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ダンジョンサポーター  作者: Aramaki_mai
第四章 家へ戻る道
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第58話 祈りではない光

ダンジョンに潜る人たちの話です。

ライト文芸寄りのダークファンタジーです。


▼登場人物

エマ・ウォーカー     本小説の主人公

オスカー・ウォーカー   エマの弟

ローワン・ウォーカー   エマとオスカーの父 長らく行方が分からなかった

ノル・ハーヴェイ     白鹿の探索隊長の一人

ニナ・クラーク      白鹿のギルド所属の前衛 エマの仲間

ガイ・ラザフォード    白鹿のギルド所属の前衛 特任契約者 実力者

ミレイ・アスター     白鹿のギルド所属の弓手援護 特任契約者 エルフ 

サイモン・レック     ダンジョンでエマ達を襲撃した謎の男

イレーネ・ヴォス     白鹿のギルドを襲撃した謎の女

ガロン・レイス      ダンジョンでエマ達を襲撃した一人

ラウル・ゼイン      東水門で襲撃してきた一人


▼主人公について

白鹿のギルドで働く二十歳前後のサポーター。

元前衛だが、今は救護、素材回収、物資管理、食料と水の配分、退路確認などを担い、探索隊を生きて帰すために働いている。


あらすじ

祈りの間の奥で、オスカーは白い石を手にした。

サイモンたちに連れられて戻る途中、石に引き寄せられるように骸霊が現れる。逃げ場を失いかけたオスカーの前に、壁の向こうからエマの声が届いた。

エマとローワンはオスカーに追いつくが、骸霊は石を持つオスカーを狙う。ローワンは息子を庇い、崩れた床の下へ落ちた。混乱の中、オスカーも深い傷を負い、エマは必死に血を止めようとする。

そのそばで、サイモンは静かに告げる。まだ、諦めるには早いのでは、と。

「まだ、諦めるには早いのでは」


サイモンの声は、静かだった。

その静けさが、白い粉の落ちる音よりも耳についた。

エマは答えなかった。

答えれば、手が離れる。


手が離れれば、オスカーの血がまた溢れる。布はもう何枚目か分からない。押さえている場所の下で、体の奥から冷えたものが滲んでくる。傷口そのものより、その冷たさの方が嫌だった。


生きている体から、少しずつ火が消えていく。

エマは歯を食いしばった。


「オスカー、私を見て」


オスカーの目が、ゆっくり動いた。

焦点が合うまでに、少し時間がかかった。


「姉さん」


かすれた声だった。


「喋らないで」


「……怒ってる?」


エマの指が止まりかけた。

止めなかった。


「怒ってる」


オスカーの口元が、少しだけ動いた。

笑ったのかもしれない。


「やっぱり」


「だから、あとで怒る。今は息をして」


「うん」


返事は、返事の形をしていなかった。

吐く息の中に、少しだけ言葉が混じっただけだった。


エマは布を替えた。血に濡れた布を横へ押しやり、新しい布を傷に重ねる。押さえる。押さえながら、腰袋の中を探る。残っているスクロール。ポーション。針。糸。


どれも、足りない。

何をどう使っても、血は戻せない。

マルタの声が、頭の奥で響いた。

死なせるものを先に見ろ。


エマは見ていた。

見えていた。


だから、余計に手を止められなかった。

オスカーの指が、エマの服を掴んだ。

弱い力だった。


「父さん」


エマの喉が詰まった。

穴の縁には、裂けた布の端が残っている。ローワンの袖だった。石粉をかぶり、もう動かない。


「落ちた」


オスカーは言った。


「僕のせいで」


「違う」


「違わない」


「今、それを決めないで」


エマの声は低かった。

決めてしまえば、オスカーはそのまま沈んでいく気がした。


「父さんは、あなたを押した。あなたを落とすためじゃない。生かすために押した」


オスカーは目を動かした。

穴の方を見ようとしたのかもしれない。

エマは体の向きを少し変えた。


「見なくていい」


「でも」


「見なくていい」


強く言いすぎたと思った。

けれど、今のオスカーにあの穴を見せたくなかった。

オスカーの指が、さらに弱くなった。


「呼べた」


エマは聞き返せなかった。


「父さんって」


その声は、ほとんど息だった。


「呼べた」


エマの胸の奥で、何かが崩れた。

けれど、涙は出なかった。

泣くために使う力も、今は惜しかった。


「聞こえてた」


エマは言った。


「ちゃんと、聞こえてた」


オスカーは、ほんの少しだけ安心したように見えた。

その横で、サイモンが口を開いた。


「かわいそうに」


エマは顔を上げた。


「黙って」


サイモンは怯まなかった。


「あなたは、自分で選んだつもりだったんですね」


オスカーの目が、サイモンへ動いた。

もう怒る力も、問い返す力も残っていない。それでも、その言葉だけは聞こえたのだろう。


エマの声が低くなる。


「オスカーを、分かったように呼ばないで」


「分かったとは言っていません。ただ、見ていました」


サイモンは淡々と答えた。


「守られるだけではいたくない子が、やっと自分の足で前へ出ようとしていた。そう見えました」


「あなたが歩かせたんでしょ」


「道を示しただけです」


エマの手が、血で滑った。

すぐに押さえ直す。


サイモンは続けた。


「この子は、自分で歩きたかった。姉の荷物でいるのが嫌だった。誰かの帰る理由にされることも、守られるだけの場所に置かれることも」


オスカーの指が、エマの服を弱く引いた。

聞かないで、という意味だったのかもしれない。

エマはオスカーだけを見た。


「聞いてない」


「姉さん」


「私は、あなたを見てる」


オスカーの喉が小さく動いた。

言葉は出なかった。


サイモンが、少し首を傾けた。


「あなたは、連れて帰る人だと聞きました」


エマは答えない。


「それは誰のための言葉ですか」


石粉の中で、その問いだけがはっきり残った。


「この子のためですか。あなたが、そういう人間でいたいためですか」


エマの肩がわずかに動いた。

だが、手は離れない。


「あなたには、治す力も、死を止める力もない。それでも手を伸ばす。高望みというより、祈りに近い」


サイモンの声には、怒りがなかった。

怒りがないから、余計に冷たかった。


「祈りは、届かなければただの思い込みです」


その言葉のあと、少しだけ空気が沈んだ。

オスカーの呼吸が、浅くなっている。

エマはすぐに気づいた。


「オスカー」


返事はない。


「オスカー、見て」


まぶたが震えた。

開く。


それだけで、ずいぶん遠くから戻ってきたように見えた。


「姉さん」


「ここにいる」


「ごめん」


「謝らないで」


「僕」


言葉が途切れた。

血の味がするのか、オスカーの唇がかすかに歪んだ。


「さっき」


「うん」


「帰れないって、少し思った」


エマは顔を近づけた。


「帰る」


「違う」


オスカーは、わずかに首を動かした。


「帰りたかった」


その言葉だけは、はっきり聞こえた。

エマの手が震えた。

布を押さえる力が乱れそうになる。歯を食いしばり、押さえ直す。


「帰る」


エマは言った。


「帰るよ。私が連れて帰る」


オスカーは、かすかに首を振った。


「エマも」


息が足りない。

それでも、続けようとしている。


「帰って」


エマの視界がにじんだ。

今度は、手元まで歪みそうになった。


「帰る」


「約束」


「約束する」


「……なら」


オスカーの指が、エマの服から滑った。


「いい」


その言葉は、聞き取れたかどうか分からないほど小さかった。

次の息が、なかなか来なかった。


エマは待った。

押さえたまま、待った。

来ない。


「オスカー」


声が落ちた。

もう一度呼ぶ。


「オスカー」


返事はなかった。

エマは、呼び続けなかった。

呼べば、返事がないことだけが増える気がした。

傷口を押さえた布に、まだ血は滲んでいる。


けれど、オスカーの体から、抵抗する力が抜けていく。腕の中の重さが変わる。生きている人間の重さではなくなる。


それを、エマは知っていた。

知りたくなかった。

石粉の落ちる音だけがした。

誰もすぐには動かなかった。


ニナの声も、ノルの足音も、まだ届かない。

エマはオスカーの服を握った。


その布は、家で何度も洗った布だった。ほつれたところを、オスカーが自分で直していた。小さな縫い目が、指に触れる。


「感謝していただきたいくらいです」


サイモンの声がした。

エマは顔を上げなかった。

上げれば、手が何をするか分からなかった。

サイモンは続けた。


「あなたの弟に、最後まで希望を見せたのは私です。歩けるかもしれない。守られるだけでは終わらないかもしれない。そう思えたから、ここまで来た」


エマの手が、オスカーの服を握る。


「父親にも会えた。声も聞けた」


サイモンは、穴の方へ目を向けた。


「良かったではありませんか。あなたが選び続けた場所で、家族が揃った」


エマの中で、何かが静かに折れた。

音はしなかった。

ただ、体の奥が白く冷えた。


「あなたの言葉で」


エマは言った。

声は低かった。


「私の手を止めないで」


サイモンは目を細めた。


「止めるつもりはありません」


「なら、黙って」


ガロンがそこで息を吐いた。

飽きたような息だった。


「長い」


サイモンは横へ退いた。

ガロンはオスカーを見下ろした。

そこに怒りはなかった。

憐れみもない。


ただ、役目を終えた道具を確かめる目だった。


「哀れだな。だが、役目は果たした。最後だけは、人の役に立ったな」


エマの視線が上がった。

ガロンは一歩も引かなかった。


「怒るなら後にしろ。今のお前にできることは、抱えて戻ることくらいだ」


その瞬間、通路の奥で足音が重なった。

一つではない。


複数の灯りが、石粉の向こうから滲んでくる。


「エマ!」


ノルの声だった。

続いて、ニナの声が走る。


「オスカーさん!」


矢が一本、サイモンの足元へ刺さった。


ミレイの矢だった。

ラウルが横へ跳ぶ。


ガイが前へ出た。


「おい」


ガイの声に、いつもの軽さはなかった。


「よく喋るな。口を閉じる暇もなかったか」


ラウルが刃を構える。

ガイは笑わなかった。


「覚えてるぞ、その動き」


ラウルの目が細くなる。

ノルは一瞬で場を見た。


穴。

倒れたオスカー。

その体を抱えたエマ。

サイモン、ガロン、ラウル。


そして、通路にまだ残っている骸霊の気配。

ノルの顔から、迷いが消えた。


「敵をエマへ近づけるな」


短い命令だった。

ニナが短剣を抜き、エマの側へ走ろうとする。


「ニナ、止まれ」


ノルが言った。


「足元を見ろ」


ニナは一瞬だけ歯を食いしばり、それでも止まった。床の割れを見て、半歩横へずれる。昔のニナなら、そのまま飛び込んだかもしれない。今は、止まれた。


「こっちから回ります」


「行け」


ミレイが二本目の矢をつがえる。

ガロンの前に、ガイが立った。


「でかいのは俺か」


「退け」


ガロンが言った。


「嫌だね」


ガイは片手で剣を回した。


「今日は、そういう気分じゃない」


ガロンの剣が動いた。

重い踏み込みだった。


ガイは受けない。半歩ずれて、床の割れを避けながら間へ入る。刃と刃が触れた音が、短く散った。


ラウルは横へ抜けようとした。

ミレイの矢が、その足元へ刺さる。


「そっちは通行止め」


ミレイの声が飛んだ。

ラウルは何も言わず、向きを変える。

サイモンは戦わなかった。

一歩下がり、壁際の細い筋へ指を触れた。


ノルがそれを見た。


「サイモン!」


サイモンの指が動いた。

壁の奥で、小さな音がした。


こつ、と。


人が石を叩く程度の音だった。

けれど、次の瞬間、天井の一部が軋んだ。


ノルが叫ぶ。


「下がれ!」


ミレイが矢を放つ。

サイモンは身を引いた。

矢は外套の端を裂いたが、肉までは届かない。


天井から、細かな石が落ちる。

続いて、大きな塊が通路の中央へ落ちた。

ガイが舌打ちし、ニナを腕で押し戻す。


「前に出るな!」


「分かってます!」


ニナは叫び返した。

ガロンは崩れ始めた通路の向こうへ下がる。

ラウルもすでに位置を変えていた。

逃げ道を作っていたのだ。

最初から。


サイモンは、最後にエマを見た。


「見せてください」


その声は、崩れる石の音の中でも聞こえた。


「あなたが連れて帰ると言うなら、その言葉に何が残るのか」


エマは答えなかった。

オスカーを抱いたまま、動かなかった。

サイモンの姿が、石粉の向こうへ薄れていく。


ガロンの重い足音。

ラウルの軽い足音。

そして、壁が閉じるような低い響き。

ガイが前へ出ようとした。


ノルが腕を伸ばし、止めた。


「追うな」


「ノル」


「追うな」


二度目は、命令だった。


ガイの顔が歪む。


「今なら届く」


「届いても、戻れない」


ノルは崩れかけた天井を見た。


石はまだ落ちている。床の割れも広がっていた。穴の縁には、ローワンが落ちた跡が残っている。エマはオスカーを抱いたまま動けない。


追えば、敵に届くかもしれない。

届くかもしれないだけだった。


「俺たちが追えば、エマとオスカーを置くことになる。穴の下も見られなくなる」


ガイは歯を食いしばった。

剣を握る手に、力が入りすぎている。


「……くそ」


「それでいい」


ノルは低く言った。


「今は、それでいい」


いいわけがなかった。

けれど、選ぶしかなかった。

ノルはエマの方へ向かった。床の割れを避け、膝をつく。


「エマ」


エマは顔を上げなかった。


「エマ」


二度目で、ようやく目が動いた。

ノルは、オスカーを見た。

言葉が出なかった。

間に合わなかった。その事実だけが、白い床の上にあった。

ニナが近づき、途中で止まった。


「オスカーさん」


声が震えた。

エマはオスカーの体を少しだけ抱き直した。


「連れて帰る」


誰に向けた言葉か、分からなかった。


ノルにも。ニナにも。自分にも。

もう返事をしない弟にも。


「連れて帰る」


もう一度、言った。

ノルは短く頷いた。


「帰す」


その一言で、白鹿の者たちが動いた。


ミレイは崩れた通路を見張り、ガイはガロンたちが消えた方へ背を向けたまま立った。ニナは布を出そうとして、手を止める。何をすればいいのか分からない顔だった。


ノルは穴の縁へ目を向けた。

ローワンが落ちた場所。

そこからは、もう灯りは見えなかった。


「穴の下を見る。だが、今すぐ全員では降りない」


エマの肩が動いた。


「ローワンは」


「探す」


ノルは言った。


「置いていかない。だが、今はお前とオスカーを動かす」


エマは返事をしなかった。

ただ、オスカーを離さなかった。

舞っていた石粉は、もうほとんど床へ戻っていた。


少し離れたところに、オスカーの杖が転がっている。柄に巻いた革が剥がれ、そこだけ新しい傷のように明るく見えた。


ニナがそれを拾った。

何も言わず、胸元に抱えた。

エマは見ていた。


けれど、ありがとうとは言えなかった。

言えば、本当に終わってしまう気がした。

白鹿の灯りが、帰り道へ向けられる。


倒れた弟の重さを、エマは両腕で受け直した。

その重さだけが、まだここに残っているもののようだった。


本作品は未完成な部分や表現に納得できない箇所が随所にあります。なので、随時修正します。

シナリオや展開を変えるつもりはありません。

ご容赦ください。

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