第五階層からの声
ダンジョンに潜る人達の話です。
登場人物
エマ・ウォーカー 主人公です。
オスカー・ウォーカー エマの弟
ノル・ハーヴェイ 白鹿の探索隊長の一人
ニナ・クラーク 白鹿のギルド所属の前衛 エマの仲間
リディア・グレイス 神殿からギルドへ派遣された白魔導士/聖職者
▼主人公の基本設定
名前:エマ・ウォーカー
年齢:20歳くらい
性別:女性
ギルド歴:10年
元DPS で ギルドの意向でサポートへ配置転換された
サポートの役割:救護/料理/素材回収/物資管理/運搬等 多岐にわたる
この物語のギルドは、ダンジョン内で採れる素材の回収を専門に請け負う組織です。
魔物の牙や皮、鉱石、薬草、魔石などを回収し、
それを商会や工房、研究機関へ卸すことで利益を得ています。
ただ魔物を倒すだけの集団ではなく、探索、戦闘、救助救援、採取、解体、運搬、物資管理まで含めて、
ひとつの仕事として成り立たせた大手組織です。そのギルドで働く人物達の物語
五階層へ降りる前に、ノルは全員を止めた。
階段の途中だった。
上からの光はもう届かず、下からは湿った冷気が這い上がってくる。
ノルは、一階層から三階層まではほとんど地図を開かなかった。
この辺りの道は頭に入っているのだろう。それだけ、このダンジョンに潜る回数が多いということだ。
だが、四階層から先は違う。地形が少しずつ変わり始める。
五階層まで来ると、その変化は無視できないほど大きくなる。
絶えず目印を確かめ、地図に書き足していかなければ、自分たちがどこにいるのか分からなくなる。
壁には、過去の探索者が刻んだ無数の印が残っていた。矢印。線。削られた文字。
その中には、途中で途切れているものもある。
迷った者が、最後に残した印かもしれない。
「ここから先は、浅い階層とは違う」
ノルの声は低かった。脅すような言い方ではない。
だが、軽く聞き流せる声でもなかった。
「魔物の出方も変わる。音も通りにくい。逃げ道も限られる。無理をすれば、戻れなくなる」
ニナが小さく頷いた。
彼女はまだ若い。けれど、それを見せまいとしているのが分かる。
背筋を伸ばし、短剣の柄に触れ、平気な顔を作っていた。
エマはそれを見て、自分が初めて五階層へ降りた時のことを思い出した。
怖くないふりをするのは、怖がっている証拠だ。けれど、それは悪いことではない。
怖いと思える人間の方が、無茶をしない。
ノルが続けた。
「目的は鉱脈だ。魔物を追う必要はない。夜光石と、黒鉄まじりの欠片を拾えるだけ拾う。深追いはしない。その上で、新しい鉱脈を探す」
今回の狙いは、魔物ではなかった。
夜光石は手堅い。
値が崩れにくく、持ち帰れば買い手もつきやすい。だからこそ、どこのギルドも狙う。
ただし、手堅い場所には人が集まる。
人が集まれば、魔物も寄る。
採掘する者。その周りで魔物を払う者。さらに奥へ進み、新しい鉱脈を探す者。
五階層では、そうした班が入り乱れることが珍しくない。
新しい鉱脈を見つければ、ギルドにとって大きな実りになる。
逆に、いつまでも拾いやすい場所だけを回っていれば、いずれ他のギルドに先を越される。
ギルドからは、もっと稼ぎを増やせと言われている。
死人を出さずに戻ることは大事だ。だが、それだけではギルドは回らない。
その言葉が、エマの胸に残っていた。
生きて帰すだけでは足りない。けれど、稼ぎを求めれば危険が増える。答えの出ない話だった。
ニナがノルに尋ねる。
「先に誰か入っている可能性は?」
「ある」
ノルは短く答えた。
「鉱脈は手堅い。考えることは、どこのギルドも同じだ」
「鉢合わせたら?」
「まず名乗る。相手の目的を確認する。採掘場所が重なれば交渉する。相手が先に入っていたなら、こちらは別の場所を探す。無理には押さない」
「それでいいんですか?」
ニナの声には、少しだけ不満が混じっていた。
抜擢された以上、成果を出したい。
そういう焦りがあるのだろう。
ノルは、その不満を正面から否定しなかった。
「五階層で一番危ないのは、魔物だけじゃない」
「人、ですか」
エマが言うと、ノルは頷いた。
「暗い場所で、同じ獲物を見つけた時、人は簡単に揉める。揉めた声に魔物が寄る。魔物が寄れば、逃げ道が詰まる」
そこで一度、言葉を切った。
「だから、揉めないことも技術だ」
エマはその言葉を覚えておこうと思った。
通路は細く、ところどころ壁が膨らむように歪んでいた。
古い鉱脈跡に近いせいか、石の層が複雑に入り組んでいる。
硬い場所と脆い場所が混じっていて、足音が妙に響いた。
ニナが先行していた。彼女は軽い。足裏を置く場所を選び、音の出る石を避けて進む。
魔物に気づかれるのを避けるため。そして、こちらが先に気づくため。
万能ではない。だが、こういう場所では頼りになる。
不意に、ニナが片手を上げた。ノルが止まる。
全員がその場で動きを止めた。
「どうした」
ニナは壁に顔を寄せた。壁の向こうから、音がする。
金属がぶつかる音。石を蹴る足音。荒い息。誰かが短く叫ぶ声。
採掘の音ではなかった。
「戦っています」
ニナの声が低くなる。エマも耳を澄ませた。
壁の向こうで何かが倒れた。すぐに、怒鳴り声が重なる。
「下がれ!」
「こっちだ!」
「やめろ、こいつら――!」
声は途中で潰れた。剣か何かが石に当たり、甲高い音を立てる。
ノルの顔が険しくなった。
「人同士か」
「たぶん」
ニナは壁から耳を離さない。
「魔物の音じゃないと思います。足音が多いです。人の声も複数」
エマの胸が嫌な音を立てた。
五階層で一番危ないのは、魔物だけじゃない。
さっきノルが言った言葉が、頭の奥でよみがえる。
壁の向こうで、また誰かが叫んだ。
「誰か..」
「助け...」
「..簒奪者!」
とぎれとぎれだかはっきりと聞こえる
エマは反射的に顔を上げた。ニナもノルを見る。
ノルは壁に向かって叫んだ
「おい、大丈夫か!?何が起きてる!!聞こえるか!!?答えろ!」
「ノル」
エマが先を言うより早く、ノルは壁に手を当てた。
石の継ぎ目を見て、音を聞く。
「薄い」
「壊せますか」
「壊すしかない」
ノルは短く答えた。
「ただし、入った瞬間に状況は分からない。誰が襲った側か、誰が襲われた側かも判断するな。全員、武器は抜く。だが、こちらから先に切るな」
ニナが頷く。エマも喉を鳴らした。
助けを求める声が聞こえた。なら、もう迂回はできない。
ノルが壁の脆い継ぎ目に剣の柄を叩き込む。鈍い音がした。
もう一度。ひびが走る。ニナが短剣の柄で横の石を打つ。
エマも落ちていた石を拾い、ひびの入った部分に叩きつけた。
壁の向こうから怒鳴り声が聞こえる。
「何だ!?」
「壁が――!」
ノルが最後に肩を入れた。石組みが崩れた。
白い粉塵が通路に広がり、松明の光が乱れる。壁の向こうに、別の空間が開いた。
エマは咳き込みながら、腕で顔を庇った。視界が開く。
そこには、人がいた。二つのパーティだった。
片方は壁際に追い詰められていた。何人かは血の中に倒れ、動いていない。
その少し手前に、男が一人うつ伏せに倒れていた。背中から流れた血が、石の隙間へ広がっている。
もう片方は、入口に近い場所に崩れていた。
座り込んで荒く息をする者もいれば、倒れたままぴくりとも動かない者もいる。
武器はすでに手元になかった。
戦いは、ほとんど終わっていた。
だが、何が起きたのかは分からない。
壁際の者たちは追い詰められているように見える。
入口側の者たちは、もう戦う力も残っていないように見える。
それでも、見えたものだけで決めつけるには早すぎた。
エマたちが現れた瞬間、その場にいた者たちの視線がこちらに向いた。
「誰だ!」
壁際にいた男が叫んだ。
「動くな!」
壁際にいた女も、震える手で短剣を構えた。
ノルは片手を上げた。
「こちらはギルド所属の探索隊だ。助けを求める声を聞いた。敵意はない」
「信用できるか!」
「だったら、今は信用しなくていい」
ノルの声は低く、落ち着いていた。
「だが、倒れている者はこのままだと死ぬ」
エマは床の男を見た。顔色が悪い。呼吸が浅い。血の量が多すぎる。
考えるより先に、声が出た。
「救護します」
武器を構えた男が睨みながら腕にまかれて腕布を見る。
「お前ら、そこで止まれ! 近づくな!」
「お前は白魔導士か?」
「サポーターです」
「サポーターならこっちにもいる。近づくな」
「このままだと死にます」
エマは一歩だけ前に出た。
ノルと目が合ったが止めなかった。ただ、目だけで警告している。慎重に行け。
エマは両手を見せた。
「複数で見た方が早い。邪魔はしません」
「近づくなと言ってる!」
「助けたいなら、協力させて。」
先行パーティの男は歯を食いしばった。
先行パーティの女が、倒れた男を見て叫ぶ。
「血が止まらない!」
男は短く息を吐いた。
「荷物を置け。武器もだ。変な真似をしたら止める」
「分かりました」
エマはリュックを降ろした。腰の短剣も外し、床に置く。
敵なのか。味方なのか。助けるべき相手なのか。
この場にいる誰も、すぐには言えなかった。
倒れた男が呻いた。
「後ろ……から……」
エマは息を呑んだ。
男は自分の傷を探すように、血の中で指を動かしていた。
「どこだ……どこを……」
壁際にいた女がエマに懇願する。
「お願い、助けて」
その声で、空気がわずかに動いた。
ノルが鋭く言った。
「こちらも武器を置く。そちらも一歩も動くな」
「命令するな!」
「命令じゃない。これ以上、誰も死なせないための条件だ」
ノルは剣を床に置いた。ニナも短剣を下げる。
「変な真似をしたら斬る」
武器を構えた男が言った。
「分かりました」
エマは両手を見せた。
「救護だけします」
エマは膝をついた。
倒れた男の目は大きく開いていた。
自分がどれほど危ないか、本人が一番分かっている顔だった。
「後ろから……やられた……」
「今見ます。息をしてください。声は聞こえています」
「血が……血が止まらない……」
男の声が震えていた。痛みに耐えている声ではなかった。
恐怖が、喉の奥から漏れていた。
「嫌だ……嫌だ、まだ……」
エマは唇を噛み、隣の女に言った。
「服を切ってください。傷を見ます」
「明かりを!」
松明が近づけられる。傷口は小さく見えた。
だが、血の量があまりに多い。背中から深く入っている。
エマの背筋が冷えた。見た目より、ずっと悪い。
休日に聞いたリディアの言葉が、頭の奥でよみがえる。
傷を塞げても、取り返せないものがある。
光で閉じられるのは、破れた肉だけだ。
エマは迷いを押し殺した。
「スクロールを出して。あるだけ」
壁際にいた若いサポーターが、震えながら袋を探る。
「は、はい」
顔が青い。動きがぎこちない。
「早く」
差し出されたスクロールに、エマは灯をともす。
淡い光が傷口を包む。
皮膚が寄る。裂けた肉が閉じようとする。
だが、血は止まらない。
体の奥。恐らく臓物から。塞がっていない。
「もう一枚」
エマは次のスクロールを使う。
倒れた男の仲間の女が、男の手を握った。
「大丈夫。今治してる。帰るよ。絶対帰るから」
別の男も声をかける。
「寝るな。おい、こっち見ろ。なあ、おい」
エマは手を止めなかった。止められなかった。
「押さえて。ここです。強く」
サポーターの男に指示を出す。だが、彼の手は震えている。
力が入らない。
「私を見て」
エマは強く言った。
「ここを押さえる。それだけでいい。できます」
泣きながら男はエマを見た。
恐怖。
動揺。
怯え。
戦闘の直後なのだ。無理もなかった。
「できます。私の手を見て。ここです」
エマは震える手の上から、自分の手を重ねた。
血は温かかった。温かいのに、減っていくものは止まらない。
若いサポーターの男が、押さえていた手を離しかけた。
「もう……」
「離さないで!」
エマの声が鋭く跳ねた。
男はびくりとして、また傷口を押さえた。
けれど、その目はもうエマではなく、倒れた男の顔を見ていた。
助からない。
その言葉を、誰も口にしていない。
それなのに、その場にいる全員が同じものを見ていた。
倒れた男の呼吸が細くなる。
さっきまで荒く鳴っていた息が、急に遠くなった。意識が朦朧しはじめる。
喉の奥で引っかかるような音がして、それきり次の息が来ない。
「だめ」
エマは反射的に言った。
「息をして。聞こえています。大丈夫、まだ――」
男の唇が震えた。
「まだ……」
その声は、もう声になっていなかった。
「まだ、死にたくない……」
誰かが小さく呻いた。
男の指が、血の中で何かを探すように動いた。
仲間の手を探しているのだと気づいて、女が慌ててその手を握った。
「ここにいる! いるから! 置いていかないから!」
男の目が、ほんの少しだけ女の方へ動いた。
それだけだった。
次の瞬間、瞳の奥から力が抜けた。胸の上下が止まる。
女の顔が崩れた。
「嘘……」
誰も動かなかった。松明の火だけが揺れていた。
血の匂いが、急に濃くなった気がした。
エマは男の胸に耳を当てた。腕を取って脈を探す。
何度も場所を変えた。それでも、指先には何も返ってこない。
さっきまでそこにあったはずの命が、目の前で音もなく消えていく。
「……息を」
「息を、戻します」
エマはかすれた声で言った。
自分に言い聞かせるような声だった。
一瞬、誰も動けなかった。
エマは最後のスクロールへ伸ばしかけた手を止めた。
もう傷だけではない。血が失われ過ぎた。
「息を戻す」
自分に言い聞かせるように言い、エマは男の胸に手を当てた。
胸の中心に両手を重ねる。
何度も、一定の間を置いて押し込む。
「戻って、戻ってきて!」
押す。
離す。
また押す。
「戻って。お願い...」
男の口元に耳を寄せる。息はない。
エマは顎を上げさせ、息の通り道を開いた。
ためらう時間はなかった。口から息を吹き込み、また胸を押す。
周囲の誰かが息を呑んだ。
「何を……」
「黙って!」
エマは叫んだ。
押す。
息を入れる。
また押す。
何度も。
何度も。
「戻って。戻って」
手の下にある胸は、ただ沈んで戻るだけだった。
分かってしまった。もう届かない。
床に広がった血は多すぎた。
服にも、石の隙間にも、押さえていた手にも染み込んでいる。
男の体から、戻せないものが流れ出てしまっていた。
光は傷を照らしている。けれど、命は戻ってこない。
それでも、エマはすぐには手を止められなかった。
止めた瞬間に、本当に終わってしまう気がした。
やがて、ノルの声が静かに落ちた。
「エマ」
責める声ではなかった。
けれど、その一言で、もう届かないのだと分かってしまった。
エマの手が止まる。男の胸は、何も返してこなかった。
押しても、息を吹き込んでも、命は戻らない。
エマは血に濡れた自分の手を見た。まだ温かい。
それなのに、もう助けられない。その事実だけが、胸の奥に重く沈んだ。
もっと早く来ていれば。もっと上手くできていれば。
治癒魔法が使えたなら。
浮かんだ言葉は、どれも答えにならなかった。
前書きの設定情報を修正しました。
本作品は未完成な部分や表現に納得できない箇所が随所にあります。なので、随時修正します。
シナリオや展開を変えるつもりはありません。
ご容赦ください。




