第11話(6)冷える保管庫と、まだ名乗らない気配 ―― 冷気の底に残る静けさ
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地下の極寒と、不条理な姿勢矯正から解放されたのは、それから一時間後のことだった。行政センターの更衣室で外套を脱ぎ捨てた瞬間、俺の全身の筋肉は、堰を切ったように激しい疲労と筋肉痛を訴え始めた。
直也「……あいたたた。腕が、腕が規定の角度以上に上がらねえ。スローライフってのは、もっとこう、畑の世話をして腰が痛むとか、そういう健康的な苦労だと思ってたんだがな……」
俺は窓口の前のベンチに崩れ落ち、リィナに肩を揉んでもらっていた。リィナもまた、慣れない「正しい姿勢」に振り回されたせいで、ガクガクと膝を震わせながら俺の隣に座り込んでいる。
リィナ「お疲れ様です、直也さん。……でも、少しだけ不思議ですね。あんなに歩きにくくて、あんなに堅苦しかったはずなのに、こうして暖かい光の下に戻ってくると、あの静かだった場所が、どこか遠い国の出来事みたいに思えてしまいます」
リィナは窓から差し込む夕焼けの燐光を見つめながら、ぽつりと呟いた。彼女の持つ杖は、今は穏やかなマナを蓄え、日常の温度を取り戻しているようだった。
ポン太「へへっ、旦那。感傷に浸るのはそのくらいにしな。ほら、今日の分の報酬だ」
ポン太が窓口から器用に咥えてきたのは、数枚の薄い硬貨と、次回の申請に必要な予約番号が刻まれた木札だった。
直也「これだけか?あんな命がけの霜取りをして、これっぽっちかよ。コーラの一本も買えやしないぞ」
ポン太「当たり前だろ。今日はまだ『手前』までだ。本番は、次の特別点検からさ。……まあ、今夜の宿代と、少しマシな温かい飯代くらいにはなるぜ。旦那の好きなあの甘い黒水は、次の大仕事までお預けだな」
直也「……夢がねえなぁ。異世界に来てまで、冷蔵倉庫の重労働と書類仕事に追われる日々かよ」
俺は受け取った硬貨をポケットに放り込み、大きな溜息をついた。傍らでは、物理的な剣から再び少女の投影体へと戻ったゼピュロスが、俺の横でひらひらと宙を舞っていた。
ゼピュロス「あー!ようやくあの堅苦しい場所から出られた!マスター、次はもっとこう、風がびゅんびゅん吹くような、楽しい仕事を選びなさいよね?あんな石ころみたいな扉、もう二度と御免だわ!お腹すいちゃった、マナちょうだい!」
彼女はさっきの不快感が嘘のように、自由奔放な軽口を叩きながら俺の髪を風でかき回している。だが、その瞳には一瞬だけ、あの扉への拭いきれない違和感がよぎったのを、俺は見逃さなかった。
ALMA『報告。本日の報酬は、平均的な労働者の期待値を十二パーセント上回っています。直也さん、これは私の口利きによる上乗せ分です。感謝の必要はありません。次回の申請も、最も効率的な経路を案内します。既に窓口の優先順位は確保してあります』
直也「はいはい、有能な助っ人さんよ。……帰るか。今日はもう、ふかふかの寝床のこと以外考えたくない」
俺たちは、夕闇に包まれ始めた行政センターの広大なロビーを歩き出した。周囲では、今日も正しい一日の終わりを告げる鐘が鳴り、勤勉な市民たちが規則正しい足取りで家路についている。賑やかで、合理的で、完璧に制御されたこの街の日常。
だが、ロビーを出る直前、俺はふと、背後にある地下への階段を振り返った。夕闇の影が落ちるその先。そこにあるのは、地下で感じたあの冷気。
それは「寒い」という体感よりも先に、あまりにも整いすぎていて、全ての音を吸い込んでしまうような、異質な静寂。
直也「……なんだあれ」
それは言葉になる前の、小さな引っかかり。扉の向こうに何があるのか、それともただの設備不良なのか、今の俺にはまだ分からない。ただ、あの異常なまでの「静けさ」だけが、暖かい街の喧騒の中で、いつまでも俺の耳の奥にこびり付いていた。
◆◆◆(冷気の底に残る静けさ)◆◆◆
◆◆◆(第11話 完)◆◆◆
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次回更新予定:5月15日(金)




