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ダンジョンサポーター  作者: Aramaki_mai
第四章 家へ戻る道
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第72話 逃げ道を消す

ダンジョンに潜る人たちの話です。

ライト文芸寄りのダークファンタジーです。


▼登場人物

エマ・ウォーカー     本小説の主人公

オスカー・ウォーカー   エマの弟 生まれつき足に障害がある

ノル・ハーヴェイ     白鹿の探索隊長の一人

ニナ・クラーク      白鹿のギルド所属の前衛 エマの仲間

ガイ・ラザフォード    白鹿のギルド所属の前衛 特任契約者 実力者

ミレイ・アスター     白鹿のギルド所属の弓手援護 特任契約者 エルフ 

サイモン・レック     ダンジョンでエマ達を襲撃した謎の男

イレーネ・ヴォス     白鹿のギルドを襲撃した謎の女

ガロン・レイス      ダンジョンでエマ達を襲撃した一人

ラウル・ゼイン      東水門で襲撃してきた一人


▼主人公について

白鹿のギルドで働く二十歳前後のサポーター。

元前衛だが、今は救護、素材回収、物資管理、食料と水の配分、退路確認などを担い、探索隊を生きて帰すために働いている。


扉の前で、ニナは短剣を抜いた。


刃は大きくない。灯りの下では、石粉をかぶって細く見える。それでも、ニナの手の中では揺れなかった。


イレーネは爪のような刃を引き、金具に残った傷を見た。


「へえ」


楽しそうな声だった。


「逃げないのね」


「逃げたら、あなたがそっちを見るでしょう」


ニナは短剣の切っ先をわずかに下げた。構えを崩したわけではない。相手の足元を見るためだった。


イレーネの靴は、床の白に浅い跡を残している。踏み込みは軽い。だが、軽いだけではなかった。次にどちらへ逃げるかを、動く前から決めている足だった。


奥には白い扉がある。


取っ手のない輪郭だけが、灯りの端で浮いていた。


その手前に、オスカーがいる。杖の先に巻かれた布が、床を押さえている。エマはその横に立っていた。前へ出たい体を、ぎりぎりのところで留めている。肩が動くたび、腰の革筒が小さく鳴りそうになった。


ニナは半歩、前へ出た。


エマが前へ出る前に、ニナはそこへ立った。


「邪魔ね」


イレーネが言った。


「分かりやすくて助かります」


ニナが返すと、イレーネの笑みが深くなった。


「そういう返し、前にも聞いた気がするわ」


「覚えていなくていいです」


「覚えるわよ。痛い目を見た子の顔は、次に会うと使えるもの」


刃が来た。


まっすぐではなかった。右へ振ったように見せて、左の爪が下から上がる。ニナは腕当てで受けた。金具が削れ、細かな白が跳ねる。続く二本目を短剣で流す。


重くはない。


けれど、嫌な速さだった。


受けた場所へ押し込んでこない。触れた瞬間に捨て、別の隙間へ刃を差し込んでくる。ニナが踏み込もうとした時には、イレーネはもうそこにいなかった。


床に、新しい足跡だけが残る。


「遅い」


声が横から落ちた。


ニナは振り向かない。肩を沈め、体を斜めに逃がす。頬のすぐそばを爪が通り、髪の先が数本落ちた。


後ろで、エマが動いた気配があった。


「来ないで」


ニナは言った。


強くは言わなかった。


強く言えば、エマは自分が止められていることに気づいてしまう。今ほしいのは、姉のような怒りではない。サポーターの手だった。


エマは止まった。


止まって、荷の位置を直した。布とスクロールを、蹴られない場所へ寄せる。その動きが見えた時、ニナは短剣を握る指を少しだけ緩めた。


見ている。


なら、自分は前を見ればいい。


イレーネはそれも見逃さなかった。


「いいわね。守られている子は、後ろを気にしなくて済むもの」


「羨ましいですか」


「少しも」


イレーネは笑いながら、腰の小瓶を指で弾いた。


「守られる側は、最後に置いていかれるって知ってるから」


小瓶が床に落ちた。


割れる音は小さかった。


灰色の粉が噴き、白い石粉に混じって薄い膜になる。ニナは目を閉じなかった。閉じれば、次の刃が見えない。


喉に苦い匂いが入った。


薬草ではない。土とも違う。乾いた灰と油を混ぜたような匂いだった。


イレーネの姿が一瞬ぼやける。


来る。


ニナは前へ出なかった。膝を落とし、短剣を体に近づける。灰の膜を裂いて、爪が伸びた。肩を狙った刃を受け、次の刃を体の横へ流す。


左腕が遅れた。


ほんの一拍。


その一拍を、イレーネは拾った。


刃が腕当ての端を越え、ニナの袖を裂いた。皮膚の表面が熱くなり、血が細く滲む。


「やっぱり」


イレーネの声が近い。


「左ね」


ニナは答えず、短剣を横へ払った。イレーネは身を反らして避ける。避けながら、笑う。


「前より反応が鈍い。治ったふりは上手なのに、体は正直ね」


六階層の暗がりが、目の奥をかすめた。


灯りを横切った細い針。


遅れた腕。


指先から力が逃げていく感覚。


ニナの足が前へ出かけた。


今なら届く。


イレーネの距離だ。


こちらが怒って踏み込むのを、待っている距離だ。


ニナは歯を噛み合わせた。


足を止める。


靴底が床を押し、かすかに滑った。


イレーネの眉が、わずかに動いた。


「来ないの」


「行きません」


「怖いから?」


「たぶん、それもあります」


ニナは短剣の柄を握り直した。


「でも、今行くと、あなたが喜びそうなので」


イレーネの笑みから、熱がひとつ引いた。


広間の別の場所で、刃が鳴った。


ガイとラウルだった。


ラウルは白い扉へ近づこうとせず、ガイの間合いの外を測っている。ガイも踏み込みすぎない。口元にはいつもの軽さを残しているが、足は柱跡と割れた床の間に置かれていた。


「こっちも忙しいんだ。横入りは遠慮してくれ」


「退け」


ラウルの声は短かった。


「それしか言えないのか。俺でも三つくらいは言えるぞ」


返事の代わりに、ラウルの刃が低く走った。


ガイは受けず、半歩だけずれる。刃が柱跡を削り、乾いた音を立てた。


右では、ミレイの矢がガロンの足元へ刺さった。


「その線から先、貸してないわよ」


ガロンは矢を見た。折らない。ただ、踏む位置を変える。


「弓で止めるつもりか」


「弓だけだと思ってくれるなら、助かる」


ミレイの声は軽い。けれど、弦にかけた指は揺れていなかった。


ノルはサイモンを見ていた。


サイモンは動かない。動かないまま、壁の亀裂と白い扉とオスカーを順に見ている。何かを待っている顔だった。待つことを道具にできる人間の顔だった。


ノルの剣先が、わずかに下がる。


攻めるためではない。


崩させないためだった。


ニナは、その全部を端で拾った。


拾いすぎれば遅れる。


けれど、何も見なければ、また暗がりで足をすくわれる。


イレーネが低く笑った。


「忙しい子」


「そちらほどでは」


「私は仕事をしているだけよ。あなたたちみたいに、傷を抱えて感動ごっこをしに来たわけじゃない」


ニナの指が、短剣の柄に食い込んだ。


イレーネはそれを見て、さらに声を柔らかくする。


「あの子、歩けるようになったのね。よかったじゃない。どういう形でも、望みは叶った。違う?」


オスカーの杖が、床を押した。


エマが何か言いかけた。


けれど、その前にニナが動いた。


踏み込まない。


横へ出る。


イレーネとオスカーの間に、もう一度線を引く。体ではなく、足跡で。床の白に、ニナの靴跡が斜めに入った。


イレーネは目だけでそれを見た。


「そこ、邪魔」


「知ってます」


「どいて」


「嫌です」


短い返事だった。


けれど、ただの意地ではなかった。


ニナは短剣を構え直しながら、床を見た。イレーネの逃げる先は三つ。左の柱跡。右の割れた敷石。後ろの灰の膜。


正面には行かない。


イレーネの足が欲しがる場所へ、先に刃を置く。


ニナは左へ踏み出した。


イレーネが右へ逃げる。ニナは追わない。短剣の切っ先を、イレーネの体ではなく右足の着地先へ向ける。


イレーネは足を引いた。


次の逃げ場が一つ消える。


ニナは続けて、柱跡との間を詰めた。斬りに行くのではない。イレーネがそこを使って回り込めない距離へ入る。


イレーネの爪がニナの首筋を狙う。


ニナは頭を下げ、腕当てで受けた。今度は左を使わない。右肩を入れ、体ごと刃を流す。金具が削れる音がして、腕に衝撃が残った。


痛みはある。


でも、足は残っている。


イレーネが後ろへ退こうとした。


そこには、さっき割れた小瓶の灰が広がっている。踏めば滑る。イレーネ自身が作った逃げ場だった。


ニナはそこで初めて、短剣を振った。


当てるためではない。


灰の端を切るように低く払う。白と灰が混じり、床に濃い筋ができた。イレーネの靴が、その筋の手前で止まる。


「……へえ」


イレーネの声が、少し低くなった。


「追ってこないのに、嫌なところへいる」


「褒め言葉としては、だいぶ雑ですね」


「褒めてないわ」


「残念です」


「その口、あとで塞いであげる」


「予約は受けてません」


ニナはそう返しながら、舌に残る苦味を飲み込んだ。


軽口は出た。


だが、楽ではない。


左腕は熱い。切れた袖が肌に貼りつき、灰の匂いが鼻の奥に残っている。汗に石粉が混じり、まぶたの端でざらついた。


イレーネの刃は、まだ遠い。


遠いのに、近い。


刃先より先に、目が来る。笑みが来る。こちらが腹を立てる場所を先に触ってくる。足元を忘れた瞬間、次の爪が入る。


ニナは短剣を握る指を緩めた。


力を入れすぎれば、次が遅れる。


イレーネの視線が、またオスカーへ流れた。


ほんの一瞬だけ。


ニナはそこへ入った。


今度は速かった。


イレーネの爪が反応する。ニナの短剣とぶつかり、火花が小さく散った。ニナは力で押さない。押せば流される。刃を合わせたまま体を寄せ、イレーネが嫌がる距離へ入った。


近い。


爪の長さが邪魔になる距離。


イレーネの笑みが消えた。


「近いわ」


「見れば分かります」


「かわいくない」


「今さらです」


イレーネの膝が上がった。


ニナは横腹に受けかけ、体をひねった。完全には避けられない。鈍い衝撃が腹に入る。息が崩れたが、離れなかった。


短剣の柄で、イレーネの手首を打つ。


乾いた音がした。


イレーネの右の爪がわずかに開く。


ニナはそこへもう一歩入ろうとした。


その瞬間、イレーネの左手が袖の内側から抜けた。


爪ではなかった。


鉤のついた短い刃。


細く、曲がっている。受けるためではなく、絡めるための形だった。


ニナは手首を返した。


遅い。


鉤が短剣の鍔にかかった。イレーネが身を引く。ニナは外そうとしたが、鉤は刃ではなく、柄の根元へ滑り込んでいた。無理に引けば指を持っていかれる。


「短剣の子は」


イレーネが囁く。


「短剣がないと、困るでしょう」


ニナは答えなかった。


答える前に、手を離した。


短剣が飛んだ。


床を滑り、割れた敷石の隙間に当たって止まる。刃の半分が石粉に埋もれた。灯りを受けても、もう先ほどのようには光らない。


広間の音が、一拍だけ薄くなった。


エマが動きかける。


オスカーの杖が床を押す。


ガイの視線が一瞬こちらへ流れ、すぐにラウルへ戻った。ミレイは矢を外さない。ノルはサイモンから目を離さない。


誰も、助けに来ない。


来られない。


それでよかった。


イレーネは鉤刃をくるりと返した。


「終わり?」


ニナは短剣を見なかった。


見れば、拾いに行きたくなる。拾いに行けば、イレーネの距離になる。床の割れ、灰の筋、滑る白。全部、相手が待っている場所だった。


ニナは空いた右手を開いた。


指の節に、白い汚れが貼りついている。手のひらには汗と灰が混じり、革手袋の縫い目がざらついた。


六階層で震えていた手だった。


短剣を握っていても、針を止めきれなかった手だった。


エマが油袋を投げ、炎が一歩分の道を作った時、何も言い返せなかった手だった。


ニナはその手を握った。


骨が鳴るほど強くではない。力任せに殴るためでもない。


刃を当てる距離を、拳が届く距離に変える。


それだけだった。


イレーネの笑みが、そこで初めて薄くなった。


「……何のつもり?」


ニナは半歩、前へ出た。


短剣は床に残したまま。


靴底の下で、石粉が潰れる。


「まだ、終わってません」


イレーネは鉤刃を構え直した。


その先に、ほんの少しだけ迷いが混じった。


本作品は未完成な部分や表現に納得できない箇所が随所にあります。なので、随時修正します。

シナリオや展開を変えるつもりはありません。

ご容赦ください。

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