第12話(1)黒い扉と、凍った返答 ―― 許可証と、署名の深呼吸
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昨日までの疲労が鉛のように肩にのしかかる。
俺は中央行政案内センターの光り輝くロビーで、自分の番が呼ばれるのを死ぬほど不快な姿勢で待っていた。
隣では、リィナが真面目な顔で背筋を伸ばし、膝の上に置いた手を小さく握り締めている。
待合室の椅子の背もたれは九十度に固定され、少し深く腰掛けると、座面のセンサーが「不適切な着座姿勢です」と警告してくる。
もはや、座っているだけで体力を削られる修行場だ。
受付係「次の方。ナオヤ・マツナガ様。第3窓口へどうぞ」
呼ばれた。俺はギシギシと悲鳴を上げる腰を叩き、窓口へと向かう。
一分の隙もなく整えられた制服の男が、貼り付けたような笑顔で座っていた。
係員「いらっしゃいませ。昨日の仮通行札業務、お疲れ様でした。現在は『特別点検許可証』の申請段階ですね」
直也「ああ。黒い扉の本点検に行くための許可が欲しいんだ」
係員は「承知いたしました」と短く返し、カウンターの下から音もなく一束の書類を取り出した。
……一束、ではない。
鈍い音を立てて机の上に置かれたのは、百科事典二冊分はある凶器のような厚みの紙の山だ。
直也「……おい、ちょっと待て。許可証一枚もらうのに、なんでこんな量の紙が必要なんだよ」
係員「ご安心ください。すべては皆様の安全と行政の円滑な管理のためです。今回の点検場所は最深部。情報の密度と危険度が異なります。そのため、いくつかの『追加の同意』が必要となります」
係員は機械的な手つきで書類をめくり始めた。
係員「まずはこれ。追加安全誓約。次に、凍傷時責任放棄確認。そして、マナ供出同意。さらに、異常接触時の判断権委譲の確認書。最後に、点検失敗時の再申請費用確認……」
流れるように読み上げられる項目は、どれもこれも生存権を削り取るような内容ばかりだった。
直也「許可証一枚もらうだけで人生設計まで同意させられてる気分だ。これ、全部書かないと通してくれないのか?」
係員「当然です。一つでも不備があれば、あなたの挙動は『不親切な不純物』として処理され、ゲートが開きません」
リィナ「……あの、直也さん。この文字、すごく細かくて……私、一行読むだけで目が回りそうです」
リィナが最初の一ページを見て顔を青ざめさせていた。
そこに並んでいるのは、難解な言葉の羅列だ。一般市民に理解させる気など一ミリもないことが透けて見える。
ゼピュロス「ねぇ、マスター。この紙、燃やしていい? 燃やして灰にしたら、あのおじさんの顔も少しは面白くなると思うんだけど!」
俺の腰の鞘から、不機嫌そうな少女の声が響く。
幸い、周りには聞こえていないようだが、鞘がカタカタと震えているのが伝わってくる。
ポン太「よせやい、嬢ちゃん。あそこの窓口は、紙を一枚汚しただけで料金が三倍に跳ね上がるんだぜ。燃やしたりしてみろ、俺っちたちの報酬が一生分の借金に変わっちまう」
ポン太が、足元でぬいぐるみのようなふりをしながら低い声で警告した。
こいつの金銭感覚は、こういう時だけは頼りになる。
直也「ALMA。お前にとっては、この程度の量は一瞬で処理できるデータだよな?」
俺は肩越しに、静かに浮遊する青白い光球に問いかけた。
ALMA『肯定。言語構造を解析済みです。情報の92パーセントは既存の行政規約の重複であり、実質的な拘束力を伴う重要項目は極めて限定的です。直也さん、ペンを。署名が必要な箇所を最短の順序で指示します』
直也「助かる。で、その重要項目ってのはいくつあるんだ?」
ALMA『重要なのは七項目です。1、生命維持コストの自己負担。2、魔剣マナの提供強制。3、異常事態における個人の意思の無視。4、事後調査における記憶提供の義務。5、清掃範囲の無制限拡大。6、再申請時の倍額徴収。7、行政側のミスによる損害の非補填です』
直也「七項目も十分多いんだよ! しかも内容が全部俺たちに不利じゃねーか!」
係員「おめでとうございます。理解が早いですね。それがこの街の『公平な分配』です。さあ、正しい位置に署名を」
係員は無機質な動作でペンを差し出してきた。
俺は胃の痛みに耐えながら、ALMAの指示する場所に次々と名前を書き込んでいった。
一箇所書くたびに、自分の魂がこの街のデータベースに吸い取られていくような薄気味悪い感覚があった。
リィナも隣で震える手でペンを走らせている。
ポン太は退屈そうに欠伸をし、ゼピュロスは鞘の中で「ケチ、石頭、紙屑!」と呪詛を吐き続けていた。
ようやく最後の一枚にサインを終えた時、時計塔の鐘が重厚な音を立てて鳴り響いた。
係員「確認いたしました。署名の筆跡、筆圧、心拍数、すべて基準値以内です。こちらが、最深部特別点検許可証です。お忘れなきよう。紛失時の再発行には、今の書類を最初から書き直していただきます」
直也「……二度とごめんだ」
俺は鈍い光を放つ一枚の金属札を受け取り、フラフラとした足取りで窓口を離れた。
許可証を手に入れたはずなのに、達成感など微塵もない。
直也「……はぁ。まだ保管庫に入る前だっていうのに、もう一仕事終えた気分だよ」
リィナ「うぅ、肩がガチガチです……。直也さん、本当に行くんですよね? あそこへ」
直也「ああ。行かなきゃ、次へ進めないからな」
俺たちはぐったりと肩を落としたまま、再びあの極寒の地下へと続く重苦しい階段の方へと歩き出した。
◆◆◆(許可証と、署名の深呼吸)◆◆◆
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次回更新予定:5月19日(火)




