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ダンジョンサポーター  作者: Aramaki_mai
第四章 家へ戻る道
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第57話 戻り道の声

ダンジョンに潜る人たちの話です。

ライト文芸寄りのダークファンタジーです。


▼登場人物

エマ・ウォーカー     本小説の主人公

オスカー・ウォーカー   エマの弟

ローワン・ウォーカー   エマとオスカーの父 長らく行方が分からなかった

サイモン・レック     ダンジョンでエマ達を襲撃した謎の男

ガロン・レイス      ダンジョンでエマ達をサイモンに襲わせた男

ラウル・ゼイン      東水門で襲撃してきた一人


▼主人公について

白鹿のギルドで働く二十歳前後のサポーター。

元前衛だが、今は救護、素材回収、物資管理、食料と水の配分、退路確認などを担い、探索隊を生きて帰すために働いている。


あらすじ

ノルたち白鹿の救援隊は、エマが残した灯りと処置をたどり、置き去りにされた男を搬送役へ託して奥へ進む。エマとローワンは乱れた杖跡を追い、白い斜路の先でオスカーに迫った。オスカーはエマの声を聞きながらも、サイモンの言葉に背を押され、ガロンたちと白い扉の奥へ入ってしまう。エマの灯りは届かず、道は二人の間で閉じた。

扉の向こうには、白い部屋があった。


部屋というより、何かを置くためだけに空けられた窪みに近かった。壁も床も、自然に削れた岩ではない。古い礼拝堂の奥、祈りの言葉だけが抜け落ちた場所のようだった。

灯りを近づけても、奥は明るくならない。

中央の台座に、小さな石がひとつ置かれていた。

石は、白かった。


ただの白ではなかった。床と同じ色なのに、そこだけ違って見える。光っているわけではない。目を離すと、かえって視界に残る。水の底に沈んだ骨の欠片のようでもあり、長い時間をかけて握りつぶされた月の破片のようでもあった。

オスカーは入口で足を止めた。

ラウルが先に入り、床の筋を確かめる。ガロンは部屋の奥を見ていた。荷を持った男は、入口のそばで立ち止まったまま、息を殺している。

サイモンだけが、オスカーの横にいた。


「近づいてください」


「僕が?」


「あなたが来なければ、反応が定まりません」


その言い方に、オスカーは杖を握り直した。

また、自分だった。


扉を開けるのも、奥へ進むのも、ここで手を伸ばすのも、自分でなければならない。そう言われ続けてきた。自分で選んだように見えて、選ぶ場所はいつも先に用意されていた。


「本当に」


オスカーは台座を見たまま聞いた。


「これで、歩けるようになるんですか」


サイモンはすぐに答えなかった。


その沈黙で、オスカーは少し分かってしまった。


「治ると断言はできません」


「……それでも、ここまで来たのは僕ですか」


サイモンは否定しなかった。

優しい顔だった。

けれど、もうその優しさをそのまま受け取ることはできなかった。


ガロンが低く言った。


「時間をかけるな」


オスカーは一歩、前へ出た。

杖の先が床を叩く。音はすぐに消えた。部屋の中には、どこかへ抜ける響きがない。音も息も、入ったものから順に吸われていくようだった。

台座の前で、オスカーは手を伸ばした。

指先が石に触れる。冷たくはなかった。

そのことが、気味悪かった。


石は、もう外れていた。力を入れた覚えはない。気づいた時には、掌の上に収まっていた。小さい。片手で隠れるほどだ。けれど、持った手首が沈む。


「服の内側へ」


サイモンが言った。


「落とさないように」


「袋では駄目なんですか」


「近くに持っていた方がいい」


「何のために」


サイモンは答えなかった。

答えないことが、答えのようだった。

オスカーは石を服の内側へ滑り込ませた。祈り紐のそばで、重みが落ち着く。そこだけが、自分の体ではないものに変わった気がした。

サイモンの目が、その動きを追った。


「戻りましょう」


「戻るんですか」


「ここで長く留まる必要はありません」


オスカーは部屋の入口を見た。

来た時の通路は、もう同じ形ではなかった。壁の一部が閉じ、別の細い道が開いている。ダンジョンが息をしたあと、何もなかった顔をして形を変えたようだった。

ラウルがその道を覗いた。


「通れる。ただ、同じ場所には出ない」


「構わん」


ガロンは短く言った。


「目的のものは取った」


目的のもの。

オスカーは服の上から石の位置に触れかけて、やめた。

触れれば、そこにあると認めてしまう気がした。

戻り道は狭かった。

人が一人ずつ通れるほどの幅しかない。前を行くラウルは振り返らない。荷の男も歩調を緩めない。ガロンは後ろにつき、逃げ道を塞ぐような位置で歩いている。


サイモンは横にいた。

支えるためではなく、歩けるかどうかを見るために。

オスカーには、それが分かった。


「サイモンさん」


「はい」


「さっき、床に落としたものは何ですか」


サイモンの足が、少しだけ遅れた。


「道を見るためのものです」


「あなたは、見る前に歩き出しました」


サイモンは答えなかった。

オスカーは、もう一度前を見た。

奥から、薄い音がした。

声ではない。風でもない。冷えた喉で笑おうとして、途中で失敗したような音だった。

ラウルが刃に手をかける。ガロンの目が細くなる。

サイモンだけが、すぐには動かなかった。

来ると分かっていた顔だった。

影が、壁の中から滲んだ。


骨に似ている。だが、骨ではない。霧のように輪郭が崩れているのに、手だけははっきりしていた。長い指の先に、爪のようなものがある。灯りを受けても影は薄くならず、むしろ内側の暗さだけが濃くなる。

オスカーは一歩下がった。

それが、こちらを向いた。


目はない。


それでも、見られたと分かった。


「下がるな」


ガロンが言った。


「それはお前に寄る」


「僕に?」


「持っているからだ」


何を、と聞く必要はなかった。

オスカーはサイモンを見た。


「知っていたんですね」


サイモンは、ほんの少しだけ目を伏せた。


「寄るかもしれないとは思っていました」


「また、それですか」


声が震えた。


「あなたは、いつもそうですね」


骸霊が動いた。

足音はない。ただ、影が床を滑った。ラウルの刃が横から入る。胴を裂いたように見えたが、手応えはない。形が崩れ、すぐに戻った。

ガロンが床を叩いた。


剣ではなく、足元の筋を狙った。石粉が跳ね、骸霊の輪郭が一瞬だけ乱れる。


「抜けろ」


ガロンの声に、荷の男が走った。

ラウルも先へ動く。

サイモンがオスカーの腕を取った。


「こちらへ」


「離して」


「今は歩いてください」


「あなたが呼んだんでしょう」


サイモンは答えなかった。

答えないまま、腕を引いた。

その時、壁の向こうから声がした。


「オスカー!」


オスカーの体が止まった。

姉の声だった。


「オスカー!」


もう一度。

近い。


壁一枚の向こうにいる。そう分かった瞬間、サイモンの手を振り払っていた。


「姉さん!」


壁の向こうで、足音が止まる。


「オスカー!」


今度は、すぐそばだった。

サイモンの表情が、わずかに変わった。


「近すぎる」


ガロンが通路の奥を見た。


「白鹿か」


「先に、姉です」


サイモンは静かに答えた。

骸霊が壁へ触れた。

石の筋が濁り、細かな粉が落ちる。次の瞬間、壁の一部が裂けた。開いたというより、薄い皮が破れたようだった。


向こう側に灯りがあった。

エマがいた。その後ろに、ローワンがいた。

オスカーは息を忘れた。


エマは粉をかぶっていた。頬に血がつき、髪も乱れている。それでも、目だけはまっすぐオスカーを見ていた。

ローワンは壁に片手をついて立っていた。立っているだけで苦しそうだった。息は浅く、肩は小さく震えている。けれど、その目もまた、オスカーから離れなかった。


「オスカー」


かすれた声だった。

昔の記憶にある声とは違った。

それでも、どこかが同じだった。


「父さん……?」


口にした瞬間、喉が痛くなった。

その呼び方を、どれだけ長く胸の奥に置きっぱなしにしていたのか、自分でも分からなかった。


ローワンの顔が歪んだ。

泣くような顔だった。けれど、泣かなかった。


「こっちへ来い」


声は弱かった。

それでも、帰る場所を示す声だった。

エマが一歩前へ出る。


「オスカー、こっち」


オスカーは動こうとした。

その瞬間、骸霊の形が伸びた。

狙いはエマではなかった。ローワンでもない。


オスカーだった。


「下がれ!」


ローワンの声が飛んだ。

その声だけは、少しも弱っていなかった。

オスカーは反応できなかった。

爪が、目の前へ来る。その前に、ローワンが入った。

どうやって動いたのか、分からなかった。さっきまで壁に支えられていた人が、そこにいた。足はもつれ、息も切れている。それでも、オスカーと骸霊の間へ体を入れた。


片腕で、オスカーを押す。

強い力ではない。けれど、迷いがなかった。

オスカーの体は横へ倒れた。杖が床を滑る。肩が石にぶつかり、息が詰まる。


骸霊の爪が、ローワンの背をかすめた。

血はすぐには見えなかった。

代わりに、ローワンの体が凍りついたように固まる。喉の奥で、短い息が詰まった。


それでも倒れなかった。

ローワンは、オスカーをもう一度押しやった。


「行け」


「父さん!」


「歩け」


その声は、叱っているようだった。

頼んでいるようでもあった。

父親が、子どもの背中を押す時の声だった。

エマが床を見た。


粉の下に、割れ目が走っている。薄い石板が重なっているだけの床。その下は空洞だった。骸霊が触れた壁から筋が濁り、床の縁が少しずつ崩れている。

ローワンの足は、その縁にかかっていた。


「手を!」


エマが飛び込んだ。

ローワンは、オスカーを見た。

それから、エマを見た。


「連れて行け」


「ふざけないで!」


エマの手が届いた。

指先が、ローワンの袖を掴む。

ほんの一瞬だけ。


けれど、床が崩れた。

粉が流れ、石の縁が割れる。エマの指から、布の裂ける感触だけが抜けた。

ローワンの体が落ちる。


灯りも一緒に傾いた。


「ローワン!」


エマの声が穴の下へ落ちていった。

返事はなかった。


粉だけが、縁からこぼれている。

オスカーは床に倒れたまま、穴を見ていた。

今の人は、父だった。


そう思う前に、いなくなった。

何も聞いていない。

なぜいなかったのかも、どこにいたのかも、なぜ今ここへ来たのかも。

怒ることもできなかった。

許さないと言うこともできなかった。

ただ、父と呼んだ。


その直後に、庇われた。


「僕が」


声が漏れた。


「僕が、持っているから」


エマが穴の縁から顔を上げた。

何を、とは聞かなかった。

聞く時間がなかった。

骸霊が、また動いた。

エマは短剣に手をかけた。

けれど、すぐに離した。


今、必要なのは刃ではない。

オスカーへ走った。

サイモンは離れた場所から見ている。

ガロンが骸霊の進路へ剣を叩き込んだ。倒すためではない。影を散らすためだった。


石粉が噴き上がる。視界が潰れた。

オスカーは杖を探した。

手を伸ばしても、粉を掴むだけだった。


「オスカー!」


エマの声が近づく。

その声に向かって、体を起こそうとした。

できなかった。


冷たいものが、腹の横から入った。

痛みは少し遅れて来た。

先に、体の中が空になる感覚があった。

息が抜ける。


指先から力が落ちる。

粉の中で、灯りが滲んだ。

エマの腕が、オスカーを抱えた。


「オスカー」


近い。

姉の声が近い。

それだけで、少しだけ安心してしまった。

そのことが、悔しかった。


いつもなら、その声を聞けば返事をした。面倒そうにでも、皮肉を混ぜてでも。台所からでも、布団の中からでも、遅かったねと文句をつけてでも。

けれど、今は口を開くまでに時間がかかった。

エマはすぐに傷を見た。

唇から血の気が引いた。


けれど、手は止まらなかった。腰袋を開き、布を出し、傷口へ当てる。押さえる。血が布へ吸われる。すぐに足りなくなる。


「こっちを見て」


エマが言った。


「私を見る」


オスカーは目を動かした。

エマの顔があった。


粉まみれで、汗をかいて、怒っているようで、泣きそうで、でも泣いていない顔。

いつもそうだった。


泣く前に、手を動かす。怒る前に、布を探す。自分より先に、帰る道を探す。


「姉さん」


やっと声が出た。

小さすぎて、自分でも聞こえにくかった。


「喋らないで」


「ごめん」


エマの手が、傷口を押さえたまま強くなる。


「謝らないで」


「僕」


息がうまく入らなかった。

言葉が途中で切れる。

それでも、言わなければいけない気がした。


「自分で、歩きたかった」


エマの目が揺れた。

手は止まらなかった。


「うん」


「守られるだけじゃ、嫌だった」


「うん」


「だから」


続きが出ない。

足を治したかった。

姉さんに、もう自分のために危ない場所へ行ってほしくなかった。

家で待つだけの弟じゃないと、言いたかった。

でも、言葉は血の味に沈んだ。


エマは布を替えた。

次の布も、すぐに赤くなった。


「もういい」


エマは低く言った。


「今は、息をして」


オスカーは返事をしようとした。

声は出なかった。

サイモンが近づく気配がした。

エマの肩が、わずかに固くなる。

だが、手は離れない。


「まだ、諦めるには早いのでは」


サイモンの声が、静かに落ちた。

エマは答えなかった。

答えれば、手が離れる。


舞っていた石粉が、ゆっくり床へ戻っていく。

穴の縁には、裂けた布の端が残っていた。

オスカーの杖は、少し離れた床に転がっている。柄に巻いた革が、またひとつ剥がれていた。

本作品は未完成な部分や表現に納得できない箇所が随所にあります。なので、随時修正します。

シナリオや展開を変えるつもりはありません。

ご容赦ください。

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