第9話(4)親切な関所と、泥だらけの裏契約 ―― 信用レベル1の対価
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「……はぁ、ようやく一息つけるか」
俺は配管が剥き出しになった冷たい壁に背を預け、荒い呼吸を整えた。
石壁の向こう側からは、まだあの「親切な追跡者」たちの整然とした足音が遠ざかっていくのが聞こえる。
彼らは俺たちを見失ったわけではない。「推奨ルート」から外れた俺たちの存在を、システムの死角として一時的に処理を保留しただけなのだ。
直也「……分かったぞ。あいつらの、いや、この世界の『癖』が」
俺は乱れた前髪をかき上げ、ALMAとリィナ、そしてゼピュロスを見据えて言った。
直也「あいつらは、こちらに『正解』を言わせようとする。正しい表情、正しい手順、正しい挨拶。それに一度でも応じたら最後、個人の意思はシステムの奔流に飲み込まれて、あの人形たちの一部にされる。……だから、あいつらと対峙する時は、絶対に『正解』を口にしちゃいけないんだ」
リィナ「正解を、言わない……。でも直也さん、それだとずっと『間違った人』のままでいることになりませんか?」
リィナが不安げに眉を下げた。彼女にとって、正しくないことは恐怖に近い。
直也「それでいいんだ、リィナちゃん。この世界じゃ、間違いこそが俺たちが俺たちであるための唯一の証明書だ。……『親切な顔で寄せてくる』のがこの世界の癖なら、俺たちは全力でその手を振り払い続けるしかない」
ALMA『肯定。直也さんの分析は、現在の観測データと論理的に合致しています。この領域における「親切」は、多様性を排除するための最適化プロセスに他なりません。……解析完了。個体識別の維持には、非効率な行動の継続が有効です』
ゼピュロス「ふーん。要するに、ずっとひねくれてろってことでしょ? マスターにはお似合いの役目じゃん!」
ゼピュロスが空中を泳ぐように回転しながら笑う。その無邪気な残酷さが、今は少しだけ頼もしかった。
ポン太「……へぇ。旦那、案外早く気づいたね。だが、その『間違い』を続けるのにもコストがかかるんだぜ?」
俺たちのやり取りを傍観していたポン太が、法被の襟を正しながら一歩前に出た。その目は、早くも次の商談の準備を終えているようだった。
ポン太「今ので案内料が跳ね上がった。正面の親切圧をあそこまで撥ね除けちまったんだ。俺っちが負うリスクも、当初の予定の3倍は下らねぇよ」
直也「3倍だと? おい、仲間加入の課金圧が強すぎないか。最初の干し魚一匹の約束はどうしたんだ」
ポン太「あれは『入口まで』の料金だ。ここから中核へ向かうには、契約の更新が必要だね。旦那たちの信用スコアは、まだようやく底を打ったところなんだからな」
直也「……仲間加入がサブスクリプション制な上に、従量課金まであるのかよ。ユーザーフレンドリーの欠片もないな」
ゼピュロス「払えば? 弱。金貨の一枚や二枚、そのへんの誘導員からスってくればいいじゃん」
直也「お前はまず自分の財布を出してから言え。……いいだろう、ポン太。契約を更新しよう。ただし、ここからは俺からも条件を出させてもらう。一方的な搾取は契約とは呼ばない」
俺は指を三本立てて、ポン太に突きつけた。
直也「一つ、その世界の『綻び』を使う前に、必ず俺に合図を出せ。二つ、その代償……つまり俺たちが背負う縛りの内容を、行動の前に必ず明文化しろ。そして三つ、商談の最中に勝手に消えたり、一人で突っ込んだりするな。……これが、俺が提示する『信用1段目』の成立条件だ」
ポン太は俺の指をじっと見つめ、それから可笑しそうに鼻を鳴らした。
ポン太「……へっ、手厳しいねぇ。だが、嫌いじゃねぇよ。分かった、その条件飲んでやる。代わりにな、俺っちからも一つだけ追加だ。俺っちが『止まれ』と言ったら、理由を問わずにその場に氷漬けになったつもりで静止しろ。……この裏道じゃ、一秒の遅れが存在の消滅に直結する」
直也「……消滅、か。重い条件だが、飲もう。これで契約成立だな」
俺が手を差し出すと、ポン太は躊躇わずにその小さな、しかし温かい手を握り返した。
その瞬間、俺の脳内でALMAの声が響く。
ALMA『通知。対象「ポン太」との間に、暫定的な相互信頼プロトコルの確立を確認。信用レベル1。……直也さん、これにより、ガイド枠としての優先参照権限を付与します』
直也「……形式ばった言い方だな。だが、これで少しは足並みが揃うか」
ポン太は俺の手を離すと、ふと視線を落とし、剥き出しの配管を流れる不気味な液体の音に耳を澄ませた。
ポン太「……旦那。あんたの言う通り、あそこの『正面』は息が詰まるのさ。陽の光の下で、親切な案内板に囲まれて歩いていると……自分が、薄いインクで描かれただけの絵になっていくような気がして、怖くなるんだ」
リィナ「ポン太さん……」
リィナが、初めてポン太を「詐欺師」ではなく「一人の住人」として見るような、優しい眼差しを向けた。
ポン太「あそこにいる連中は、もう自分が薄まってることにも気づいちゃいねぇ。……だから俺っちは、泥を被ってでも、この薄暗い『隙間』にしがみついてるんだ。……さて、感傷はおしまいだ。仕事に戻るぜ」
ポン太はひょいと身を翻し、点検通路のさらに奥、巨大な鉄扉が重なり合う一角を指差した。
ポン太「ここから先は、内壁ゲートの心臓部……点検通路の裏側だ。正面の検問を避けた荷物が運ばれる場所だが、当然、こっちにも『確認』の目はある。……旦那、さっきの約束、忘れるなよ」
直也「ああ。確認は構わない。正面のあの、魂までアイロンをかけてくるような『親切圧』さえなければ、泥道でも毒沼でも歩いてやるよ」
俺たちはポン太の先導で、さらに深く、世界の綻びの中へと潜り込んでいった。
通路の先からは、重厚な機械の稼働音と、そして――完璧すぎるリズムで刻まれる「点検列」の気配が、冷たい風に乗って漂ってきていた。
◆◆◆(信用レベル1の対価)ここまで◆◆◆
次回の更新日3月20日(金)
第9話(5)親切な関所と、泥だらけの裏契約 ―― 粘着テープの手続きと、座標の綻び
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