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ダンジョンサポーター  作者: Aramaki_mai
第四章 家へ戻る道
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第53話 搬送補助

ダンジョンに潜る人たちの話です。

ライト文芸寄りのダークファンタジーです。


▼登場人物

エマ・ウォーカー     本小説の主人公

オスカー・ウォーカー   エマの弟

ローワン・ウォーカー   エマとオスカーの父 長らく行方が分からなかった

サイモン・レック     ダンジョンでエマ達を襲撃した謎の男

ガロン・レイス      ダンジョンでエマ達を襲撃した一人

ラウル・ゼイン      東水門で襲撃してきた一人


▼主人公について

白鹿のギルドで働く二十歳前後のサポーター。

元前衛だが、今は救護、素材回収、物資管理、食料と水の配分、退路確認などを担い、探索隊を生きて帰すために働いている。


あらすじ

オスカーを探し回ったエマは、空のままの家に戻る。台所には水に浸した豆だけが残り、机には「買い物に行ってきます」と書かれた紙片が置かれていた。エマは、切れた袋の紐と杖から剥がれた革片を前に、弟の傷に気づけなかった自分を責める。

そこへ現れたのは、長く行方知れずだった父、ローワン・ウォーカーだった。傷だらけの姿で戻ったローワンは、オスカーが深い場所へ向かわされていると告げる。エマは母の死の日から今まで不在だった父を許せないまま、それでもオスカーを助けるために動き出す。

「許してない」と言いながら、エマはローワンの話を聞き、傷を見て、肩を貸す。父娘は和解しないまま、オスカーを連れて帰るため、白鹿へ続く道へ向かった。

監視所の灯りは、夜の入口で白く滲んでいた。

町の外れに近づくほど、人の声は少なくなる。市場のざわめきも、荷車の音も、背中の方へ薄れていった。代わりに聞こえてくるのは、革靴が石を踏む音と、自分の杖の音だった。


こつ、と鳴る。


少し遅れて、悪い方の足がついてくる。

また、こつ、と鳴る。


オスカーは、その音をなるべく小さくしようとした。けれど、夜の道ではかえって目立った。隣を歩くサイモンは、足音をほとんど立てない。前を行く二人も同じだった。


一人は荷を背負った男。もう一人は、肩に細長い包みをかけた男だった。

サイモンは、詳しく説明しなかった。


「先に手続きを済ませます。あなたは、聞かれたことにだけ答えてください」


そう言われただけだった。


「手続きって」


「ダンジョンへ入るには、記録が必要です」


「僕は探索者じゃありません」


「だから、探索者としては通しません」


サイモンの声は静かだった。

その言い方が、かえって不安を残した。


監視所の前には、白鹿で見たことのない男が立っていた。年は四十前後だろうか。広い肩をしていて、机の上に置いた帳面を片手で押さえている。灯りの横には、通行札とインク壺が並んでいた。


ダンではない。

オスカーは、ほんの少しだけ息を吐いた。

ダンだったら、たぶん名前を呼ばれた。どうしてここにいるのか聞かれた。エマへ知らせると言われたかもしれない。


そう思った瞬間、胸の奥が痛んだ。

知らせてほしいのか。知らせてほしくないのか。

どちらも選べないまま、オスカーはサイモンの後ろで足を止めた。

監視役は帳面から顔を上げた。


「所属は」


サイモンは懐から折り畳んだ書類を出した。


「神殿関係の搬送補助です。短時間の立ち入り。同行者は記録に」


監視役は書類を受け取り、灯りの下へ寄せた。封の端に押された印を見て、目を細める。


「この時間にか」


「急ぎの依頼です」


「中身は」


「封印済みの薬箱が二つ。包帯、固定布、痛み止め、糧食、水袋。治癒用の巻物は目録どおりです」


「開けるぞ」


「封を切るなら、神殿側の立ち会いが要ります。目録と封印は、ここで確認できます」


監視役はすぐには返さなかった。箱の封と書類の印を見比べ、それから帳面を開いた。

監視役の目が、サイモンからオスカーへ移った。

オスカーは杖を握り直した。

見られている。

足を。杖を。肩にかけた小さな荷を。


「この子もか」


「搬送補助です」


「探索者には見えない」


「だから、そう書いていません」


サイモンの返しは、少しも強くなかった。強くないのに、そこから先を入り込ませない硬さがあった。

監視役は、もう一度オスカーの杖を見た。何か言いかけたように口元が動いたが、視線はすぐ書類の封印へ戻った。


神殿の印。

それだけで、監視所の空気が少し重くなるのを、オスカーにも感じた。

監視役は帳面を開いた。


「名は」


サイモンが答えた。


「サイモン・レック」


監視役の筆が動く。


「同行」


サイモンは一人ずつ名を告げた。

前にいた荷の男。もう一人の男。そして、最後にオスカーの方を見た。


「オスカー・ウォーカー」


自分の名前が、帳面に書かれた。

黒い線になって、そこに残った。

オスカーは喉を鳴らした。

帰るなら、今だった。


まだ、監視所の外にいる。まだ、帳面に書かれただけだ。引き返して、家へ戻って、エマに怒られて、謝って、泣かれて、また何もできない自分に戻る。


そう思ったのに、足は動かなかった。

サイモンがこちらを見た。


「大丈夫ですか」


優しい声だった。

けれど、その声が監視所の灯りの下では少し違って聞こえた。誰かに聞かせるための声にも思えた。


「……大丈夫です」


オスカーは答えた。

監視役は帳面を閉じ、通行札を机の端へ滑らせた。


「巡回に止められたら、この控えを出せ。戻りも記録しろ」


「承知しました」


サイモンは控え札を受け取った。

木戸が開く。

その先に、ダンジョンへ下りる入口があった。


石で囲まれた大きな口。中からは、冷えた空気が流れてくる。土の匂いではない。古い石と、乾いた布と、どこかに置き忘れられた灯りの匂いが混じっていた。


オスカーは、家の台所を思い出した。

水に浸した豆。まだ切っていない根菜。潰れた香草の匂い。


あれを片づけるのは、誰だろう。

考えかけて、やめた。

今は戻らないと決めたのだ。

自分で。


「行きましょう」


サイモンが言った。

オスカーは杖をつき、入口を越えた。

石の床が、町の道より冷たかった。


最初の通路は広かった。けれど、オスカーには狭く感じられた。壁が近いわけではない。人が歩くには十分な幅がある。荷を背負った男も、肩の包みをかけた男も、ぶつからずに進んでいる。


それでも、杖をつくたびに音が壁へ返った。


こつ。

遅い。

こつ。

また遅い。


前を行く者たちは振り返らない。

サイモンだけが、時々足を緩めた。


「段差です」


「右の床が欠けています」


「そこは杖を深く入れない方がいい」


その声は助かった。

助かったのに、オスカーは素直に礼を言えなかった。

白鹿の探索隊なら、エマなら。

そこまで考えて、胸の中で無理に蓋をした。

姉さんのことを考えるな。今考えたら、戻りたくなる。


通路を二つ曲がったところで、奥に別の灯りが見えた。

二人、いや三人いた。


一人は大柄な男だった。鎧は必要なところだけを覆い、動きを邪魔しないように留められている。剣は大きい。けれど、飾りは少ない。そこに立っているだけで、通路の幅が少し狭くなったように見えた。


その横に、背の高い男がいた。細身で、顔の影が深い。手袋をはめた手が、腰の短い刃に軽く触れている。こちらを見る目が、顔ではなく足元へ落ちた。


杖の先。靴。床に残る浅い跡。

その順に見られた気がして、オスカーの指が強張った。


大柄な男が言った。


「遅い」


サイモンは表情を変えなかった。


「監視所で少し」


「揉めたのか」


「いいえ」


大柄な男の目が、オスカーへ向く。


「それか」


それ。

名前ではなかった。人を指す言葉でもなかった。

オスカーは、すぐに返事ができなかった。

サイモンが横から言う。


「オスカー君です」


「歩けるのか」


大柄な男はオスカーに聞いた。

オスカーは杖を握った。


「歩けます」


「遅れたら置く」


その言葉は、脅しではなかった。

ただの確認だった。

オスカーの喉が乾いた。

サイモンが静かに言った。


「必要な場所までは、私が見ます」


大柄な男はサイモンを見た。


「見すぎるな。荷ではない」


「では、何です」


サイモンの声は変わらない。

大柄な男は少しだけ間を置いた。


「必要な場所まで届けばいい」


オスカーは、その言葉を聞いた。


届けばいい。誰が。どこへ。何のために。


胸の中に、小さな冷たいものが落ちた。

聞こうとした時、細身の男が先に口を開いた。


「杖の跡が深い」


オスカーはそちらを見た。

男は床を見ている。


「追われれば拾われる。後ろを均せ」


サイモンが答えた。


「ラウル」


「事実だ」


ラウルと呼ばれた男は、ようやくオスカーの顔を見た。


「足音も残る。焦ればもっと残る」


オスカーは何も返せなかった。

大柄な男が短く言った。


「進む」


サイモンがオスカーの隣へ戻った。


「大丈夫です」


その声は、さっきと同じだった。

けれど、オスカーの耳には、少しだけ遠く聞こえた。


大丈夫。何が。誰にとって。


隊は進んだ。

白鹿の探索隊のように、声を掛け合わなかった。前の足場を確認する声も、荷の重さを分ける声も、後ろがついてきているか確かめる声もない。


ただ、進む。


大柄な男――ガロンと呼ばれていた――が前に立つ。ラウルは少し後ろを歩きながら、壁や床の跡を見る。サイモンはオスカーの近くにいる。荷の男たちは、無駄口を叩かなかった。


それぞれが自分の役目を分かっている。

それは、強い隊のように見えた。

けれど、温かくはなかった。

二つ下の階層へ降りたあたりから、通路の様子が変わった。


壁が、ただの石ではなくなっていく。古い建物の内側のように、細い柱の跡が続いていた。床には敷石があり、その隙間から白い砂のようなものが出ている。天井は低くない。なのに、頭の上に何かがのしかかっているような圧迫感があった。


灯りの届かない奥で、風もないのに薄い布が揺れていた。

布ではない。

壁に貼りついた白い膜のようなものだった。

オスカーは立ち止まりかけた。


「止まるな」


ガロンが言った。


オスカーは慌てて杖をついた。杖の先が敷石の隙間に入りかける。


「そこは駄目です」


サイモンが低く言い、オスカーの肘を支えた。

支えられた。

支えられたことに、ほっとした。

同時に、嫌だった。


「自分で歩けます」


「ええ」


サイモンはすぐ手を離した。

怒りもしない。笑いもしない。

それが余計に、オスカーの胸を乱した。

通路の先に、広い場所があった。


広間というより、何かの礼拝堂の跡に見えた。壁際には崩れた長椅子のような石が並び、奥には祭壇らしき段がある。けれど、そこに祀られているものは何もない。


中央に、石像が立っていた。


人の形をしている。頭があり、肩があり、腕がある。けれど顔は削られたように滑らかで、目も口もなかった。体の表面には、白い筋がいくつも走っている。


鉱石の筋ではない。血管のようだった。

オスカーは、息を止めた。


石像の白い筋が、かすかに明滅した。

ガロンが剣を抜いた。


「番兵だ」


ラウルが横へ動く。


「起きている」


「押し切る」


ガロンの声に迷いはなかった。

オスカーは一歩下がった。杖の先が床を叩く。

その音に反応したように、石像の頭がわずかに動いた。


目はない。


それでも、見られた気がした。

石像の腕が上がる。遅い。そう思った次の瞬間、床が震えた。石の手が振り下ろされ、敷石が砕ける。飛んだ破片がオスカーの頬をかすめた。


サイモンが肩を引いた。


「下がって」


「でも」


「見ていなさい」


その言い方は、優しくなかった。


命令だった。


ガロンが正面から踏み込んだ。大剣が石の腕を受ける。金属が悲鳴を上げた。ガロンの足元の敷石が割れる。それでも、男は下がらなかった。


「右」


短い声。


ラウルがもう動いていた。広間の壁際へ走り、崩れた長椅子を踏み台にして跳ぶ。刃が石像の首の後ろへ入った。深くはない。けれど、白い筋の一本が切れた。


石像の動きが一瞬だけ鈍る。

サイモンはその間に、床へ目を落としていた。

手を伸ばす。

何かが見えたわけではない。


けれど、次の瞬間、石像の片膝の下で敷石が割れた。内側から叩かれたような割れ方だった。足場を失った石像の体が傾く。


ガロンがそこへ剣を押し込んだ。

斬るというより、叩き割る動きだった。


石像の肩が砕ける。白い筋が何本も切れ、淡い光が散った。ラウルは落ちる破片を避けながら、反対側の継ぎ目へ刃を入れる。動きに無駄がない。そこに怒りも高揚もなかった。


ただ、壊すべきものを壊している。

石像が最後に腕を振った。


荷の男の一人が避けきれなかった。体ごと弾かれ、壁際へ叩きつけられる。背負っていた荷が裂け、金具が床を転がった。


「うっ……!」


男が呻く。


石像の腕はそのまま床へ落ちた。ガロンが踏み込み、首のない顔の中心へ剣を突き立てる。白い筋がひときわ強く光り、すぐに消えた。


広間に、石の崩れる音だけが残った。

オスカーは動けなかった。


強い。

この人たちは強い。


けれど、その強さは、オスカーが想像していた探索者の強さとは違っていた。

誰かを帰すための強さではない。

前へ進むために、邪魔なものを壊す強さだった。


「荷を見ろ」


ガロンが言った。

もう一人の荷持ちが、倒れた男の方へ駆け寄る。オスカーも反射的に一歩出た。

倒れた男は生きていた。けれど、片足が崩れた石の下に挟まれている。顔は白く、口の端から息が漏れていた。


「待ってください」


オスカーは言った。

声が広間に響いた。全員が、こちらを見た。

オスカーは怯みそうになった。それでも、杖をついた。


「足が挟まっています。石をどければ」


ラウルが男の足元を見た。


「どけるには時間がいる」


「でも、生きています」


ガロンは倒れた男を見た。

それから、通路の奥を見た。


「置く」


短い言葉だった。

オスカーは、すぐに意味が分からなかった。


「え?」


「置くと言った」


「そんな」


「足を止める理由にならん」


「理由って」


オスカーの声が震えた。


「人でしょう」


ガロンの目がオスカーへ向いた。


「だから、無駄には殺さない」


その声は冷たかった。

けれど、笑ってはいなかった。

ガロンは荷持ちへ顎を動かした。


「水だけ置け。灯りは持つ。明かりに寄るものまで連れてくるな」


荷持ちが顔を強張らせたまま、水袋をひとつ男の手元へ置いた。

助けるためではない。

置いていくための水だった。

そのことが、オスカーには分かった。

分かってしまった。


ラウルは倒れた男のそばに膝をついた。助けるのかと思った。違った。男の肩から荷紐を外し、必要な袋だけを抜き取っている。

倒れた男がラウルの袖を掴んだ。


「待ってくれ」


ラウルは手を止めた。

一瞬だけ、顔を見た。


「声を出すな。寄ってくる」


それだけ言って、袖を外した。乱暴ではなかった。だから余計に冷たかった。

サイモンがオスカーの前に立った。


「あなたが悪いわけではありません」


オスカーはサイモンを見た。

いつもの声だった。

水路のそばで聞いた声。

倉庫通りで、自分の言えなかったことを言い当てた声。


でも、今は違って聞こえた。


「悪いとか、そういう話じゃない」


「では、あなたが彼を運びますか」


サイモンは静かに聞いた。

オスカーは息を呑んだ。


「運べますか」


倒れた男の体は大きい。荷もある。足を挟んでいる石は重い。自分の足で歩くことさえ、遅れている。

答えは、分かっていた。

分かっているのに、認めたくなかった。


「助けを呼べば」


「ここへ誰が来ますか」


サイモンの声は冷静だった。


「どこへ戻りますか。あなたは、彼を連れて監視所まで戻れますか」


オスカーは唇を噛んだ。


「でも」


「進みます」


ガロンが言った。

会話を終わらせる声だった。


もう一人の荷持ちが、必要な袋を背負い直した。顔は強張っている。けれど、何も言わない。言えば、自分も置かれると分かっている顔だった。


倒れた男は、荒く息をしていた。

オスカーは動けなかった。


置いていく。


本当に。

生きているのに。

エマなら、どうしただろう。

考えた瞬間、胸の中が焼けるように痛んだ。


エマなら、たぶん怒る。無茶をする。助ける方法を探す。布を出し、石を見て、誰に持たせるか決めて、怒りながら手を動かす。


でも、それができるのは、エマだからだ。

自分にはできない。


「オスカー君」


サイモンが呼んだ。

オスカーは倒れた男を見た。


男の目は、こちらを見ていなかった。ガロンでも、ラウルでも、サイモンでもない。床に散った自分の荷の方を見ていた。


破れた袋から、小さな木札がこぼれている。

荷札ではなかった。


角が丸く削られ、何度も指で触ったように色が濃くなっている。表には、下手な線で鳥のような印が彫られていた。誰かが遊びで彫ったのか、家で目印にしていたのか、オスカーには分からない。

けれど、仕事の札ではないことだけは分かった。


あの男のものだ。

置いていかれる人間の、荷ではなく。

その人のものだ。


オスカーは、それを拾おうとした。

ラウルが先に拾い、袋へ入れた。


「不要だ」


「返してください」


自分でも驚くほど、声が出た。

ラウルの目が動いた。


「何を」


「それは、この人のものです」


「もう運ばない」


「それでも」


ラウルはしばらくオスカーを見た。

殺されるかもしれない。

そんな考えが、遅れて頭に浮かんだ。けれど、もう引っ込められなかった。

ラウルは小さな木札を指先で回し、倒れた男の胸元へ放った。

木札は、男の服の上で止まった。

男の指が、ゆっくり動いた。木札に触れた。


握るところまではいかなかった。ただ、指先がその角にかかった。

それだけだった。


「満足か」


ラウルが言った。

オスカーは答えられなかった。

満足なわけがない。でも、何もできない。

ガロンはもう背を向けていた。


「行くぞ」


隊は動き出した。

オスカーは最後に一度だけ振り返った。

倒れた男は、木札に指をかけたまま横たわっていた。声は出さなかった。出す力がないのか、出すなと言われたからかは分からなかった。


水袋は手元にある。

灯りはない。

それが、この隊の答えだった。


オスカーは杖をついた。


こつ。

音がした。

さっきより大きく聞こえた。


通路は、さらに狭くなっていた。

実際に狭くなったのか、そう感じているだけなのか分からない。壁に走る白い筋が、灯りに照らされて細く浮かぶ。足元の敷石は欠け、杖をつく場所を選ばなければならなかった。


誰も待たない。

サイモンは近くにいる。

でも、待っているわけではない。

逃げない距離にいるだけだ。

オスカーは、ようやくそのことに気づいた。


「つらいですか」


サイモンが聞いた。

オスカーは前を見た。


「……分かりません」


「戻りたいですか」


その問いに、胸が跳ねた。

戻りたい。そう言いそうになった。

でも、戻ったら何になる。


また、姉に見つけられる。守られる。椅子へ戻される。何もできない顔で、何もできないまま、エマだけが傷ついて帰ってくるのを待つ。


それは嫌だった。

それだけは、嫌だった。


「進みます」


オスカーは言った。

サイモンは頷いた。


「あなたの選択です」


その言葉を、前にも聞いた。

その時は、胸の中で何かがほどけた。

今は、結び目がきつくなった気がした。

通路の奥で、風が止まった。


さっきまであった小さな音が消える。石の割れる音も、遠くの魔物の気配もない。ただ、灯りの火が細く揺れている。


魔物がいない。

それが、かえって怖かった。

ガロンが足を止めた。


「近いな」


ラウルが壁に触れず、白い筋の走る石を見た。


「音が消えた」


サイモンは何も言わなかった。


オスカーは胸元に手を当てた。

服の下、細い祈り紐が肌に触れている。

さっきまでは、ただの紐だった。

今は違った。熱い。


火に近づけたわけでもないのに、紐だけが熱を持っていた。指先で押さえると、その熱が皮膚の奥へ沈む。しかも、軽いはずの紐が、胸元に石でも吊るされたように重かった。

オスカーは息を止めた。


サイモンが、こちらを見た。


「どうしました」


オスカーは答えようとした。

何でもない、と。

でも、声が出なかった。


祈り紐の熱が、胸の奥で小さく脈打っていた。

まるで、どこかから呼ばれているように。

サイモンの目が、オスカーの手元へ落ちた。


オスカーは胸元を押さえたまま、指を離せなかった。

本作品は未完成な部分や表現に納得できない箇所が随所にあります。なので、随時修正します。

シナリオや展開を変えるつもりはありません。

ご容赦ください。

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