第10話(5)仮通行札と、開けちゃいけない扉 ―― 仮登録の重量
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冷える保管区画を離れ、俺たちは再び搬入口側の管理通路へと戻っていた。
さっきまでの極寒が嘘みたいに消えたわけではないが、少なくとも肺が凍るような冷気からは解放されている。
通路の壁に背を預けた瞬間、膝から一気に力が抜けた。
直也「……疲れた。働いた気も、逃げた気も、寒さに殴られた気もする」
リィナ「わ、私もです……。でも、最初の依頼ぶんだけでも報酬が出るなら、まだ助かります」
ゼピュロス「助かる前に、ごはん。私、もう風より先にお腹が鳴るんだけど」
ポン太「へへっ。文句を言える元気があるなら上等だ。ほら旦那、出来高の清算だとよ」
俺たちの前に現れたのは、搬入口の現場監督……ではなく、書類係らしい細身の男だった。
彼は俺たちを見るなり、嫌そうな顔一つせず、むしろ丁寧すぎる笑みで一礼した。
書類係「本日の未了業務について、作業量を再計算しました」
書類係「搬入補助、没収品移送、霜取り清掃、書類散乱後の通路確保。以上を総合し、出来高払いにて銅貨を支給します」
書類係「なお、紙吹雪事故による減点はありますが、途中逃走分を差し引いても、仮登録の最低基準には到達しています。おめでとうございます」
直也「途中逃走を褒めるな。褒めてる顔で減点を出すな」
書類係「ありがとうございます。では、こちらが本日の報酬です」
差し出された小さな革袋は、重すぎず、軽すぎず、妙に現実的な手応えを持っていた。
金貨一発で解決、みたいな都合のいい話ではない。
だが、俺たちが今日やった泥仕事が、確かに銅貨へ変わった重さだった。
俺は袋の口を開き、中を覗き込む。
直也「……銅貨か。派手さはないけど、ちゃんと働いた分って感じだな」
ポン太「そうだぜ旦那。この街で自由を買うなら、まずは小銭からだ。正規ルートは金持ちの道、裏ルートは積み上げの道ってことよ」
直也「嫌な違いだな……。でも、分かりやすくはある」
書類係は続けて、薄い金属札を一枚、静かに差し出した。
書類係「こちら、簡易発行の仮通行札です。有効期限は3日。中核区画での制限付き滞在、簡易宿泊登録、軽度の経済活動にのみ使用可能です」
書類係「正式登録には、追加手続きと保証条件の充足が必要です。今後も正しい努力を継続してください」
直也「……これが、仮通行札か」
掌に収まるほどの小さな金属札。
だが、その重みは、今日一日じゅう押しつけられてきた「正しさ」とは別の意味で、ずしりと現実的だった。
泥にまみれて、紙吹雪に追われて、冷気に睨まれて。
その結果ようやく掴んだのが、この小さな札一枚だ。
ALMA『記録。仮通行札の取得を確認。これにより、直也さんの滞在許可ステータスは「不純物」から「要監視対象(仮)」へ更新されました。中核区画での制限付き活動が可能になります』
直也「要監視対象かよ……。まあ、不純物よりは一段マシか」
リィナ「でも、ちゃんと進みましたよね。朝より、少しだけでも」
リィナがそう言って、嬉しそうに札を覗き込んだ。
その笑顔を見ていると、今日の泥まみれも、まるきり無駄ではなかった気がしてくる。
その時だった。
不意に、俺の鼻腔をくすぐる匂いがあった。
直也「……っ?」
立ち止まることは許されないこの街で、俺は思わず足を止めた。
それは、さっきの極寒保管区画で感じたものより、さらに薄く、しかし確かに残る苦い香り。
焙煎された豆の、黒く深い匂いだ。
直也「まただ……。コーヒーの匂い」
ゼピュロス「マスター、今は追いかけないでよ。私、あの寒いの二回連続はやだよ?」
直也「追いかけない。今日はもう札と金だけで十分だ。……十分なはずなんだけどな」
ポン太「へへっ。その顔は全然十分そうじゃねぇな。だがまあ、匂いは逃げねぇ。逃げる前に旦那のほうが手続きに捕まるさ」
直也「やかましい。スローライフって、もっと座って茶でも飲む感じだと思ってたんだけどな。なんで申請と出来高払いから始まるんだよ」
俺は仮通行札をポケットにしまい、革袋を握り直した。
今日の俺たちには、もう十分すぎる成果だ。
ここから先は、明日の話でいい。
◆◆◆ 仮登録の重量 ◆◆◆
次回の更新日04月14日(火)第10話(6)仮通行札と、開けちゃいけない扉 ―― 黒扉前夜の静けさ
になります。
次回で第1部の結末となります。
是非ご覧ください。




