第11話(5)冷える保管庫と、まだ名乗らない気配 ―― 許可証未満の静寂
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崩落した情報の残骸をゼピュロスの風で散らし、俺たちはついに通路の最奥……あの禍々しい黒い扉の前へと辿り着いた。周囲の岩肌を浸食するように存在するその石扉は、光を反射することさえ拒むような滑らかさで、そこに一切の「揺らぎ」がないことを誇示している。
だが、その表面を観測するよりも先に、俺の全身を襲ったのは理不尽な強制力だった。
直也「……ぐ、おわぁっ!?おい、腰が、腰が折れるっ!」
扉から三メートルの境界線を越えた瞬間、俺の防寒外套がこれまでになく激しい魔力の唸りを上げた。背中の刻印が不快な熱を発し、俺の背骨を力尽くで九十度に折り曲げたのだ。
直也「……な、なんだこれ……。なんでこのタイミングで、フルスロットルで最敬礼させられてんだよ!」
リィナ「あぅ……直也さん……私もです。お洋服が、ここは最も格式高い法典が眠る場所だから、最大限の恭順を示しなさいって……。膝が、膝が地面にめり込みそうです……」
リィナもまた、外套に押さえつけられるようにして深い平伏の姿勢を強要されていた。彼女は杖を杖として使うことすら許されず、震える両手で顔を覆うようにして丸まっている。
ALMA『観測。本区画は行政中核に直結する高位情報の集積地です。規定外の姿勢は、不適切な挙動として検知されます。直也さん、腰の角度をあと三度深く固定してください。さもなくば、防寒機能の安全性は保証されません。凍結による一時的な機能停止が実行されます』
直也「お前、さっきから随分と淡々と恐ろしいこと言うな……。おい、ガチガチに固まってて一歩も動けねえよ。このままじゃ点検どころか、扉の表面さえ拭けやしないぞ」
俺は地面の石畳を睨みつけながら、震える声で叫んだ。耳元では、外套が「正しき沈黙を守りなさい」と不協和音を鳴らし続けている。
ポン太「へへっ、旦那。そこまでだ。それ以上進むのは、今の旦那の『格』じゃ不適切な挙動と見なされるぜ」
不意に、俺の足元をポン太がひょいと横切った。彼はこの重圧に満ちた空間でも、相変わらず一歩も姿勢を崩すことなく、むしろ楽しげに尻尾を振っている。
直也「……ポン太、お前、この『姿勢矯正』は効かないのかよ」
ポン太「俺ぁ法から外れた不純物だからな。街の外套なんて最初から着てねえのさ。それより旦那、よく聞きな。その扉を正式に点検するには、さっきの窓口で貰った紙きれじゃ項目が足りねえ。『最深部特別点検許可証』と、行政へのさらなるマナ供出契約が必要だ」
直也「……また手続きかよ!霜取りの仕事に、どんだけ追加の条件を要求されるんだこの街は!」
直也が毒づくと、腰の鞘の中でゼピュロスが、不快そうに、しかしどこか落ち着かない様子で刀身を震わせた。
ゼピュロス「……ねぇマスター、もういいじゃない。ここ、風が止まってるんじゃないの。整いすぎていて、一ミリも動けないのよ。私がどれだけ羽ばたこうとしても、この空間の『摂理』が私のマナを無理やり型にはめようとしてくる。……不快だわ。この扉、気味が悪いくらい静かすぎる」
彼女は投影体すら出そうとせず、ただ物理的な剣としての重みを俺の腰に預けていた。あの自由奔放なゼピュロスが、これほどまでに執拗に「動きのなさ」を嫌うのは、ある種の本能的な拒絶なのだろう。
リィナ「……冷たいというより、音が……音が何もありません。直也さん、私、自分の心臓の音すら、この空気に吸い込まれてしまいそうです……」
リィナの震えが伝わってくる。扉の奥から漏れ出しているのは、単なる温度の低さではない。それは、あまりにも完璧に整いすぎた、揺らぎすら許さない静けさだった。
ALMA『報告。直也さん、本日の作業推奨時間を超過しました。これ以上の滞在は、情報の不整合による不利益を招きます。速やかな撤収と、地上窓口での成果報告を推奨します。……なお、次回の特別許可申請については、私が最適な手順を策定済みです。直也さんはただ、署名を行うだけで完了します』
直也「……策定済み、か。お前、たまに準備が良すぎて癪に障るよ。……分かった、撤収だ。リィナちゃん、帰るぞ。こんなガチガチの姿勢でいたら、扉を開ける前に俺の関節がバラバラになっちまう」
俺たちは、外套に無理やり規定の歩幅で歩かされながら、後ろ髪を引かれる思いで、漆黒の静寂を湛えた扉に背を向けた。
◆◆◆(許可証未満の静寂)◆◆◆
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次回更新予定:5月12日(火)




