片と、無音の取っ手)◆◆◆
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次回更新予定:5月26日(火)




